オーベルト(読み)おーべると(英語表記)Hermann Julius Oberth

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オーベルト」の意味・わかりやすい解説

オーベルト
おーべると
Hermann Julius Oberth
(1894―1989)

ドイツロケット工学者。当時オーストリア・ハンガリー帝国領のトランシルバニア地方の町ヘルマンシュタット(現、ルーマニア領)に生まれ、やがてドイツの市民権を取得し、ウィーンドレスデン工科大学教授となった。ツィオルコフスキーゴダードと並ぶロケット工学の先駆者。1923年に『惑星間空間用ロケット』を出版、1929年にはその改訂増補版『宇宙旅行への道』を出して、一躍その名を高めた。同年、ドイツ宇宙旅行協会会長となり、ロケットの研究促進と知識の普及に努め、宇宙旅行映画『月世界の女』の企画・製作などにも参加した。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツのもとで、フォン・ブラウンらとV2ロケット開発に参加するが、「純粋なゲルマン民族」でなかったため間接的に関与。1950~1953年イタリアでロケット開発、1955~1958年アメリカ宇宙工学研究に携わり、1958年に帰国した。

[新羅一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「オーベルト」の意味・わかりやすい解説

オーベルト
Hermann Julius Oberth
生没年:1894-1989

近代宇宙工学の基礎を築いた一人。ヘルマンシュタット(現,ルーマニア領シビウ)の裕福な医者の息子として生まれ,ミュンヘン医学を学んでいたが第1次世界大戦で中断され,その後液体燃料ロケット人工衛星などを中心とした宇宙工学の先駆的研究を開始した。研究は当時空想として認められなかったが,彼はその成果を1923年《惑星間空間へのロケット》として出版した。これは29年に出版された《宇宙飛行への道》とともに彼の深い見識を示したものであり,その当時イオンロケット出現をも予測していたほどである。彼は1927年に設立された〈ドイツ宇宙旅行協会〉の顧問であったが,そこで当時助手の一人であったW.vonブラウンと出会っている。40年ドイツ市民権を得た彼は,ペーネミュンデでブラウンらとともにV2(A4)ロケットの開発に参加した。第2次世界大戦後はイタリアで固体ロケットの研究を行った後,55年からアメリカにわたり,58年ドイツに帰国するまで軍用の宇宙工学研究に従事した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オーベルト」の意味・わかりやすい解説

オーベルト
Oberth, Hermann Julius

[生]1894.6.25. トランシルバニア,ヘルマンシュタット
[没]1989.12.28. ニュールンベルク
ドイツの工学者。近代ロケットおよび宇宙飛行の先駆的研究者。医師の子。ミュンヘンで医学を学んだが,第1次世界大戦で勉学を中断。終戦後は宇宙飛行研究に転向,ロケットの設計などを手がける。ウィーン工科大学教授 (1938) 。 1940年ドイツに帰化。 23年『惑星空間へのロケット』 Die Rakete zu den Planetenräumenで,人類が宇宙空間へ乗出していくためのいくつかの決定的な問題について,初めて基本的な理論を展開した。液体燃料ロケットの構造はむろんのこと,2段式ロケットや人工衛星などについて,驚くべき着想を発表した。この本は数学的扱いが多く,理論的に当時の水準をはるかにこえていたので,出版当時はあまり好評ではなかったが,その後ヨーロッパの宇宙ロケット研究に多くの刺激を与えた。 30年7月に円錐ジェットという新型液体ロケットエンジンを完成した。第2次世界大戦後スイス,イタリア,アメリカでロケット研究の指導にあたったほか,いちはやく月面用自動車の研究なども行なって,先端的な仕事を続けた。

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百科事典マイペディア 「オーベルト」の意味・わかりやすい解説

オーベルト

ドイツのロケット工学者。ヘルマンシュタット(現ルーマニア)生れ。ミュンヘン大学で医学を学ぶが,第1次世界大戦で中断,以後宇宙工学の研究に転進,1923年《惑星空間へのロケット》を発表,宇宙飛行の基礎理論を導いた。ドイツで研究を進めW.vonブラウンらを助手として液体ロケットの開発に参画,V2ロケットの実用化に貢献した。第2次大戦後はイタリアでロケット研究に従事していたが,1955年ブラウンに招かれ渡米,1958年に帰国するまで軍事面の研究に従事した。
→関連項目ロケット(工学)

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世界大百科事典(旧版)内のオーベルトの言及

【宇宙飛行】より

…実質的にもっとも現在の宇宙飛行に貢献のあったのはドイツ人たちであり,すでに1904年ごろ,マウルAlfred Maulはカメラをロケットに取り付けてうち上げていた。とくに第1次世界大戦後は宇宙飛行を目標にした研究が盛んになり,23年にいたって,H.オーベルトは《惑星間空間へのロケット》という本を出して,この中で理論だけでなく,具体的な提案を行い,またみずから小型のロケット実験を開始した。このときこのグループの一員であった少年フォン・ブラウンは,後にV2号という本格的なロケット兵器を開発したが,彼自身はあくまで宇宙飛行のためのロケットと考えていた。…

【ロケット】より

… 一応このように固体ロケットは10世紀にわたる歴史をもつが,一方,液体ロケットは実に19世紀もまさに終わらんとするころ,パリに留学していたペルー人ポーレP.A.Pauletが推力100kgfのロケットを実験したのがそもそもの始まりといわれる。いずれにせよ真に近代科学に裏づけされたロケット技術は,20世紀において3人の先覚者,ロシアのK.E.チオルコフスキー,アメリカのR.ゴダード,そしてドイツのH.オーベルトによって築き上げられたのである。彼らはロケット推進が本来的にもっとも宇宙飛行の手段としてふさわしいとの認識の下に,理論,実験の両面から,技術の展望を与えた。…

※「オーベルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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