ドイツのロック・グループ。イルミン・シュミットIrmin Schmidt(1937― 、キーボード)、ホルガー・シューカイHolger Czukay(1938―2017、ベース、エフェクト)、ヤキ・リーベツァイトJaki Liebezeit(1938―2017、ドラム)、ミヒャエル・カローリMichael Kaloli(1946―2001、ギター)を中心に、1968年西ドイツ(当時)のケルンで結成された。先鋭的な手法によって、1970年代ジャーマン・ロック・シーンにおいてもっとも高い、かつ世界的な評価を得た。
ベルリン生まれのシュミットは、ドルトムントやエッセンなどの音楽院でピアノや指揮を学んだ後、アーヘン市立劇場で指揮者として活躍していたが、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会でカールハインツ・シュトックハウゼンの現代音楽講座を受けていたときに、同じ講座を受講していたシューカイと意気投合し、新しいグループの結成を思い立った。ダンツィヒ(現、ポーランド領グダニスク)出身のシューカイもまたクラシック音楽畑の出身で、作曲法などを学んだ後、スイスの高校で音楽教師をしたり、シュトックハウゼンのスタジオでアシスタントを務めたりしていた。彼らはともに、限定された聴衆だけを相手にする現代音楽に限界を感じるようになり、より大衆的かつ実験的な音楽表現を目ざした。
リーベツァイトは、1960年代初頭よりジャズ・ドラマーとして活動を開始し、テテ・モントリューTete Montoliu(1933―1997、ピアノ)やチェット・ベーカーなどとの共演を経て、1966年にはドイツのフリー・ジャズ・シーンで活躍していたマンフレート・ショーフManfred Schoof(1936― 、トランペット)のクインテットに加入、その後シュミットとシューカイに合流した。カローリはシューカイが教鞭(きょうべん)をとっていたスイスの高校の生徒で(シューカイの直接の生徒ではない)、シューカイに誘われてカン結成に参加した。4人のうちロックを聴き親しんでいたのはカローリだけである。さらにアメリカ出身の実験音楽家デビッド・ジョンソンDavid Johnson(フルート、テープ操作)が加わり、カンとしてスタート。だが、ジョンソンはほどなく脱退し、かわりにアメリカ出身の黒人彫刻家マルコム・ムーニーMalcolm Mooney(1944― )がボーカルとして加入。この5人で1969年、デビュー・アルバム『モンスター・ムービー』Monster Movieを限定600枚の自主制作盤としてリリース。執拗(しつよう)に反復を繰り返すドラム・パターンとベースのリフ(反復楽節)を軸に即興的に展開される起承転結のない楽曲構成、感情をけっしてあらわにしない念仏のようなボーカルなど、展開された音楽世界はすでに最初からポップ・ミュージックとしての文脈を逸脱していた。
身につけたアカデミックな音楽語法をすべて捨て去るところからスタートした強烈にニヒルでダダイスティックな表現が、1970年代後半から爆発するパンクやニュー・ウェーブに強い影響を与えたのも当然といえる。その革新性、暴力的なまでの奔放さは、ムーニー脱退後にヨーロッパを放浪していた日本人ボーカリストのダモ鈴木(1950―2024)が新加入してからの作品『タゴ・マゴ』Tago Mago(1971)、『エーゲ・バミヤージ』Ege Bamiyasi(1972)、『フューチャー・デイズ』Future Days(1973)で一段と高められてゆく。とくに『フューチャー・デイズ』からは、シューカイによる種々のサウンド・エフェクトやテープ編集などの妙も加わり、荒々しさと奇妙な浮遊感が一体化した世界が確立された。しかし、アンサンブルを活性化させる不確定要素としてのダモ鈴木が1973年に抜けてからは、中途半端な整合性に支配されるようになり、バンドのポテンシャルはしだいに低下、結局1979年の『インナー・スペース』を最後にバンドは解散した。
1989年には一度再結成アルバム『ライト・タイム』を発表したが、その後、各人がソロ・アルバムの制作や新ユニットの結成、セッション活動、映画音楽の作曲などを続ける。とくに目だつのがシューカイの活躍で、1979年の『ムービーズ』Movies以降、短波ラジオやさまざまなサウンド・エフェクトも用いてのサンプリング、カットアップ、コラージュ・ワークが光る多くの優れたソロ・アルバムを発表している。シューカイのコラージュ・ワークは、すでに1968年のアルバム『カナクシス』(ロルフ・ダマーズRolf Dammersとの共作)から始まっているが、音響面からの斬新(ざんしん)なアプローチも含めて、彼を1990年代の音響派やエレクトロニカ(1990年代テクノの隆盛後、非楽音=ノイズや生楽器の導入など、手法と形態が多様化した広義のエレクトロニック・ミュージック)の源泉の一つとみなすことも可能である。
[松山晋也]
『明石政紀著『ドイツのロック音楽 またはカン、ファウスト、クラフトワーク』(1997・水声社)』▽『Pascal BussyThe Can Book(1986, SAF Publishing, London)』
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
フランス北西部,カルバドス県の県都。人口11万4079(1999)。古来,下ノルマンディー地方の中心都市で,オルヌ川に面する。運河で北方約15kmのイギリス海峡と結ばれ,周辺に鉄鋼・金属・自動車・電機・電子工業などの工業地域がある。とくに製鉄業は重要。第2次大戦末期に連合国軍の上陸作戦の戦場となり,市街の大部分が破壊されたが,西フランス有数の工業都市として復興した。
執筆者:小野 有五
カンはノルマン公国諸公のもとで,とりわけ11世紀,ウィリアム1世(征服王)の時代に発展をみた。征服王の創建になる男子修道院付属サンテティエンヌ教会(1077)と,それと対をなす王妃マティルダの創建になる女子修道院付属ラ・トリニテ教会(1066)は,共にカン産出の豊富な石材を使用したノルマン様式ロマネスク建築の代表例。幸い第2次大戦末期の大爆撃の破壊を免れた。前者は装飾を排した厳格明快な石積みによる男性的空間構成を示し,それに対し後者は女子修道院にふさわしく装飾性を加味した優雅な姿を伝える。いずれもノルマン様式の原型として征服後のイングランドの教会建築の範例となり,大陸のゴシック建築にも影響を及ぼした。征服王城郭跡にはノルマンディー美術館がある。
執筆者:岸本 雅美
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…遊牧民の族長の称号。ハン,カーン(カン)とも呼ばれる。もともとはアルタイ系のトルコ,モンゴル系の北方遊牧民がモンゴル高原において使っていた称号で,カガンqaghan(漢字の転写で〈可汗〉)ないしは,それがつづまったカンqan(〈汗〉)がもとの形である。…
…厳しい論理的構成の追求は,他のロマネスク様式に特有の身廊部の石組ボールト架構と饒舌な図像彫刻装飾を避け,伝統的な木骨天井を採用し,建築構造を乱さないよう主に幾何学文様を限られた部位に施した。この様式は11世紀半ばころウィリアム1世の故郷カンのラ・トリニテ教会とサンテティエンヌ教会で完成され,ノルマンディー一帯と征服後のイングランド(ウィンチェスター大聖堂ほか)に伝播した。しかしイングランドでは,身廊を延長し塔を増し(グロスター大聖堂ほか),また図像彫刻を施し(イーリー大聖堂ほか),いっそうの壮大さと装飾的豊かさへと向かった。…
※「カン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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