コーヒー(英語表記)coffee

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改訂新版 世界大百科事典 「コーヒー」の意味・わかりやすい解説

コーヒー
coffee

嗜好(しこう)飲料の一つで,世界中で飲用される。特有の芳香と快い苦みがある。カフェインを含むため,神経を興奮させる作用をもつ。〈珈琲〉の字があてられる。

コーヒーの原料植物には数種があるが,アラビアコーヒーノキCoffea arabica L.(英名common coffee/Arabian coffee)が,世界生産の90%を占める。ほかに同属のコンゴコーヒーノキC.robusta Linden(一名ロブスタコーヒーノキ),リベリアコーヒーノキC.liberica Bull.などが栽培されている。

 アラビアコーヒーノキは,エチオピア原産のアカネ科の常緑低木で,高さ3~4.5m。葉は長卵形でやや革質。熱帯では周年開花する。花は短い花梗をもって葉腋(ようえき)に群生する。花冠は基部が筒状,先端が数片に分かれ,白色で芳香がある。果実は小さな球ないし楕円形で,初め緑色から,熟すにつれて紅色,紫色になり,チェリー・ビーンと呼ばれる。通常2個の種子を含む。種子は半球状で,平らな面に1本の深い溝があり,平豆(フラット・ビーン)と呼ばれる。果実は開花後8~9ヵ月で収穫される。収穫は,熟したものから手で摘みとるのが一般。省力のため機械で枝ごと全果をとり,熟果のみを選ぶ方法も行われている。

 調製法としては,果実を乾燥し,果肉と外皮を除く乾式と,水に漬け発酵させて果肉を除いた後,乾燥して外皮を除く湿式とがあり,高級品は湿式によるのが普通である。近年では,湿式を機械的に短時間に行うことが多い。調製した種子がコーヒー豆である。まず生豆を焙煎(ばいせん)(ロースト)する。焙煎の方法により,風味,品質が左右される。地域の好みもあるが,最高200~215℃で15分くらいいる。焙煎した豆は,抽出を容易にするため粉にひく。普通,日本では熱湯で抽出して,好みで砂糖やミルクを加えて飲用するが,地域,民族,風習により,抽出法や飲み方はさまざまである。産地では葉や枝の皮も乾燥後いって,コーヒー茶として飲用する。インスタントコーヒーは,抽出液を乾燥したものである。

 原産地では,早くから野生品を利用していた。6世紀ころ,アラビアに伝わって栽培化された。コーヒーが飲料としてヨーロッパに伝えられたのは15世紀以降のことである。ブラジルにアラビアコーヒーノキが導入されたのは18世紀のことで,本格的な栽培は19世紀になってからである。栽培法は,ふつう実生によって繁殖させるが,接木や挿木も可能である。苗木を本畑へ定植後,マザー・ツリーといって,コーヒーの樹間にテフロシア,クロタラリアなどの樹木の種子をまき,幼樹の庇蔭(ひいん),防風用とし,またその枝葉を緑肥に使う。通常は定植後5年生から収穫を始め,20年生くらいで更新する。熱帯作物としては,やや寒さに強く,降霜のない地域であれば栽培ができる。熱帯の高地産の,とくに朝は霧に包まれ,日中は日照良好,夜間は冷涼で潮風の当たらぬ所のものに良品質のものが多く,産地によって風味が違う。

 コンゴコーヒーノキは,アフリカのウガンダ,コンゴ原産である。19世紀末にコンゴ奥地で発見され,栽培が始められた。多収で病気に強いので,アラビアコーヒーノキの適さない地域(ジャワ,中央アメリカ,インドなど)で栽培される。果実は小さいが,皮ばなれがよい。豆は灰色で品質は劣るが,香りが強い。また価格が低いことなどから,インスタントコーヒー用に重要視されている。

 リベリアコーヒーノキは,アフリカ西海岸,低地アンゴラ地方原産で,生育強壮で低温や病害虫に強く,湿潤で気候の悪い低地でも栽培が可能である。花や果実はアラビアコーヒーノキよりも大型で,褐色に熟する。豆は黄白色(アラビアコーヒーノキは青緑色)で,アラビアコーヒーノキよりも香りが乏しい。安いコーヒー用にされ,またアラビアコーヒーノキとの混合用にされる。
執筆者:

10世紀前後に,イスラム世界の著名な医学者ラージー(854ころ-925)が〈古来エチオピアに原生していたブンの種実を砕いて煮出した汁液ブンカムは一種の薬として胃によい〉と記したのが,コーヒーについての世界最初の文献である。ブンbunnは,コーヒーノキとその種実の原始名で,ブンカムはその生豆を乾燥し,いらずに砕いて煮出した麦わら色の液体であった。アラブ世界でそれが飲用されはじめたのは11世紀に入ってからで,哲学者,医学者として著名なアビセンナイブン・シーナー)は,具体的な飲用法を書きのこしている。その後2世紀ほど生豆による飲用が続いていたが,13世紀半ばころになって,豆をいって煮出すようになり,色は黒く,苦みはあるが香りの高いものに一変した。快い刺激と興奮をもたらすその飲料は,コーランで酒を禁止されているイスラム教徒によって熱狂的に歓迎され,薬用よりも日常的な飲料として定着していった。なかでも神秘主義者の間で,夜間の勤行を助ける眠気覚ましとして好まれた。すでにブンとは呼ばず,一種の酒の名をとって〈カフワqahwa〉というようにもなった。このアラビア語がトルコに入って〈カフウェkahve〉となり,やがて17世紀にヨーロッパ各地に広まり,コーヒーまたはカフェという世界的な通用語を生むに至る。

 トルコへは1517年セリム1世のエジプト遠征によって伝わり,54年にはイスタンブールに最初の華麗なコーヒー店Kahve Khāneが開かれ,市民はあげてこの店へつめかける状況であった。コーヒーにたいする渇仰(かつごう)ともいうべき風潮やコーヒー店でかわされる政治談議は,為政者にとって危険な現象と映じ,コーヒー店やコーヒーの飲用に干渉,弾圧が加えられることもあった。他方,同じ16世紀中ごろイスラム教界の長老アブド・アルカーディルは,コーヒーについての知識をまとめた一書をものしてコーヒーを賛美した。その手写本は,ルイ14世によってトルコからフランスに移され,コーヒーの来歴を伝える唯一の文献として,現にパリのビブリオテーク・ナシヨナルに所蔵されている。

 ヨーロッパにコーヒーを紹介した最初の文献は,1573年ころシリアのアレッポに滞在していたドイツ人医師L.ラウウォルフの旅行記である。その後フランスのP.S.デュフォアやイタリアのデラ・バレがこの珍しい飲料について論考し,17世紀になってコーヒーはベネチア,パリ,ロンドンとヨーロッパ各地に広まった。イギリスでは1650年オックスフォードに,52年にはロンドンにコーヒー店ができた。ロンドン最初のコーヒー店は貿易商のエドワードが召使のギリシア人パスクア・ロセーをしてセント・ミカエル教会のかたわらに天幕張りで開かせたもので,これが口火となって熱狂的なコーヒー流行が起こり,18世紀初めコーヒー・ハウスの数は3000に上ったという。なかには,つねに学者,芸術家,ジャーナリストなどが集まって談論風発,新しい文化創造の温床となった店もある。フランスでも同様の現象が見られた。1686年パリのコメディ・フランセーズ近くに〈カフェ・プロコープ〉が開かれて熱狂的に迎えられ,この店は動乱の大革命期をも通してラ・フォンテーヌ,ボルテール,ディドロ,ダランベール,ダントン,ロベスピエール,バルザック,ユゴー,ベルレーヌなど百科全書派の人々,詩人,作家,革命家その他多くの著名人がたむろしていた。

 18世紀の半ばを過ぎてからコーヒーはヨーロッパで大きく変わった。それまではいった豆を微粉にして煮出した液をそのまま飲むというアラビア・トルコ風の飲み方が行われていたが,まず,そのコーヒー液をろ過してかすを除くことに気がついたのである。1763年フランスのドン・マルタンによって袋入りのポットが発表されたのがそれであり,1800年にはド・ベロイのドリップポットが出現して,コーヒーの近代化が確立されたのである。また,飲用が広まるにつれて,それまでエチオピアやアラビアでしか産しなかったコーヒー豆は,ヨーロッパ諸国の植民地拡大にともなって,東南アジア,中南米,中央アフリカなどでも産出されるようになった。

 日本には安永年間(1772-81)までにフランスの《ショメル日用百科事典》のオランダ語訳が入手され,それによって17世紀末までのくわしいコーヒー知識が伝えられた。この書はその後幕命により馬場佐十郎,大槻玄沢らの蘭学者が日本語訳を行い,《厚生新編》と名づけられたが,その第28巻〈雑集〉の〈コッヒイ〉の項は1万語にも及ぶ。コーヒーそのものの伝来時期は不明であるが,長崎に来往したオランダ人が持ち込んでいたことは確かで,1804-05年(文化1-2)長崎勤務をしていた大田南畝は,オランダ船を訪れた際コーヒーをすすめられ,〈紅毛船にてカウヒイ′といふものを勧む。豆を黒く炒(い)りて粉にし,白糖を和したるものなり。焦げくさくして味ふるに堪へず〉と,《瓊浦又綴(けいほゆうてつ)》に書きのこしている。

 日本でコーヒーが飲まれるようになったのは明治以後のことになる。初めはごく限られた人々の間で飲まれていたが,1888年東京上野黒門町に可否茶館(カツヒーさかん)が開店してはじめてコーヒーを飲ませ,1911年東京銀座にカフェー・プランタンやカフェー・パウリスタが開業,とくに後者がブラジルコーヒーの宣伝につとめた結果,だんだん一般に広まるようになった。
喫茶店

第2次大戦前の日本では,家庭でコーヒーを楽しむというのは,きわめてまれなことだったが,今はそれがごくあたりまえのことになった。目をみはるばかりの普及であるが,その普及にあずかって最も力があったのはインスタントコーヒーの出現である。

 インスタントコーヒーの発明者は加藤某という日本人だという。コーヒー液を真空蒸発缶内で噴霧乾燥させた粉末を〈ソリュブル・コーヒーsoluble coffee〉と名づけたもので,1901年にアメリカで発売された。その後,アメリカ人G.ワシントンが別の方法でつくって特許をとり,インスタントコーヒーと命名した。第2次大戦中アメリカ軍は携行用のレーションration中にインスタントコーヒーを加え,これによって日本でも第2次大戦後間もなくこの便利な飲料を知るようになった。そして1960年,森永製菓が生産販売を開始すると,熱湯さえあれば即時に飲用できる簡便さと,コーヒー特有の味が歓迎されてヒット商品になり,翌61年には国内・国外合わせて60もの銘柄が市場に出回り,すでにブームを巻き起こしていた即席めん改めインスタントラーメンとあいまって,いわゆる〈インスタント時代〉を現出するに至った。こうしてインスタントコーヒーに親しんだ人たちの中には,かつての噴霧乾燥から凍結乾燥へと移行して質の向上が見られるにもかかわらず,より本来的な美味を求めてレギュラーコーヒーに転向する人も多く,日本におけるコーヒー愛好者はいよいよその数を増しているのが現状である。

コーヒー豆はおおむね熱帯各地の高地で産出され,特殊のものを除いてはほとんど産出地や積出港の名で呼ばれる。種類は,少量のロブスタ種を除いてほとんどアラビカ種である。インドネシアのジャワやスマトラはロブスタの産地として知られるが,スマトラのマンデリンはアラビカ種の逸品で,ブルー・マウンテンが出回るまでは最高のコーヒーと称された。インドではマラバル海岸沿いの山地から産出されるマイソールが良品である。アラビア産のコーヒーはかつてはイエメンのモカ港から積み出されたため,モカコーヒーの名がある。モカの中でマタリと呼ばれるものは優雅な芳香と酸味で高い評価を得ている。エチオピアのハラリも香味にすぐれたモカの一種とされる。アフリカではほかにも良質のものの産出が多いが,とくにタンザニアのキリマンジャロが知られている。また,マダガスカル東方のレユニオン島のブルボンも有名で,ブラジルコーヒーの中でモカ型の味をもつブルボン・サントスはこの系譜をひくものである。中南米ではブラジル・サントス,コスタリカ,グアテマラ,コロンビアなどの名が挙げられるが,とくにコロンビア・メデリンが良質である。西インド諸島もすぐれたコーヒーを産するが,とくに有名なのはジャマイカ島のブルー・マウンテンである。このコーヒーは香味ともによく整っており,あたかも最上の配合のごとき美味をもつとされている。

 コーヒーは単味(いわゆるストレート)でもそれぞれ個性があって楽しめるが,数種の豆を配合(ブレンド)して好みの味をつくり出すのもよい。代表的な配合例としては,ブラジル,コロンビア,モカの5:3:2などが挙げられるが,豆のいり方(焙煎)やたて方によっても味が変わってくることがある。焙煎は,浅いりから深いりまでいろいろ行われるが,無難なのは指でつまんで割れる程度の中いりである。深いりにすると苦みと濃度を増し,浅いりは香りと酸味をひき出しやすい。

コーヒーは,豆に含まれるカフェインや,焙煎によって生ずる水溶性の芳香性物質を十分に抽出し,好ましくない成分の溶出を防いだとき,初めて比類のない美味を呈する。その美味を追求した結果,19世紀以降コーヒーはきれいに澄んだものでなくてはならぬことが確認された。さて,現在行われているような澄んだコーヒーをとるには,浸出液とかすとをこし分けるのは当然であるが,同時に煮出すことは絶対に禁物である。いれ方としては,熱湯中に粉を入れて数分間浸出させる浸漬法(しんしほう)と,布袋や特定の容器に入れた粉に熱湯を注いで浸出液をこし取る透過法とが考えられ,あるいは両者を結合させた形の抽出器も考案されている。浸漬法では,なべに湯を入れて火にかけ,沸騰したところで用量の粉(1人分10~12g,だいたい大さじ山盛り1杯)を入れてかき混ぜ,煮たたせないように火を細めるか,火から遠ざけて2~3分間置き,粉が沈んだところで浸出液をこし取る。こし袋は片毛の綿ネルがよく,布目を内側にし,よく洗い固くしぼって使う。透過法は,いわゆるドリップが基本になる。前記のような布のこし袋に用量の粉を入れ,直前に沸騰させた熱湯を静かに注ぎ,4~5分ほどで量の多少にかかわらずこし取るようにする。湯は途中で沸かしなおさぬほうがよい。ドリップは簡便で,かつ,最も良質のコーヒーを得やすい手法である。前記のように綿ネルの布袋を使うのが本格であるが,使用後の布袋はきれいに洗って水に浸しておく。乾燥させると悪臭を帯びて使えなくなることが多い。この布袋法のめんどうさを除いたのが使い捨てのろ紙を用いるメリタ,カリタ(いずれも商標名)式で,手軽によいコーヒーをつくることが可能である。

 透過法の一種に水出し法がある。これは香味ともによいものを取ることができるが,特殊な点滴装置が必要なので,浸漬法を利用して,いくらか多めの粉をタンブラーなどの冷水に浸し,半日くらい静置してこし取ると,芳香のある液が得られる。ダッチコーヒーと呼ばれるのは,普通こうした水出しの濃厚なコーヒー少量をホットミルクに入れたものである。

 サイフォンは浸漬と透過を兼ねた形式の器具である。耐熱ガラス製の上下のボールのうち,下段のボールの湯を沸騰させてから,あらかじめ粉を入れて置いた上段のボールをさし込むと,蒸気圧によって熱湯が上昇して浸出を行い,火を消すと浸出液はろ過具を通って下段に吸引される。家庭用にも業務用にも用いられているが,浸出液が薄いため再度手順を繰り返すと,不純分を溶出したり煮出すことになり,良好なものが得られないので注意を要する。パーコレーターは,用量の湯と粉を入れて火にかけると,中央のパイプを通って上部のバスケットの粉の上に熱湯が噴出するようになっており,透過法の一種ではあるが,浸出液と湯がたえず混じり合って循環を繰り返すので,その状態は煮出しに近い。エスプレッソはイタリアで広く使われている器具で,きわめて短時間に浸出を行うため,普通のいり方をした豆では酸味が強くなりすぎる。そこで,イタリアンローストと呼ぶ,極端な深いりをしたものを用い,濃く苦いコーヒーを抽出する。

コーヒーにはこれといった栄養はないが,焙煎された豆で平均1.3%,浸出液で0.04%程度のカフェインが含まれている。このカフェインによって快い刺激と興奮がもたらされ,疲労回復と覚醒が促される。これが古くはイスラムの僧院で睡魔撃退のためにも愛用され,あるいは強精薬的にも利用されたゆえんである。ちなみにカフェインの含有量は緑茶のほうが多いが,タンニンとの関連で,カフェインの効果はコーヒーの方が強い。カフェインはアルコールのような有害な副作用とその蓄積がないので,コーヒーを常用しても害をひき起こさない。またカフェイン使用の極量は0.5gであり,これは濃厚なコーヒー10杯分以上にあたるので,たとえ,いっぺんにかなり多量を飲用する場合があってもまず問題は起こらない。
執筆者:

世界のコーヒー豆の総生産量は558万tで,うち約4割がブラジル(131万t),コロンビア(68万t)を中心とする南アメリカである。次いでインドネシアが35万tと多い。以上あげた国が国別生産の上位3ヵ国で,これに続くのがメキシコである(1994)。ただし世界一の生産国であるブラジルは降霜のため生産量が激減する年がある。

 コーヒーは世界的にみて茶(紅茶,緑茶など)よりも広く普及している飲物で,貿易上も重要な国際商品である。1人当り消費量をみると,北欧諸国が最も多いが,主要国ではドイツ,フランス,アメリカが多く,イタリアがこれに次ぐ。紅茶,緑茶の消費の多いイギリスや日本は比較的少ない。日本の消費は増加傾向にあるが,近年は消費の高級化に伴い,インスタントに代わってレギュラーの伸びが著しい。コーヒー豆の輸出は,生産と同じくブラジルがトップで,コロンビアが続き,ほかには,コートジボアール,エルサルバドル,インドネシアなどが多い。輸入はアメリカが圧倒的に多く,ドイツ,フランス,イタリアが続く。日本もこれらの国に続いて多い。
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食の医学館 「コーヒー」の解説

コーヒー

《栄養と働き》


 コーヒーが飲料として利用されるようになったのは、6世紀ごろのこと。当初、コーヒーはアラビアのイスラム教徒のあいだで、体調をととのえ、気分を高揚させる薬として広まりました。
 その後、中世後期に十字軍によってヨーロッパに紹介され、焙煎法(ばいせんほう)などが発達するとともに、嗜好飲料(しこういんりょう)として世界中で愛好されるようになります。
 日本への伝来は江戸時代後期で、明治時代以降には一般の人々にも普及。現在では、消費量世界第4位のコーヒー大国となっています。
○栄養成分としての働き
 コーヒーには約1000種類の成分が含まれているといわれます。なかでも主要なのはご存じのとおり、カフェインとタンニン。
 このうち、カフェインには脳の働きの活性化、胃液の分泌(ぶんぴつ)促進、利尿、末梢(まっしょう)血管の血流向上、体脂肪の燃焼促進などの効果が、タンニンには抗菌・消炎作用に加えて、コレステロール値や血圧の上昇を抑制する作用があります。
 そのため、コーヒーを飲むことで、眠気をさましたり、イライラやストレス、疲労感の解消、集中力の向上に有効なほか、脂質異常症などの生活習慣病の予防、消化不良、肥満の予防にも役立ちます。
 また、このほかの成分についても、近年の研究で、さまざまな効用があることが明らかになってきました。
〈体脂肪を燃焼し、ストレスを解消する〉
 たとえば、クロロゲン酸には発がん性物質のニトロソアミンの生成を防いだり、活性酸素を中和する作用があり、胃、直腸をはじめとした各種のがんの抑制に働いたり、トリゴネリンには脳神経の形成をうながす作用があるのでは、などの説が注目されています。
 さらに、胃潰瘍(いかいよう)の原因のピロリ菌に対する強力な殺菌作用、γ(ガンマ)―GTPを下げて肝臓病を防ぐ作用などが国内外の研究機関から報告されているようです。ほかに、その香りには脳をリラックスさせたり、活性化する作用があることもわかっています。
○注意すべきこと
 カフェイン、タンニンが多く含まれています。空腹時の多飲は胃に負担をかけます。

《調理のポイント》


 そのままブラックで飲むのはもちろん、カフェオレやココアを加えたモカジャバ、ウイスキーを入れたアイリッシュコーヒーのようなカクテルまで、コーヒーの飲み方はいろいろです。
 また、コーヒーゼリーやティラミスの材料にするほか、カレーの風味付けなど、料理にもさまざまなかたちで利用できます。
 豆を選ぶ際のポイントは、粒が揃(そろ)って煎(い)りムラがなく、クズ豆が混入していないこと。表面に油が強く浮いたものも、古くなっている可能性があるので避けてください。また、浅煎りの豆は酸味が強く、深く煎るとにがみが際立つようになりますから、好みに合わせて選びます。
 浅煎りと深煎りでは、浅煎りのほうがカフェインの含有量が多く、刺激が強いことも覚えておきたいものです。
 コーヒーを保存する場合は光を通さない密閉容器を使い、かならず冷蔵庫か冷凍庫に入れるようにしましょう。

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百科事典マイペディア 「コーヒー」の意味・わかりやすい解説

コーヒー

コーヒーノキの種子(コーヒー豆)を乾燥し,炒(い)り,粉にし,熱湯で浸出した飲料。当初は主として薬用にされたが,13世紀半ばごろより豆を炒って煮出して飲料とするようになり,アラビアを中心に主としてイスラム教の国々で愛用された。17世紀にヨーロッパに伝わったが,日本には18世紀後半に伝来。1886年東京日本橋に洗愁亭が,1888年には上野に可否茶館が開店したのがコーヒー店の起りという。 豆は1〜2%のカフェインを含み,カフェオールにより芳香を有する。ブラジル,モカ,スマトラ(マンデリン),ジャマイカ(ブルー・マウンテン)など銘柄により味,香,風味に特徴があり,単味または配合して用いる。いれ方は,こし袋に粉を入れ熱湯を注ぐドリップ式が基本で,本格的にはネルの袋が用いられるが,最近ではペーパー・フィルターが普及している。サイフォン,パーコレーターなど湯の沸騰を利用した器具が作られている。コーヒーの可溶分を粉末・粒状化したインスタントコーヒーも広く飲まれているが,国際コーヒー協定によれば,相当生コーヒー量の3分の1以下で同一成分を得ることが必要と規定されており,同様のことが液状コーヒー液の固形成分についても定められている。
→関連項目トルココーヒーバレンシア(ベネズエラ)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コーヒー」の解説

コーヒー

語源はアラビア語のカフワ。15世紀初めにエチオピアから栽培,飲用の習慣が南アラビアに伝わり,夜に修行するスーフィーたちの間で眠気を払うために盛んに飲用された。この習慣はメッカからカイロイスタンブルへと広まり,1652年にはロンドンにヨーロッパ初のコーヒーハウスが誕生した。17世紀末頃からセイロンジャワ西インド諸島,中南米で,19世紀以降はブラジルやアフリカでもプランテーションによる大規模生産が開始され,現在に至っている。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

栄養・生化学辞典 「コーヒー」の解説

コーヒー

 コーヒー豆を焙焼粉砕して,通常熱水で抽出して飲用にしたもの.マメそのもの,焙焼したマメ,粉砕した粉末,抽出した液,いずれもコーヒーとよぶ.マメを特にいう場合はコーヒー豆という.植物は[Coffea spp.].

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のコーヒーの言及

【飲料工業】より

…飲料はアルコール飲料と非アルコール飲料に大きく分類され,これらの製造業を飲料工業という。アルコール飲料すなわち類は清酒ビールウィスキーブドウ酒などがおもなもので,非アルコール飲料には炭酸飲料,果実飲料,濃厚乳酸飲料などの清涼飲料のほか,コーヒー紅茶緑茶などが含まれ,その裾野は広い。
[アルコール飲料]
 日本の酒税法では,アルコール分1度以上の飲料を酒類と定め,清酒,合成清酒,焼酎(しようちゆう),みりん,ビール,果実酒類,ウィスキー類,スピリッツ類,リキュール類,雑酒の10種類に分けている。…

【カフェイン】より

アルカロイドの一種で,コーヒー豆,チャの葉,コーラの実等に含まれるキサンチン誘導体の一つである。絹糸光沢のある無色の結晶で,冷水,アルコールにわずかに溶け,苦味がある。…

【喫茶店】より

…公衆に主として非アルコール性飲料と歓談の場を提供する店。
[ヨーロッパ]
 コーヒーとともに普及したヨーロッパの喫茶店は,西アジア起源のものである。17世紀にフランスやイギリスに生まれたカフェやコーヒー・ハウスcoffee houseは,とくに重要な社会的・文化的・政治的な機能をもった。…

【サン・パウロ】より

…大西洋沿岸に近く,海岸山脈(セラ・ド・マール)を60km下れば,国内最大の港サントスがある。 市の中心は,元来セー聖堂を基点としたトリアングロ(三角地帯)を核として商業街,銀行街があり,すべての交通機関が都心に集中してきていたが,近年商業街の中心はアニャンガバウ谷間の向い側に移り,バスの発着所や中央市場も都心を離れたし,かつては〈コーヒー貴族〉の大邸宅街であったパウリスタ大通り方面への銀行・商社の移動も進行して,副都心の発達が目だちだした。住民は世界のおもな民族が集まっている。…

【サン・マルコ広場】より

…ナポレオンは,連続するアーケードで囲まれた広場を,〈ただ天空のみがその屋根としてふさわしいヨーロッパ最美のサロン〉と表現した。広場南辺のカフェ〈フロリアン〉は,1645年,ヨーロッパで最初にコーヒーを飲ませた店といわれる。【日高 健一郎】。…

【ダマスクス】より

…とくにメッカ巡礼の宿駅としてここには毎年多くの巡礼者が集結し,ダマスクス総督はアミール・アルハッジュとして自ら巡礼団をメッカまで先導する役割を果たした。これらの巡礼者は帰路メッカで購入したコーヒーや黒人奴隷を売却し,この影響で16世紀以後になるとダマスクスにもコーヒー店があらわれて人々の人気を集めた。オスマン帝国のシリア支配は18世紀初頭にはすでに弱体化し,これに乗じてアラブ系のアズム‘Aẓm家がダマスクスに半独立の政権を樹立した。…

【動脈硬化】より

…しかし,紙巻きタバコと脳卒中との間には関係があるとされながらも,虚血性心疾患ほど明快な答えは出されていない。コーヒー摂取量は一般的には心筋梗塞や脳梗塞などの粥状硬化性疾患とは関係ないとされている。心筋梗塞患者にコーヒー飲みが多いとする報告もあるが,このような患者では砂糖の摂取量が多い傾向にあるとされている。…

【ブラジル】より

…また,北東部の内陸は,しばしば干ばつに見舞われ,農牧業は多くの災害をこうむる。南部の農業地帯は,4月から10月ごろしばしば霜が降りて,コーヒーなどが害を受けたりする。 植生分布は,気候を反映して,アマゾン川流域には熱帯降雨林,ブラジル高原にはセラードといわれるサバンナがひろがる。…

※「コーヒー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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