出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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コロンビア北部,ボリーバル県の県都。大都市域人口103万0149(2005)。カリブ海に面し,1533年アンティオキア地域の貴金属や砂糖の積出港として創設された。スペイン帝国が植民地で開設した数少ない貿易港の一つで,本国の商船隊(ガレオネス)が定期的に寄港した。その繁栄ゆえにたびたびイギリス海軍に攻撃され,なかでも1741年の都市攻撃は凄絶で,今日なお多くの城塞が当時の状況を物語っている。独立期にあっては市民がこぞって革命家ボリーバルを支援し祖国解放に貢献した。ボリーバルはこの都市を〈英雄の都市〉とたたえて,その協力に報いた。糖業,コーヒー生産が経済活動の中心をなした19世紀後半からは農産物の集散地,あるいは輸出港,また20世紀前半からは石油・綿花の積出港となり,今日では同国最大の石油化学工業都市となっている。なお1969年当地でアンデス地域統合を目ざすカルタヘナ協定が締結された。
執筆者:上谷 博
スペイン南東部,地中海沿岸の都市。人口18万4686(2001)。ムルシア県の商工業の中心地で,金属工業,造船業,石油精製所があり,また県下で採掘される鉛,鉄鋼石,ニッケルの積出港となっている。地中海沿岸で最も重要な海軍基地でもある。温暖な地中海気候に恵まれ,都市周辺ではオレンジ,ブドウ,オリーブ栽培が盛んである。カルタヘナの名は,紀元前223年同市を植民化したカルタゴ人が命名したカルタゴ・ノウァ(〈新カルタゴ〉の意)に由来。地中海交易活動の拠点であり,特にローマ時代に最も栄えたが,イスラム支配の時代にはその役割をアルメリア港に譲った。カルタヘナを再征服したキリスト教徒は,司教座をムルシアに移したため,衰退へと向かった。17世紀フェリペ2世が要塞を建設し,軍事的機能を回復する。1873年スペイン南部諸都市の連邦主義運動が高揚したとき,カルタヘナはその一大中心地であった。
執筆者:岡住 正秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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