改訂新版 世界大百科事典 「カールシュタット」の意味・わかりやすい解説
カールシュタット
Andreas Karlstadt
生没年:1480ころ-1541
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1480頃~1541
ドイツのプロテスタント神学者。1519年のライプツィヒ討論でルターとともにエックと論戦したが,のち,より急進的な改革を要求してルターと対立し,ミュンツァーに接近した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…コラナ川とクパ川の合流点にある経済・文化の一中心地。初めはオスマン・トルコの侵攻に備えて1579年に造られた要塞で,名はハプスブルク家のカール大公にちなみ,カールシュタットKarlstadtとよばれた。やがて商人や職人が移住し,1777年自由都市としてクロアチア人に下賜され,19世紀の鉄道敷設でさらに発展した。…
…このときメランヒトンは《神学要義》をもってルターの思想を体系づけており,このような協力者を多く得て改革が進行した。具体的には教会におけるミサの濫用と修道士の独身制に向けられ,それはルター不在中にもカールシュタットの指導の下にウィッテンベルクで始まっていた。1523年まで改革の嵐はやまなかった。…
…かかるルター主義の拡大に触発されて,さらに急進的・民衆的な宗教改革運動が台頭する。メランヒトンら正統のルター主義者により〈狂信派Schwärmer〉の烙印を押されたこの一派の動きは,早くもルターのワルトブルク隠棲中のウィッテンベルクで,彼の同僚カールシュタットらの指導する騒擾となって現れた。事態を憂慮したルターのウィッテンベルク帰還(1522春)によってこの騒擾自体は収まったが,同種の急進主義は,伝統的な社会体制を変革しようとする下層市民や農民の要求と結びついて各地に飛火し,教会秩序を混乱させる危険を生んだ。…
※「カールシュタット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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