タバコ(英語表記)Tabaco

デジタル大辞泉 「タバコ」の意味・読み・例文・類語

タバコ(Tabaco)

フィリピンルソン島南東部、アルバイ州の都市。「ルソン富士」と称されたマヨン山の北に位置する。農業が盛んで、米、アバカ(マニラ麻)などを産する。カタンドゥアネス島の港町ビラクサンアンドレスと航路で結ばれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「タバコ」の意味・わかりやすい解説

タバコ (煙草)

ナス科タバコ属Nicotianaの植物で,通常一年草。タバコ属は現在65種が発見され,多くはニコチン,アナバシンなど数種類のアルカロイドを含んでいる。現在栽培されているのはそれらのうちニコチンを主アルカロイドとするタバコN.tabacum L.(英名tobacco)とマルバタバコN.rustica L.(英名Aztec tobacco)である。後者は旧ソ連など限られた地域にしか栽培されておらず,栽培タバコのほとんどは前者である。なお,両種以外の種をタバコ野生種と呼んで区別している。

 タバコの種子は,ごく小さく赤褐色~黒褐色を呈し,多少平たい卵形で,長径0.7~0.8mm,短径0.5~0.6mm,1g中に1万2000~1万4000粒含まれる。発芽適温は25℃内外で,発芽に光を要するものが多い。草丈は1~3mで,直立し分枝が少なく,30~40枚の葉をつける。葉は長さ60cm内外の楕円ないしハート形で互生し,腺毛を密生して樹脂を分泌する。花は白色~淡紅色,漏斗状の筒状花で頂部は5裂する。長さは3cm内外でおしべ5本,めしべ1本。子房は2室に分かれ,多数の種子をつける。自殖性が強く通常95%以上の自殖率を示す。

タバコ属は南・北アメリカ大陸,オーストラリアならびに南太平洋の島々に広く分布している。そのうち南アメリカの北部から中部にかけての地域に,多くの種と変種が自生しており,その辺りがタバコ属の分化の地と考えられている。栽培タバコであるN.tabacum L.は複二倍体(ゲノム構成SSTT)と考えられ,体細胞は48本の染色体を有している。親となった野生二倍体はニコチアナ・シルベストリスN.sylvestris Spreng.(2n=24,ゲノム構成SS)とニコチアナ・トメントシフォルミスN.tomentosiformis Goodsp.(2n=24,ゲノム構成TT)で,両種の雑種倍数体化起源と考えられている。また,ニコチアナ・オトフォラN.otophora Griseb.が父方の祖先種ではないかとの説もあるが,最近の研究ではN.sylvestrisを母とし,N.tomentosiformisを父として成立したことが確認されている。いずれにしてもこれらの分布状態から,南アメリカのボリビア南部からアルゼンチン北部にかけてのアンデス山脈東側の地帯が栽培タバコの発生の地と推定されている。

タバコの喫煙は紀元前から中央アメリカのインディオに始まるといわれ,5世紀ごろのマヤ民族の遺跡には,神官が煙をふかしているレリーフが残っている。タバコは旧世界には15世紀末にコロンブス一行により伝えられた。当初,薬草として植えられていたが,やがて嗜好(しこう)品としてヨーロッパ各国に広まった。東洋への伝播(でんぱ)は,ポルトガル,スペインの東洋進出と軌を一にして,アフリカ,アジアの各地に伝えられた。日本へは南蛮船により,まず商品としてのタバコがもたらされ,喫煙習慣の端緒が開かれたのが天正年間(1573-92)といわれている。種子の初伝来については諸説あるが,それよりおくれて慶長年間(1596-1615)の初めごろ,指宿(いぶすき),長崎,平戸辺りに,それぞれ独立にもたらされたと考えられている(世界各地への伝播については,後述の[喫煙習俗の伝播]を参照)。

 日本伝来後,喫煙の習慣やタバコの栽培は急速に広まった。当初,幕府は冗費節約,火災予防などの名目で,禁煙令を相次いで出し,タバコの栽培にも制限が加えられたりしたが,寛永年間(1624-44)には広く各層に喫煙習慣が定着し,それとともに各藩ともタバコの栽培を奨励しはじめた。元禄年間(1688-1704)には各地に刻みタバコの銘葉産地が形成された。薩摩伝来の種子から国分葉,指宿葉などが,また水戸に伝えられ水府葉などが生じた。このほか,長崎伝来のものに由来する阿波葉,達磨(だるま)葉などがあげられる。これらの品種は気候,風土に馴化(じゆんか)して細刻み原料として成立し,1898年の葉タバコ専売移行時には全国で70種以上を数え,総括して在来種と呼ばれている。その後,嗜好の変化により紙巻タバコ(シガレット)原料用として黄色種がアメリカから輸入され,1897年の試作ののち瀬戸内沿岸を中心に広まった。さらにバーレー種を1933年にアメリカより輸入し,1938年から栽培が始められた。

以下,日本におけるタバコの栽培について述べる。タバコの一生は播種(はしゆ)から収穫まで約160日内外を要し,乾燥期間を入れると180日程度となる。播種,育苗は種子が微細であるので入念に行う。まず2~3月の低温期に保温された親床に播種して25~30日間育て,ついで子床に仮植する。子床での育苗期間は20~25日程度で,子葉を入れて9~11枚の葉数になった苗を本畑に移植する。移植は3~4月に行うが,まだ地温が低いためポリエチレンフィルムで土壌面を被覆して初期生育を促進し,品質,収量の安定と病災害の回避をはかる。移植は畝に深さ10cmほどの穴をつくり,そこに定植する方式が多い。最近では移植機による機械化が進展している。10a当りの植付本数は在来種で3000~4500本,黄色種で2000~2200本,バーレー種で2500本内外で,10a当り収量は葉タバコとして260kg前後である。畑は排水,通風,日照がよく,病害虫発生の少ないことが必要である。とくにタバコは多湿条件には不適であって,高畝栽培や深耕,耕盤破砕を行うとともに,良質堆肥を施用して適度の肥沃度を保ち,土壌の物理性を改善することが肝要である。

定植後60~65日,通常5~6月に開花するが,開花後5日間くらいで花枝部を切除する(心止め)。これは収穫対象である葉に養分を蓄積し,葉の充実と成熟を促すためである。葉は下位より黄緑色~淡緑色となり,適熟となったものを2~3枚ずつ順次収穫する。収穫葉は縄またはハンガーに連編み(れんあみ)または籠詰めにして乾燥室につり込む。黄色種では専用乾燥室で循環熱風による火力乾燥(フルーキュアリングflue-curing)を行う。在来種やバーレー種では木造もしくはビニル利用乾燥室において空気乾燥(エアキュアリングair-curing)を行う。黄色種では当初37~38℃,湿度は100%に近い状態で黄変を促し,経時的に昇温,排湿をはかり,葉色が鮮黄色となった段階で,68℃くらいで乾固させる。黄色乾燥の目的は,葉中のデンプン,タンパク質などの高分子化合物を分解し,タバコの香喫味に関与する糖やアミノ酸類を生成させ,独特の甘い芳香をもった葉タバコに仕上げることにある。在来種やバーレー種では自然条件下で長時間かけて葉色を褐変させ,飢餓代謝により内容成分をほとんど分解し,特有の香りや淡泊でマイルドな味をもたせる。このように乾燥を完了したタバコ葉を葉タバコと呼び,売買の対象とする。

 なお,ニコチンは根の分裂組織で生成され,地上部へ移動,蓄積される。心止め後に多く生成され,葉乾物の1~5%を占める。葉の着生位置が高いほどニコチン含有率が高くなる。また肥料,とくに窒素の施用量が多いと,ニコチン含有率が高くなり,同時に葉タンパク質含量も大きくなってひじょうな辛みとなるので,適正量の施肥が肥培管理上とくに重要である。

世界各地で栽培されているタバコの種類は次のように分けられる。

(1)黄色種 鮮黄色を呈し,甘い芳香を有する火力乾燥種で,紙巻タバコの主原料である。アメリカ(大西洋沿岸および南西部の各州),ブラジル,アフリカ(ジンバブウェなど),中国,インド,タイ,日本などがおもな産地である。排水のよい土壌と日照豊富な気象条件が望ましい。

(2)オリエント種 葉型が小さく,特有の芳香をもつ空気乾燥種で,シガレットのブレンドに香味を付加する原料として必要である。ギリシア,トルコ,ブルガリアなどの地中海性気候の乾燥地帯に主要産地があって,多日照と極端な寡雨が特有の香味を生み出す。多雨地帯である日本では生産されていない。

(3)バーレー種 アメリカで発見された葉巻用品種から突然変異でできたものといわれる。葉緑素が少なく白みを帯びている。空気乾燥種で,香料の吸着性が高い。シガレットのアメリカン・ブレンド製品に欠かせない種類となっている。アメリカ(ケンタッキー州テネシー州),アフリカ(マラウィなど),南米(ブラジル,アルゼンチンなど),イタリア,韓国,メキシコ,日本などで生産されている。

(4)葉巻種 葉巻用の種類で高温,多湿で地力の高い地方で栽培される。葉が薄く,乾燥終了ののち発酵処理を行い,特有の香りを生み出す。アメリカ(コネティカット州,フロリダ州),キューバ,インドネシア,フィリピンなどで産し,スマトラ葉,ハバナ葉,マニラ葉などが銘葉として有名である。

(5)在来種 古くからそれぞれの国や地方で独自に栽培されてきたもので,空気乾燥を行い,葉色は黄褐色~黒褐色。世界各地で栽培されており,日本の松川,アメリカのメリーランド,ブラジルのガルボンなどが知られている。シガレットの補充原料として使われる。葉が薄く,味が軽いものが多い。そのほか国によりパイプ用や葉巻用として使われることもある。

葉タバコは世界のほとんどの国(統計上118ヵ国)で生産されており,作付面積は約430万ha,総生産量は約720万tとなっている(1996)。生産量の第1位は中国で,総量の40%を占め,次いでアメリカ,インド,ブラジル,トルコと続く。種類別に見ると黄色種が約64%,オリエント種が8%,バーレー種が12%で,残りが在来種や葉巻種である。日本では約2万6000ha作付けされ(1997),約7万tの生産がある。北海道,東京,神奈川,大阪を除く各県で生産されているが,東北および九州地方に多い。黄色種が約65%を占め,沖縄県より北関東地方に至るまで分布するが,主として西南暖地に多い。これは黄色種の栽培に豊富な日照と温暖な気候を要するためである。在来種は約2%産し,おもに関東・東北地方で作られている。在来種は古くから刻みタバコの原料として広く全国各地で栽培されていたが,シガレットへの嗜好の移り変りと,栽培,乾燥に多くの労働を要することなどから,黄色種などへの品種転換が進んだ。バーレー種は東北地方で生産され,アメリカン・ブレンド製品の原料となっている。

 日本の葉タバコ生産は,1898年より葉タバコ専売制度のもとにおかれていたが,1985年4月より専売制度が廃止され,特殊会社(日本たばこ産業(株))と契約して栽培することとなった。国際競争時代に向けて今後の課題として,労働時間の短縮と規模拡大による低コスト生産,および主産地形成,品質の向上が叫ばれている。
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葉タバコを原料として加工したタバコ製品は,〈シガレット〉〈葉巻〉〈刻みタバコ〉〈嚙(か)みタバコ〉〈嗅(か)ぎタバコ〉の五つに分類される。15世紀末にタバコがヨーロッパへ伝えられて以来,ヨーロッパでは葉巻と刻みタバコが,上流社会では嗅ぎタバコが普及していったが,19世紀後半にシガレットの製造が工業化されて以来,シガレットの需要が年々伸びて,現在では,全世界の葉タバコ生産量の8割以上がシガレットとして消費されている。

(1)シガレットcigarette 0.5から1.2mm程度に細かく刻んだタバコを,麻を主原料とする薄い紙(ライスペーパー)で棒状に包んで成形したもの。製品形態としては,両切り,口付き,フィルター付きがあるが,現在はフィルター付きが圧倒的な割合を占めている。製品形態以外に,使用する原料葉タバコや加工処理法の違いにより,多種類の香喫味が出るが,大別すると以下の三つになる。(a)アメリカン・ブレンド 黄色種40%前後,オリエント葉15%前後に30%前後のバーレー種を配合し(そのほか葉脈部分を15%加える),バーレー種に多量の香料を加えて,特別な加熱加工処理をした製品で,バーレー加工葉の特有の香喫味をもつ。1913年アメリカで発売された〈キャメル〉が起源である。54年アメリカのR.J.レーノルズ・インダストリーズ社(〈アメリカン・ブランズ〉の項を参照)が発売したフィルター付きタバコの〈ウィンストン〉が大ヒットして,フィルター付きタバコの時代を迎えるとともに,アメリカン・ブレンドは世界中にその需要を伸ばしている(日本では〈チェリー〉〈マイルドセブン〉〈キャビン〉など)。(b)バージニア・ブレンド 黄色種を主原料とし,アメリカ産黄色種のもつ香りと甘みのある喫味を生かしたもので,イギリスで発達した。このタイプの製品には糖類などの添加物は使っていない(〈ピース〉がこれに近い)。(c)トルコ巻 オリエント種を主原料とし,その特有の芳香とマイルドな味を特徴とする。このタイプには楕円形に巻いたものがある。(d)このほかに,暗色タバコを堆積発酵させた原料を使用して,独特のにおいをもつフランスの黒タバコや,オリエント葉を20~25%配合したマイルドで香りの高いジャーマン・ブレンドなどがある。

 シガレットの太さは外周で表し,17~28mmの範囲であるが,世界的には25mmが主流である。また長さによって,ミニサイズ(70mm未満),レギュラーサイズ(70mm),ロングサイズ(80mm),キングサイズ(85mm),スーパーキングサイズ(100mm以上)に区分され,日本ではキングサイズが主流である。しかし,1960年代になって喫煙と健康に関する社会的関心が高まり,タバコの喫味のマイルド化(低ニコチン・低タール化)に拍車がかかり,フィルター付きタバコの割合は主要国では圧倒的な比率を占めている(ほとんどの国が八十数%~九十数%。1996)。アメリカでは煙中タールが15mg以下の紙巻タバコが約6割(1995)で,低タール製品が主流である。

(2)葉巻cigar キューバ産のハバナ葉巻とフィリピンのマニラ葉巻が有名。製造法からは手巻,形巻,機械巻に分けられるが,いずれも香味の主体となる塡充(てんじゆう)葉(中南米,フィリピンが主産地)を,中巻葉で巻いて所定の形とし,さらに外巻葉(キューバ,アメリカ,インドネシア,フィリピンが主産地)で外観をととのえる。従来からある葉巻は,近年の嗜好の変化により需要は減退している。この傾向に歯止めをかけようと1960年代より,中巻き,上巻きにシートタバコ(葉タバコを原料として人工的に紙状に成形した模造タバコ)を使った機械巻,あるいはシガリロまたはリトルシガーと呼ぶ小型で低廉な葉巻が発売されている。

(3)刻みタバコ パイプやきせる用のものと手巻用とに分けられる。パイプタバコには,黄色種を主体としたイギリス・タイプと,バーレー種を主体とするアメリカ・タイプがある。(a)スモーキング・ミクスチュア 黄色種に,ペリキュー葉(アメリカのルイジアナ州産,生葉を強制発酵させた黒色の葉)やラタキア葉(シリア産,薫煙乾燥し,薫臭をともなう芳香をもつ)を配合した荒刻みの製品。(b)フレークカット 黄色種を主原料とし,高温,高圧で処理して喫味をマイルドにして,多量の香料を加えた製品。(c)手巻用刻みタバコ 欧米で根強い需要があり,香料を多用したパイプタバコに類似し,刻み幅は紙巻タバコより細く,自分でライスペーパーに巻いて吸う。(d)細刻みタバコ 日本の各地でできる在来種を多種類一定の順序で積み重ね,約0.1mmの幅に細かく刻んだもので,きせるにつめて吸う。手触りがふっくらと柔らかく繊細であり,日本各地の銘葉の芳香を生かした喫味であったが,現在は製造していない。

農家の手で生産された葉タバコは,買い付けられ集荷されて,原料工場で第1次の加工処理をして一定の形状(樽,ケース,ベールなど)に詰められた後,1年以上貯蔵,熟成されてから,タバコ工場でシガレットに加工される。黄色種やバーレー種など葉形の大きい葉タバコは,葉肉部と葉の主脈(中骨(ちゆうこつ)と呼ぶ)の物理・化学的性質に大差があり,太い中骨が刻みに混じると製品の品質上好ましくない。そこで原料工場では,農家から買い入れた葉タバコを用途区分ごとにまとめて加温調湿したのち,除骨機と分離機を通すことにより葉肉部と中骨に分離し,それぞれ別々に貯蔵,熟成に最適な水分をもつように乾燥する。この加工処理により,葉タバコの良化と均質化がはかられ,原料の種類に応じた梱包密度で一定の形状に詰められる。ケース等に詰められた葉タバコは倉庫で貯蔵,熟成するとともに,原料葉タバコとして国際的に取引される。熟成期間は原料葉タバコの種類,用途により一定しないが,1年以上蔵置される。熟成することにより,黄色種,バーレー種など品種本来の芳香と香味が発現する。それぞれの銘柄特性は,葉組とそれに加える香料ソース類と使用材料品,そしてタバコ工場での加工処理によって決まる。各銘柄の品質設計として,銘柄ごとに葉組配合標準,香料標準,材料品規格がある。タバコ工場ではこれらの規準に基づいて製品を製造するしくみになっている。

 シガレットの製造工程をみると,原料葉タバコを刻みまで加工する原料加工工程と,刻みを紙巻タバコに成形して包装する製品工程からできている。原料加工工程は以下の6工程からなる。(1)熟成ずみの各種原料は樽,ケース等から取り出され,その銘柄に必要な量を加工処理の順序どおりに分割し,積み上げる。(2)分割供給機により,原料は一定流量で調和加香機に入り,熱と水分を加えられ,解除展開しながら香料を添加し,原料を改質するとともに銘柄特有の喫味を付与し,合わせて刻むときに粉砕されにくい水分含量になるように調湿する。1葉組を構成する30~40口座の原料は,薄い層に展開しながら,堆積サイロで幾層にも積層することによりブレンドされる。(3)アメリカン・ブレンドの製品については,バーレー系の原料に加香ソース(ココア,砂糖,多価アルコール,甘草エキスなど)を加え,加熱処理しながら原料によく浸透させたのち,前述の堆積サイロに積層する。(4)堆積サイロから取り出した原料は,回転式裁刻機で0.5~1.0mmの幅に刻む。一方,(5)原料工場で分離した中骨については,樽やケース等から取り出して加湿加温したのち,中骨の組織が柔軟になるまで一定時間サイロに蔵置する。この中骨をローラーで圧展し,回転式裁刻機で0.2mm程度に刻み,加熱加香したのち,除骨葉の刻みと同程度の水分になるまで乾燥して,中骨刻みサイロに積層する。(6)除骨葉刻みと中骨刻みは定比率配合装置で一定の割合で配合したのち,12%程度の水分になるように乾燥,冷却し,香料(それぞれの銘柄に最終的な特徴と個性をもたせる芳香性の香料)を加えて刻みサイロに蔵置する。

 次に製品工程は次の3工程からなる。(1)刻みサイロから刻み供給機で風送された刻みは,巻上機によってライスペーパーで棒状に成形され,一定の長さに切断されてフィルター付け機でフィルターが付けられる。(2)フィルター素材はそのほとんどがアセテート繊維であり,一部に紙フィルター等がある。形態としては,単一構造(プレーン),異質のろ過材の2層構造(デュアル),3層構造(トリプル)等があり,〈マイルドセブン〉は活性炭を配合したデュアルフィルターを使用している。巻上機とフィルター付け機は連結されており,その能力は1分間に4000~8000本であるが,世界には1万4000本/minの新鋭機が登場しつつある。これらの巻上機には刻み重量の自動制御装置や,製品を1本ずつ検査する品質検査機構が装備されている。(3)包装機ではおもに10本または20本ずつ整列してアルミ箔で中包みし,外包みした上に防湿効果をもつフィルム(セロファンまたはポリプロピレン)で包む。外包みの種類は包裹(ほうか)(ソフトパック)と小箱(ハードパック)に大別される。アメリカや日本ではソフトパックが,イギリスではハードパックが主流である。包装機の能力は1分間に250~700個である。10本,20本詰した包裹詰品は,10個または20個単位で中間包装し,検査工程を経て段ボールに詰められ,市場に出荷される。

全世界で製造されるシガレットは,マクスウェルMaxwellの統計によれば5兆5790億本(1995)である。タバコ製造業は世界的に企業集中が進んでおり,上位5社(フィリップ・モリス,B.A.T.インダストリーズ,R.J.レーノルズ,JT,ロスマンズ)で全世界消費量の40%,約2240億本を占めている。残る60%はその他民間企業と国有専売企業によって占められているが,その割合は減少している。世界のたばこ消費上位3国は,中国,アメリカ,日本である。アメリカにおいては,フィリップ・モリス,B.A.T.インダストリーズ,R.J.レーノルズでシェアの約9割を占めているが,近年の喫煙をめぐる訴訟や喫煙環境の悪化を受けて,海外進出をさらに積極的に進めている。

日本のタバコに対する課税は1876年に始まったが,収入確保の面から難点があり,98年から葉タバコについて専売制をとることとなった。しかし,諸般の事情により所期の収入が得られなかったので,日露戦争の戦費調達のため,政府はタバコの生産,製造,販売におよぶ完全専売制を1904年から実施した。第2次大戦後,事業の企業性を生かすために,タバコ専売は大蔵省専売局から49年6月に日本専売公社に塩およびショウノウの専売事業とともに移管された(ショウノウ専売は1962年に廃止。塩専売は,日本たばこ産業(株)に引き継がれた後,97年4月に廃止)。その後,専売制度改革により,80余年にわたるタバコ専売制度に終止符が打たれ,1985年4月に日本たばこ産業(株)が設立され現在に至っている。

日本においては,タバコが伝来してから明治初年に至る長い間,日本の各地で栽培された在来種のタバコを,細刻みにしてきせるで吸う〈刻みタバコ〉しか発達しなかった。明治30年代には,産地を代表する120種以上の在来種の名称があったが,なかでも水府葉(茨城県),国分葉,出水葉,垂水葉(以上鹿児島県),秦野葉(神奈川県)などが銘葉といわれた。刻みタバコは家内工業や手内職程度の零細な業者でつくられ,仲買人の手で流通した。数ある刻みタバコの中で,〈薩摩刻み〉や〈水府刻み〉は評判が高かった。

明治維新以後,殖産興業と文明開化の波にのって,欧米からの輸入タバコが流行し始めた。なかでもきせるのいらない紙巻タバコに人気が集まった。この風潮をいち早く先どりして,1872年東京の土田安五郎が国産の紙巻タバコを製造したといわれているが,国内一般に口付きタバコを広めたのは岩谷松平で,84年に東京の銀座に岩谷商店を開設,世間の人を驚かすはでな宣伝広告で〈天狗印〉を売り出した。同じく東京の千葉商店がその翌年に〈牡丹印〉を世に出した。90年には京都の村井吉兵衛が日本最初の両切タバコ〈サンライス〉を発売し,村井兄弟商会の名を広めるとともに,渡米してタバコの製造法を学び,アメリカから輸入した葉タバコを使った新製品〈ヒーロー〉を94年に売り出した。この〈ヒーロー〉はその味が輸入タバコに似ており,景品付き販売やユニークな広告宣伝も功を奏し,タバコ民営時代の大ヒット銘柄となった。タバコ産業の揺籃(ようらん)期に起こった日清戦争(1894-95)は,軍用によって紙巻タバコを普及させるとともに,日本のタバコ製品を朝鮮や中国へ進出させた。1904年には,日本の民営タバコの輸出総額は年間270万円に達した。

 1890年アメリカの5社で組織したアメリカン・タバコ会社は,世界的なタバコ・トラストとして名をはせていたが,日本ならびに東洋へ進出する方策として,日本の有力業者の村井兄弟商会と提携を図り,99年日米が半額ずつの出資で,資本金1000万円の(株)村井兄弟商会が設立された。これを機として東西の両雄の岩谷と村井は,これまでの対抗意識をさらに燃やして激しい広告・宣伝合戦をくり広げた。愛国心を売物にした岩谷に比して,機械による量産化,新製品の開発投入,新機軸な販売促進策など,タバコ産業の近代化を積極的におし進めた村井兄弟商会は一段と優位に立った。村井と手を握ったアメリカン・タバコ会社は,その資本力と技術,そして村井の販売ルートを利用して,短時日のうちに日本の市場を制圧する勢いを示すにいたった。専売制になる直前には,きわめて少数の巨大製造業者(村井兄弟商会,岩谷商店,千葉商店)と,5000をこす零細業者という二極に分化した状況であった。

 民営時代のタバコ輸出入業者を中核として,政府の指導のもとに1906年東亜煙草会社が設立された。この新会社は専売局製造のタバコの輸出と,現地での製造販売にとり組み,約半世紀の間ブリティッシュ・アメリカン・タバコ会社(アメリカン・タバコ会社の後継会社で,現在のB.A.T. インダストリーズ社)と中国市場で激烈な競争を続けた。

1904年タバコ専売法により,タバコの製造を含めた完全専売制となり,大蔵省専売局が所管した。専売局時代のタバコは,時代を追って,刻みタバコの時代(明治),口付きタバコの時代(大正),両切りタバコの時代(昭和)と変遷した。

 (1)刻みタバコ 専売制の発足時から17年ころまで,タバコの総需要のうち70%以上を占めており,2万5000t(紙巻タバコ換算250億本)前後の売上げがあった。その後43年の2万tの水準まで漸減するが,ほぼ一定の根強い需要があった。刻みタバコには上級品の〈福寿草〉〈白梅〉以下〈さつき〉〈あやめ〉〈はぎ〉〈なでしこ〉などの銘柄があったが,販売数量では1919年までの15年間は下級品の〈はぎ〉が第1位を占め,〈あやめ〉〈なでしこ〉が続いた。(2)口付きタバコ 1916年ころまでは50億本程度の需要であったが,第1次大戦による好景気で急速に需要が高まり,24年には230億本のピークに達した。1920年から25年までは中級品の〈敷島〉が,26年より29年までは〈朝日〉が,刻み,口付きを含め販売1位銘柄となった。(3)両切りタバコ 第1次大戦後,不況の慢性化とともにタバコには低価格品への需要の転移が激化した。手軽で安価な両切りタバコの下級品,なかでも〈ゴールデンバット〉の売行きが著しく伸長した。販売数量も,両切りタバコは30年に口付きタバコを追い抜き,34年には刻みタバコをしのぎ,両切りタバコ時代を確立した。日本の国力が充実した35-37年ころ,上級品には〈コハク〉〈ホープ〉,中級品に〈チェリー〉〈光〉,下級品に〈ゴールデンバット〉〈ほまれ〉,トースト処理をした〈暁〉などがあった。第2次大戦前の両切りタバコの代表は,戦前,戦中の15年間販売1位の座を占めた〈ゴールデンバット〉といえよう。43年にはタバコの製造数量は戦前のピーク810億本を記録した。そのうち両切りタバコは474億本であった。

 1945年,敗戦により戦争は終わったが,タバコ工場33工場のうち14工場が戦災をうけて,タバコ製造能力の55%を喪失した。推定需要量800億本に対して,45年の製造数量は357億本まで落ち込んだ。戦後数年間のタバコ不足はきわめて深刻で,やみタバコが横行した。タバコは1944年より割当配給制が続いていたが,46年に値段は高いが自由に買える自由販売品の〈ピース〉〈コロナ〉が発売された。戦災工場の復旧と製造能力の増強に全力が傾注され,その結果50年には,戦前の製造能力まで回復したので,タバコの割当配給制はその年の4月に廃止され,全製品が自由販売されるようになった。

1949年6月公共企業体として日本専売公社が発足した。専売公社が国からの委任をうけて,タバコ事業を進めることになった。59年のタバコの販売状況を戦前の1936年と対比すると,(1)1人当りのタバコ消費量が約5割増加した。(2)両切りタバコが97%の圧倒的シェアを占め,刻みタバコ(2%強)と口付きタバコ(0.3%)は見る影もなくなった。(3)戦前は下級品のタバコが8割を占めていたが,戦後は上・中級品の伸長が著しい。すなわち,上級品の大衆化が進んだことなどがわかる。戦後の原料不足は国産葉タバコの増産で解消し,50年からは外国産タバコの輸入も再開された。〈ピース〉〈光〉〈いこい〉〈しんせい〉〈ゴールデンバット〉などの銘柄が,公社発足以来昭和30年代までの両切りタバコ全盛時代を支えた。量的には〈しんせい〉が11年間トップの座を占めた。

 日本経済が高度成長期に入るのとほぼ時を同じくして,日本のタバコ事業は急速に近代化を進め,一大飛躍をとげた。60年のフィルター付きタバコ〈ハイライト〉の登場が,タバコの消費革命をひき起こした。除骨葉方式と高速巻上機に代表される技術革新は,タバコの製造工程を一新するとともに,タバコ工場の合理化をおし進めた。〈ハイライト〉は従来になくユニークな新製品で,両切りタバコに比べると一段とニコチン・タールの少ないマイルドな味であった。〈ハイライト〉が発売された60年度の販売総数量は1265億本で,フィルター付きタバコのシェアはわずかに3%であったが,70年度には販売総数量は2227億本,フィルター付きタバコのシェアは90%となった。この10年間で,タバコの消費量は1000億本近く増加するとともに,日本のタバコ市場の9割はフィルター付きタバコになった。このタバコ市場革命の立役者が〈ハイライト〉で,1965年から10年間販売1位の座を占め,味のマイルド化を推進した。

 消費者の嗜好の変化と多様化に対処して,68年にはチャコール・フィルター(活性炭を仕込んだフィルター)を付けた〈セブンスター〉,69年にはアメリカン・ブレンド・タイプの〈らん〉〈チェリー〉が発売された。1962年にイギリスで,翌々年にアメリカで公表された〈喫煙と健康の報告書〉を発端として,喫煙と健康に関する関心は日本でもしだいに広がりを見るようになった。消費者の嗜好は〈ハイライト〉より煙中タール・ニコチンの少ない,味のマイルドな〈セブンスター〉のほうへ急速に傾斜していった。発売されて7年目の75年には〈セブンスター〉はトップ銘柄となった。世界のタバコ市場では,アメリカン・ブレンド・タイプの製品が消費を拡大しつつあるが,〈ハイライト〉〈セブンスター〉は日本独自のタイプの製品である。食生活の洋風化に同期して,アメリカン・ブレンド・タイプで,〈セブンスター〉より味をマイルドにした〈マイルドセブン〉が77年に発売され,世界的なタバコの味のマイルド化の潮流に乗って,発売2年目の78年度にはトップ銘柄となった。〈マイルドセブン〉は成長をつづけ,83年度には販売構成比42%,1280億本の巨大な銘柄となった。

 日本のタバコ消費量は,1975年まで順調に拡大して総数量は2900億本に達したが,75年の小売価格の値上げを機として,需要の伸びは低迷している。75年を転換期として,成熟度の高い低成長のタバコ市場に構造的に変化したと認識せざるをえない。84年8月に〈専売改革関連法案〉が公布され,85年に日本たばこ産業(株)が設立された。また85年のタバコ輸入自由化ならびに87年の関税の無税化により,外国タバコメーカーは日本国内において日本たばこ産業と同等の条件で流通・販売活動が行えるようになり,急速にシェアを伸ばした(1996年度の外国タバコシェアは22.3%)。日本におけるタバコ市場は96年度で年間約3483億本,小売価格で約4兆円の規模となっている。
執筆者:

パイプで植物の葉をくゆらして煙を吸う風習は,すでに前800年ころのヨーロッパや古代エジプトにみられた。しかしこれはヒイラギなどの芳香性の葉を用いたもので,タバコの葉を用いる喫煙は,その原産地である熱帯アメリカのマヤ族に起源をもつ。彼らは太陽の崇拝者で,火や煙を神聖視し,パイプでタバコの葉をくゆらして,その煙を病人の身体に吹きかけ病気を治療した。彼らは葉巻タバコや葉を粉末にした嗅ぎタバコも用い,ときにはこの粉末をこねてだんご(団子)にしたものを病人に食わせ,吐きけをもよおさせて病毒を体外に出させることもおこなわれていた。旅行中の空腹時にはタバコの粉を丸めてのんだとも伝えられている。このような習俗はアステカ族に受け継がれ広められた。

 1492年コロンブスの一行はサン・サルバドル島に上陸し,初めて喫煙の儀礼を受け,一部の水夫は喫煙の風習に染まった。だが大部分の者はタバコを薬草,珍草としてスペインへ持ち帰り,同時に現地人がパイプの名として用いていた語をタバコの名として旧世界に伝えた。新世界の探検はその後も続き,喫煙などの珍しい風習が人々に知られるようになったが,敬虔(けいけん)なカトリック教徒の多いヨーロッパでは,喫煙は異教徒の風習とされ,容易に根づかなかった。

 ヨーロッパにおける最初のタバコ栽培は,ゴジエが1558年にフロリダから種子(ルスチカ種)を持ち帰り,ポルトガルのリスボンの王宮の庭にまいたことに始まる。当時,ポルトガル駐在のフランス大使であったジャン・ニコJean Nicotはこの種子を譲り受けて,59年母国の皇太后カトリーヌ・ド・メディシスに頭痛薬として送った。彼女がそれを嗅ぎタバコとして用いたことにより,パイプタバコを紳士の体面をけがすものと排斥していたフランスの宮廷でも,ようやく嗅ぎタバコが流行するようになる。タバコぎらいのルイ14世は,1674年タバコを専売にして国庫の増収をはかった。イタリアでも1561年にポルトガルからタバコが薬草として伝えられ,17世紀にはカトリックの僧の間でもパイプタバコが広まった。なおタバコ属をニコチアナというのは,ジャン・ニコにちなんだもので,1670年に発行された農書に載っている(またニコチンという名は1828年にポッセルトW.H.PosseltとライマンK.L.Reimannが葉タバコから分離抽出した有毒物質につけたもの)。

 16世紀後半にはイギリスへ新世界のバージニア植民地から最初のタバコがもたらされた。初めは精力剤とされたが,まもなくパイプタバコが流行し,これがイギリス紳士のシンボルとなって,17世紀初めにはロンドンにも数千軒のタバコ店が出現するにいたった。この喫煙の流行に貢献をしたのがW.ローリーである。

 しかしその当時輸入タバコの値段が高かったため,国外へ多額の金が流出するにいたったので,政府は高率の関税を課してその輸入を抑えたが,成功しなかった。タバコぎらいで,王権神授説の主張者であったジェームズ1世(在位1603-25)は,1604年に〈タバコへの挑戦〉と題する有名な抗議書を出して,喫煙を蛮人の汚れた行為としてひどく非難した。これに対して医師やその他の市民の間でタバコに対する賛否論がやかましくなり,ついに翌05年,オックスフォード大学で王の臨席のもとにタバコ討論がひらかれたが,王の力をもってしても庶民のあいだの喫煙を禁ずることはできなかった。そこで彼は輸入タバコに高税をかけ,その販売を独占した。

 次の王チャールズ1世(在位1625-49)はさらに喫煙を弾圧して専売を強化したが,彼の圧政によって内乱が起こり,彼はついに首をはねられ,人民の勝利によって喫煙はよりいっそう増加した。さらに65年の疫病流行のとき,当時フランスから伝わった嗅ぎタバコが流行病に対する予防効果をもつという理由で,女や子どものあいだにも大流行し,同時に船員から伝わった嚙みタバコも同じ目的で流行した。その結果,政府はタバコに対する弾圧政策をやめ,輸入税によって国庫の増収をはかる方針を強化した。そのころコーヒーや紅茶も輸入されて,ロンドンでは喫茶店や喫煙所が生まれ,それらの場所が市民の社交や歓談の中心地となった。

 さらに,19世紀に入るとマッチが発明されて,喫煙家にも愛用されるようになり,やがてヨーロッパ大陸へも伝えられた。さらにナポレオン戦争(1808-14)の際にはスペインから葉巻が,クリミア戦争(1853-56)ではフランス兵やトルコ兵と接触したイギリス兵を通じて紙巻タバコが伝えられ,イギリスの上流社会で歓迎され,紙巻タバコはやがて庶民の間に広まった。

 タバコはドイツでも16世紀には薬用,観賞用とされていた。しかし三十年戦争(1618-48)でドイツ兵の中に喫煙が広がり,17世紀半ばペストの流行を機に予防薬として急速に庶民の間にタバコが広まった。ドイツの諸侯国では喫煙が火災の原因となり,またタバコによる国民の奢侈(しやし)を抑えるため,喫煙やタバコ販売を禁止したが,効果がなかったため専売制をしいた。17世紀末にはフランスから嗅ぎタバコが移入され,18世紀初め以降は上流社会ではそれがパイプタバコを駆逐した。しかし庶民の間ではパイプタバコの流行が根強く,とくに1848年の三月革命では,大衆は封建領主に対する反抗のシンボルとして,パイプタバコを吸って戦った。

 17世紀初めポーランドやトルコやイギリスの船員を経てロシアに入った喫煙は,農民や都市民衆に盛んに受け入れられたが,ここでも奢侈と火災のため教会や政府から弾圧を受けた。禁煙令をやぶったものは流刑,財産没収,鼻そぎなどのきびしい罰則が適用されたが,それでも効果はあがらず,ついにピョートル1世は1698年イギリス人にタバコの国内販売を許可することとし,多額の納付金を納めさせて国庫の収入を増大させた。

 トルコ人は16世紀末にベネチアの船員や商人を経てタバコを知った。しかし同国でも喫煙は弾圧を受け,17世紀前半ムラト4世は禁煙に反対する民衆の首2万~3万をはねたという。17世紀後半には禁令も解け,上流社会ではパイプタバコや嗅ぎタバコ,民衆の間では水ぎせるによる喫煙が好まれた。タバコの栽培も盛んとなり,同国は有数の輸出国となる。

 17世紀初めにラテン・アメリカからスペイン人の手で直接フィリピンへ伝えられたタバコは,まもなく福建省を経て中国に入った。最初はここでも薬用,ことに軍隊のマラリア予防剤とされ,まもなく皇帝らによる弾圧の目をかすめて大衆の間に喫煙が広まった。初めはフィリピン人から知った粘土パイプを用いたが,後には木で丸い火皿を作り,それに竹軸を差し込んで喫煙した。奥地では葉巻もみられた。また17世紀中ごろにポルトガル人から嗅ぎタバコが伝わり,上流社会に流行し,りっぱな容器が工芸品として作られた。

 中国の商人は17世紀末に満州からさらに東部シベリアに商業的な進出をこころみて,この地方にタバコを広めたが,ちょうどこのころにはロシア政府からシベリア地方におけるタバコの専売権を得たイギリスの商人がこの地方へ進出していたので,両者はタバコ販売合戦を演じ,ついに1701年中国商人はシベリアにおけるタバコの販売を禁止された。しかしこの事件は西回りした新世界のタバコと東回りしたタバコが出会ったことを意味する。コロンブスがアメリカを発見して以来,わずか200年にしてタバコは世界を一周したのである。

 日本には1543年(天文12)ポルトガル人により種子島(たねがしま)へ鉄砲とともに伝えられたというが確証はない。記録によると永禄~天正(1558-92)のころ南蛮船により九州に伝えられ,本州に広まったようである。そして文禄・慶長の役(1592-98)のとき喫煙は日本から朝鮮に伝えられ,また従軍兵士が帰国後それを全国に広めた。慶長年間(1596-1615)にはすでに各地で女性や子どもがタバコをふかす姿がみられ,長崎ではタバコが栽培されていた。喫煙具がぜいたくになり,またタバコ火による火災が続発したため,江戸幕府は1609年に最初の禁煙令を出し,違反者を厳重に処罰した。

 当時はタバコの葉を刻んで紙にはり,巻いて葉巻のようにして吸った。のちにはパイプをまねて竹の節で火皿を作り,それに竹軸を差し込んで吸い,この竹パイプをきせると呼んだ。火皿はやがて小さいシンチュウ製になるが,これは刻みタバコを使用したからで,当時のタバコは質がよく,うまかったという。一般に煙草,丹波粉,淡婆姑などの字をあて,糸煙,相思草,返魂(はんごん)草などとも呼んだ。

 日本でもたびたび禁煙令が出たが効果はなく,ついには遊郭や幕府大奥にまで喫煙が普及し,庶民も喫煙具に贅(ぜい)を競った。しかし嗅ぎタバコ,葉巻,紙巻タバコや水ぎせるはついに普及することなく,明治時代まで刻みタバコが中心であった。また幕府は諸外国のようにタバコの専売制をとることができなかったが,明治政府は種々のタバコ税を課し,1904年,日露戦争の最中にタバコ専売制を実施した。以後,その専売益金は国家財源の重要な支柱となった。
パイプ
執筆者:

コロンブスがアメリカ大陸を〈発見〉したころには,原住民のインディオはタバコを栽培し,利用していた。インディオにとってタバコは単なる嗜好品ではなく,超自然的な力をもった植物で,とくにその煙は神々や精霊への捧げ物として,宗教的な儀式には欠かせないものであった。タバコの煙は戦争の神への勝利祈願の際の捧げ物であると同時に,休戦協定の調印のしるしでもあった。タバコの煙は,神々の怒りの表現としての自然的災害を鎮めるための捧げ物としても使われた。タバコ,とくにその煙には病気を治し,傷を化膿させない特別な力があると信じられており,さまざまな形で病気の治療に使われた。病人をタバコの煙でいぶすことは,南アメリカのインディオの標準的な病気治療法の一つで,現代においても民間治療者によってよく利用される。その際,タバコの煙自体が病気を追い出す力をもつと考えられている場合もあるが,タバコの煙は,病人の体内に入りこんだ〈病気の精霊〉を追い出すために,治療者の霊あるいは治療者を助ける精霊を送りこむ媒体であると考えられている場合もある。

 タバコは1518年ころ,スペイン人によって初めてヨーロッパにもたらされ(この年代については別の説もある),1550年代から60年代に急速に広まり,栽培されるようになった。栽培地域が急速に拡大したのは,タバコが新しい万能薬として紹介され,インディオが健康でヨーロッパ人を悩ましていた病気を知らないのは,このタバコの効によると信じられたからである。タバコは,ペストをはじめ,さまざまの病気の治療にヨーロッパじゅうで使われたが,17世紀以降しだいに嗜好品として定着するようになった。

 アメリカ大陸原住民のタバコ使用法には地域的な差があり,大別すれば,北アメリカでは喫煙(パイプ,葉巻),中央アメリカでは嚙みタバコ,南アメリカでは嗅ぎタバコが主であったと考えられている。ヨーロッパでは最初パイプによる喫煙法が普及したが,18世紀には,香りを楽しむ嗅ぎタバコがフランス上流階級を先頭にしてひじょうに流行し,喫煙の時代は終わったとさえいわれたほどであった。しかし,19世紀にはアメリカで改良されていた葉巻が,パイプを使用しない簡便さから,ナポレオン戦争でスペインに従軍した軍人たちの間でもてはやされ,流行するようになった。紙巻タバコ(シガレット)は1842年にフランスで商品化されたが,その利用が急速に増大したのは第1次世界大戦のころからである。こうした流行とは別に,嚙みタバコも喫煙できない場所でのタバコの楽しみ方として受け入れられてきたし,またパイプは世界各地でさまざまな意匠を凝らして発展した。最も贅をつくし,洗練されたパイプは水パイプであるといわれ,中近東から中国にかけて普及している。水パイプは,一度水中をくぐることによって冷却され,〈清浄化〉された煙を吸えるように考案されたといわれている。

 日本へのタバコの渡来は,記録によると,1570年代にポルトガル人によって長崎へもたらされたものが最初とされるが,1600年ころにはタバコの種子が輸入され,栽培が始まっている。喫煙法としてはきせるが普及し,17世紀以後喫煙道具であるきせる,タバコ入れ,タバコ盆などが工芸品として発展した。国産の紙巻タバコは1872年に登場した。16世紀から17世紀にかけて,ヨーロッパでは喫煙が異教徒の蛮習,病気の原因,異臭などを理由に禁じられたり,タバコに重税が課されたりしたが,日本でもタバコへの作付転換による稲の作付減少をおもな理由として,数度のタバコに対する禁令が出されている。こうした障害にもかかわらず,喫煙は大衆文化として生きのびてきたが,現代においては肺癌の元凶として,再び喫煙の禁止を求める声が高まりつつある。
執筆者:

タバコ喫煙者では,非喫煙者に比べて,慢性気管支炎や肺気腫などの呼吸器病をはじめとして,肺,口腔,喉頭,食道の癌,狭心症や心筋梗塞あるいは脳血管の障害の発生率の高いことが知られている。また,喫煙妊婦では死産の危険が高いことや,出生児の体重が低いことも報告されている。タバコの煙には数千種にも及ぶ物質が存在しているが,タバコ葉の主成分であるニコチンと,燃焼によって生じる一酸化炭素とタールが,健康への影響の点からは重要である。ニコチンは急性症状としては,自律神経系への作用が主であり,投与当初の脳,感覚器,末梢神経系,筋肉の興奮に引き続いて,逆に抑制,麻痺が生ずるという特異的な薬理効果をもっている。しかし,習慣性のタバコ喫煙の場合のニコチンと病気との関連は必ずしも明確でなく,むしろ喫煙習慣・嗜癖の形成や,禁煙時の禁断症状と関係が深いとされている。高濃度の一酸化炭素ガスによって,一酸化炭素ヘモグロビンが血中に増加することが,心血管系の障害や胎児発育の遅延をもたらし,タール中の発癌物質が,タバコ葉中に混在しているニッケルなどとともに,喫煙による癌の多発とかかわり合っている。また,窒素酸化物や各種のアルデヒド,フェノール類が呼吸器疾患の発生に関与している。
執筆者: 通常の喫煙が自発的・能動的喫煙であるのに対し,非喫煙者がみずからの意志に反して余儀なくタバコ煙にさらされ,吸煙を強いられている状態は受動的喫煙と呼ばれている。世界保健機関(WHO)は,喫煙による健康障害に対処するための加盟各国への勧告の中に,〈タバコ煙に汚染されない大気を非喫煙者が享受する権利を擁護すること〉という1項をとくに加えている。近年,日本でも嫌煙権ということばが日常語として定着しつつあるが,非喫煙者の場合,それが受動的であるとはいえ,健康に対する影響を示唆する研究結果が出されている。この意味で,現在,喫煙と健康の問題は,個人衛生の域を脱して,公衆衛生の次元で検討されねばならぬ時期にきているということができよう。
執筆者:


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「タバコ」の解説

タバコ
tobacco

西半球の先住民族の間に普及していたタバコの喫煙が,ヨーロッパ人の西半球進出とともに,ヨーロッパに伝えられ,アジアにも広まった。タバコの栽培はヴァージニアおよびその近隣の植民地の主要な生産物となり,独立前には年間1億ポンド以上がイギリス経由で海外に輸出されていた。タバコは刻みタバコ,噛みタバコ,嗅ぎタバコなどに加工されて用いられた。巻きタバコ(シガレット)が主流になるのは20世紀になってからである。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のタバコの言及

【岩谷松平】より

…西南戦争で店を焼かれた後上京し,1878年薩摩名産品を商う〈薩摩屋〉を開店。その後岩谷商会を設立,84年ごろ薩摩名産の国府葉を原料にした口付き紙巻きタバコ〈天狗煙草〉の製造販売を開始した。彼は宣伝のために銀座の店舗を屋根から壁まで真っ赤に塗り,自身も赤い洋服,赤い帽子で赤塗りの馬車に乗って人目を引いた。…

【癌】より

…肝臓癌は東南アジアやアフリカにも多いが,この場合は,肝炎ウイルスとともにアフラトキシンによる食物の汚染も重要視されている。インドなど,タバコやビンロウの実や葉をかむ習慣のある地方では口腔癌が多発している。エジプトやイラクに膀胱癌が多いのは,エジプトジュウケツキュウチュウ(住血吸虫)症がその誘因をなしている。…

【煙】より

…煙は一般に物質の不完全燃焼によって発生するが,その発生機構および成分は非常に複雑である。たとえばタバコの煙は,主として巻紙の炭化部分より少し後方で起こる蒸発・熱分解過程で発生した成分が空気中で急冷され凝縮の結果生じる。1cm3中に1010個程度の煙粒子を含み,粒径は0.2μm前後である。…

【ニコ】より

…不幸にも本書は大量に売れ残り,出版者は扉のみ1621年と刷り直した偽装再版を作って残部をさばこうとした。なおリスボン滞在中ニコは新大陸渡来のタバコを入手して王母カトリーヌ・ド・メディシスに献上し,世上フランスにタバコを初めてもたらしたのは彼とされた。自らの辞典にもその名をもとにニコティアーヌnicotianeの名で説明があり,またニコチンの名も後に彼にちなんでつけられたものである。…

【ニコチン】より

タバコNicotiana tabacumに含まれるアルカロイドで,C10H14N2,分子量162.23。タバコ葉中ではリンゴ酸塩またはクエン酸塩として存在し,乾燥含量は1~8%。…

※「タバコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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