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カルバン カルバン Calvin, Jean

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カルバン
カルバン
Calvin, Jean

[生]1509.7.10. ピカルディノアイヨン
[没]1564.5.27. ジュネーブ
フランス宗教改革者。神学,法律,人文学を学び人文主義者として出発,1532年頃回心。宗教改革に加わったため追われてバーゼルに逃れ,36年『キリスト教綱要』 Institutio christianae religionis初版を出す。

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デジタル大辞泉の解説

カルバン(Jean Calvin)

[1509~1564]フランスの宗教改革者・神学者。厳格な聖書主義に基づき、神の絶対的権威を主張して予定説を唱えた。スイスのジュネーブに招かれて、市政と教会の改革を指導。主著「キリスト教綱要」においてプロテスタント神学を大成し、長老派教会の基礎をつくった。カルビン。→予定説

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百科事典マイペディアの解説

カルバン

フランスの宗教改革者,神学者。ピカルディーのノアイヨン生れ。パリ,オルレアンブールジュの各大学で法学と人文学を学ぶ。1536年,ファレルの要請によりジュネーブの宗教改革に加わるとともに主著《キリスト教綱要》を公刊,体系的なプロテスタント神学を示した。
→関連項目宗教改革ジュネーブ神権政治セルベトゥスハイデルベルクファレルプロテスタンティズムベーズ預定

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世界大百科事典 第2版の解説

カルバン【Jean Calvin】

1509‐64
フランス出身の宗教改革者。姓はもとコーバンCauvin,当時の教養人の例にならってラテン語化してカルウィヌスCalvinus,さらにフランス読みにしてカルバンという。
[生涯]
 ピカルディーの中産階級の出。若年でパリ大学に入り,オルレアン,ブールジュの大学で法学と人文主義の学問を修めた。ルターの書物から感化を受けたが,宗教改革への決断は久しくためらっていた。回心を経験して福音主義者のうちに身を投じ,古典学者としての道を捨て,フランス宗教改革の地下活動に服務しながら,主著《キリスト教綱要》を書く。

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大辞林 第三版の解説

カルバン【Jean Calvin】

1509~1564) フランスの宗教改革者。ジュネーブの宗教改革を指導し、市民生活を神政政治的規律のもとにおくことを試みた。厳格な聖書主義、神の絶対的権威と救いの予定説などを説き、救いの確証としての俗世での実践活動を強調した。著「キリスト教綱要」など。カルビン。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カルバン
かるばん
Jean CalvinJean CauvinJoannis Calvinus
(1509―1564)

ジュネーブの宗教改革者。スイス改革派教会の創始者の一人。

福音主義への転向

1509年7月10日、パリ北部のノワイヨンで弁護士の子として生まれ、早くから優れた教育を受けた。パリ大学のマルシュ学寮およびモンテーギュ学寮で、カトリックの聖職者を目ざしてスコラ学を修めたが、のちに父親の意向に添って法学に転じ、ブールジュ、オルレアン両大学で学ぶ。このころ人文主義を基盤とするフランス国内の教会改革運動に触れ、父親の死後はパリに戻って古典研究に没頭、1533年には処女作としてセネカの『寛容論注解(ちゅうかい)』を出版した。
 カルバン自身が「突然の回心」とよぶ福音主義(ふくいんしゅぎ)(プロテスタント)への転向が、いつどのような経過で生起したのかは、いまなお論議の余地があるとしても、1533年秋には明らかに信仰上の理由で、フランスからの亡命を余儀なくされ、各地を転ずる間にチューリヒやストラスブールなどの改革者たちと知り合った。1535年からスイスのバーゼル滞在中に、福音主義弁証の目的をもって執筆された著述は、『キリスト教綱要』Institutio Christianae Religionisの題名のもとに、フランス王への献呈の辞を付して翌1536年春に公刊された。本書は1559年の最終版までラテン語版、フランス語版ともに繰り返し拡張・充実され、プロテスタント神学の集大成として現代に至るもなお古典の地位を保つ。数種類の邦訳を含め各国語訳が多い。[出村 彰]

教会改革と長老制の創始

カルバン自身は学究の道を志したようであるが、ほとんど偶然の事情からG・ファレルに請われてジュネーブの教会改革にかかわり、それ以後没年に至るまで同市の宗教と政治、さらに市民生活全般の福音主義的改変に献身する。一方では当時のカトリック教会の悪弊と誤謬(ごびゅう)を正すとともに、世俗権力(具体的には市参事会)の支配・干渉から独立した自律的教会の形成を目ざしたが、彼の企図は市民の強力な反発を招き、1538年春にはストラスブールに亡命を強いられた。
 この地の改革者ブツァーとの交友によって多くを学んだカルバンは、情勢の変化によって3年半ののちにジュネーブに呼び戻され、サン・ピエール教会の牧師およびジュネーブ学院神学教授として、年間数百回の説教と講義を続け、福音主義の教理と倫理を明らかにする努力を重ねた。前掲の主著のほか、旧・新約聖書注解や各種の論争文、説教、書簡など膨大な著述は『宗教改革著作集』Corpus Reformatorum中に『カルバン著作全集』Calvini Opera Omniaとして収められている。
 カルバンは教会権の自律性を確保し、規律ある教会訓練を実施するため独自な教会政治の形態として、平信徒代表も加わる長老制を事実上創始した。それは、専断に傾きがちな監督制でもなく、無秩序に陥るおそれなしとしない会衆制でもない第三の道、すなわち代表制の意思決定手段として、やがて政治の局面にも転用され、近代民主主義の形成にも資するところ少なくなかったと評される。
 もちろん、このような企図が一度に実現されたわけではなく、外部からはカトリック諸国の圧力、内部では旧来の市民階層の批判や不満が渦巻き、ことに1553年のセルベトゥス事件はカルバンの指導力への重大な挑戦とも解される。三位一体論(さんみいったいろん)に反対し汎神論(はんしんろん)的な言動をなすセルベトゥスを、カルバンは火刑に処したが、この処置に対して激しい非難がおこった。しかし、20年にわたる努力はしだいに実を結び、1560年ごろからのジュネーブは文字どおり福音主義の牙城(がじょう)として、ヨーロッパ各地から同信の徒を集めた。[出村 彰]

神学思想とその影響

神学思想としては、福音主義の「信仰のみ」「聖書のみ」の二大原理を堅持し、人間の救いが善行という功績ではなく、ただキリストにおける神の恵みへの信頼であることを強調するため予定論を唱えた。このような信仰を保証しているのは聖書であり、その注解に際しては、本文に即して批判的姿勢を保ちつつ、そこから中心的な意味を読み出そうとするのが特色である。この教理から、この世の職業を神の召命として受け止めて、これにこたえる積極的な生き方という新しい倫理が生じた。それと資本主義の精神、ひいては近代世界の形成とのかかわりは、いまなお論じられている。
 彼の教えはフランス(ユグノー派)、オランダ、スコットランド、ドイツなどから、さらに新大陸へと広がり、現代に至るも長老・改革派教会としてプロテスタントの有力な一翼を形づくっている。
 1564年5月27日、カルバンは同労の牧師や市参事会員に惜別の辞を残して世を去ったが、「ただ神にのみ栄光あれ」Soli Deo Gloriaを暗示するかのごとく、今はただJ. C. の頭文字の刻まれた小さな石がジュネーブ公共墓地に残るのみである。[出村 彰]
『●著作 ▽渡辺信夫訳『キリスト教綱要』全5巻(1962~1965・新教出版社) ▽波木居斎二訳『カルヴァン小論集』(1982・岩波文庫)』
『●伝記 ▽ドゥーメルク著、益田健次・山永武男訳『ジャン・カルヴァン』(1941・長崎書店) ▽小平尚道著『カルヴィン』(1963・日本基督教団出版局) ▽渡辺信夫著『カルヴァン』(1968・清水書院) ▽R・ストーフェール著、森川甫訳『人間カルヴァン』(1976・すぐ書房) ▽久米あつみ著『カルヴァン』(1980・講談社) ▽田中剛二著『カルヴァン』(1984・新教出版社)』
『●思想・背景 ▽W・ニーゼル著、渡辺信夫訳『カルヴァンの神学』(1960・新教出版社) ▽渡辺信夫著『カルヴァンの教会論』(1976・改革社) ▽渡辺信夫著『カルヴァンと共に』(1973・国際日本研究所) ▽出村彰著『スイスの宗教改革研究』(1970・日本基督教団出版局) ▽E・W・モンター著、中村賢二郎・砂原教男訳『カルヴァン時代のジュネーヴ』(1976・ヨルダン社)』

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世界大百科事典内のカルバンの言及

【改革派教会】より

…プロテスタント諸教会の総称として使われる場合もあるが,正確にはとくにルター派に対してカルバン派の教会を指す呼称。スイスと南ドイツの諸都市は,ルター主義と若干の隔りをおく宗教改革をした(ツウィングリ,ブツァー,エコランパディウスら)。…

【ガリア信仰告白】より

…1559年フランス改革派を一つの組織に統合したパリの第1回大会(全国会議)において《教会規則》とともに採択された。告白も規則も草案はカルバンが書き,門弟たちが加筆した。信仰告白草案は既存の《パリ信仰告白》(1557)18ヵ条を改訂した35条からなっていたが,決定した本文は40条である。…

【カルビニズム】より

…広義においてはカルバンの思想,あるいはカルバンの影響を受けた思想を意味し,したがって改革派教会の信仰と思想をさすが,しばしば狭義において17世紀に特にイギリスで厳格な〈預定論〉を奉じた神学思想をいう。すなわちアルミニウス主義の反対概念である。…

【キリスト教】より

…少なくともルターには政教一致の意図がなく,その条件もなかったからである。ツウィングリはやがて戦死し,改革事業はファレルとカルバンにうけつがれた。カルバンは1536年,ファレルの懇請に負けてジュネーブの改革に加わり,いったんストラスブールに赴いて《キリスト教綱要》を書き改め,41年にもどって最後までこの地で改革に没頭した。…

【キリスト教綱要】より

カルバンの主著。宗教改革の神学を代表する体系的書物。…

【キリスト論】より

…ここでは教会が赦罪権を持つという考えや功徳説は排除される。カルバンはこの〈職〉という概念を重視し,キリストにおける両性の一致は仲保者に与えられた預言者・祭司・王の三つの職の遂行にあるとした。これはルターの状況的な考え方に残るあいまいさを除去してはいるが,ロゴスは受肉にもかかわらずその外にとどまるとされ(いわゆるカルバン的外部extra calvinisticum),これをめぐってルター派との間に長い論争が生じた。…

【高利貸】より

…宗教改革によってこの状態が一転した。とくにカルバンは現世の生活を重視し,貨幣制度や利子を全体の福祉を促進するものとして許容した。こうして利子をとること自体は合法的であるという考えが初めて確立することになった。…

【宗教改革】より

…プロテスタントの主権者がその領域内の教会財産・修道院領を接収し,教会統治権を掌握する,このような国教会体制は,ドイツのほか,ルター主義を受け入れた北欧の諸王国においても実現された。
[カルビニズムの登場]
 アウクスブルクの宗教和議とほぼ同じころ,スイスのジュネーブでは,カルバンによる宗教改革が最終的に勝利していた。人文主義者として出発し,ルフェーブル・デタープルらの福音的ヒューマニズムの影響下に信仰を形成したカルバンは,1530年代に本格化したフランス王権による福音主義への弾圧を前にスイスへ亡命し,《キリスト教綱要》(1536)いらいプロテスタンティズムの第2世代を指導する地位へと押し上げられた。…

【ジュネーブ】より

… 宗教改革は,司教がジュネーブを捨て,サボイア家と結託してジュネーブに対峙する政治状況の中で導入された。1534年ベルンの強力なてこ入れで宗教改革者G.ファレルが送り込まれ,次いで36年カルバンの登場とともに宗教改革は政治革命と手を携えて進展を見た。一時,カルバンは追放されたが,41年再び都市内の地位を確立し,ジュネーブをプロテスタントの本山にすることに成功した。…

【ジュネーブ教理問答】より

カルバンによる教理問答。彼は1541年シュトラスブルクからジュネーブに帰り宗教改革を続行したとき,教会規則とともに教理問答を書きなおした。…

【商人】より

…この時代,北ヨーロッパの商業はロンドン,アントワープを中心に展開していた。宗教改革の過程でカルバンが勤労と禁欲を勧めると同時に利子付貸借を容認したことは,プロテスタント諸国における商人の活動を促進させる契機となった。 16世紀末から次の世紀にかけて,〈17世紀の危機〉と呼ばれる深刻な不況がヨーロッパを襲うようになると,国際間の競争はきわめて激化した。…

【神学】より

…哲学的思弁から神学を解放して,ひたすら〈神の言〉に基礎づけるキリスト論的神学が主張された。カルバンは《キリスト教綱要》においてプロテスタント神学の基本的な見取図を提示した。ローマ・カトリック教会と東方教会の神学が伝統をよく保持したのに対して,プロテスタント神学は近代の諸潮流によって大きな影響をこうむった。…

【性】より

…しかし,宗教改革家ルターは,性に対する人間の欲望をきわめて自然で強いものとみ,独身主義をむしろ危険なものと考えた。一方カルバンは,夫婦の関係を神聖視し,その他の不倫な性行動を罪とみなした。 キリスト教による性の抑圧は,西欧社会の性に大きな影響を与えたが,キリスト教の支配がゆるんだルネサンス期には文学,美術に性や肉体の復権をうたったものが現れた。…

【聖体論争】より

…他方,ツウィングリは聖餐の象徴説を唱えてルターと対立し,これがプロテスタント教会統一の妨げとなった。カルバンは,ルターとツウィングリの中間的な立場をとり,聖変化は否認したものの,聖餐によって信者はキリストの体と血の効力にあずかれると主張した。なおアングリカン・チャーチ(英国国教会)はこの問題に関する統一的見解を欠いている。…

【ファレル】より

…1532年ワルド派をアルプス山中に訪ねて同派をスイスの宗教改革に結びつけた。35年ジュネーブの宗教改革を決断させ翌年カルバンを協力者に迎えた。38年以後はヌシャテルで改革を遂行しその地で死んだ。…

【ブリンガー】より

…穏健な理論と豊かな学識をもつ当代一流の神学者であった。49年にはジュネーブ教会を代表するカルバンとの間に〈チューリヒ協定〉を結んで改革派の聖餐論を統一した。62年に個人的確認また神学的遺言として一つの信仰告白文を書くがこれは《第2スイス信仰告白》の名で公的に採用され,改革派でもっとも広く用いられる信仰告白となった。…

【ベーズ】より

…人文学者また詩人として世に出たが,大病によって人生の危機を経験し,福音主義を告白する。1549年ローザンヌのギリシア語教授となり,ジュネーブに移って,59年にカルバンが大学を創設したとき,その初代学長。カルバンの死後は後任の牧師となり,改革派を代表する神学者また教会政治家として,全ヨーロッパとくにフランスの教会を指導し宗教改革の権利を擁護した。…

【預定】より

…これは自由意志による救いをとなえるペラギウスに対し,神の絶対の主権性を強調したものである。カルバンはある者は救いに,ある者は滅びに預定されているとの〈二重預定〉を説いたが,これは神の全知と摂理を語るスコラ神学が自然神学に堕するのを防ぐものであった。しかしK.バルトは,預定の神をたんに隠れた恐るべき神とするこの考えを批判し,キリスト自身選ぶ神であり,選びの原理はその死と復活のうちに現れていると述べる。…

【離婚】より

…教会財政の紊乱(びんらん),聖職者の退廃を原因として教会の勢力が衰退しだし,これに代わって絶対王政が確立されはじめる。ルターやカルバンなどの宗教改革の指導者が,婚姻=サクラメント理論に対して批判を加え,離婚を認めるべきことを説き,婚姻事件につき教会裁判所には管轄権限がないことを主張した。 このように,教会婚姻法に対する批判が勢力を拡大するに伴い,婚姻事件についての教会裁判所の独占的管轄権に対しても世俗裁判所によって異論が唱えられ,教会裁判所と世俗裁判所との管轄権争いの事件が増加した。…

【利子】より

…以上のような徴利禁止の原則は,宗教改革によってくつがえされた。カルバンは利子取得を容認し,サルマシウスClaudius Salmasius(1588‐1653)が徴利禁止の理論的基礎を批判した。イギリスではヘンリー8世が1545年に年10%以内の利子取得を認める法令を発布した。…

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