出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ザクセン・ワイマール公(1758~1815)、大公(1815~28)。ドイツ啓蒙(けいもう)専制君主の一典型。大臣となったゲーテはじめヘルダー、シラーを招くなど学芸保護に努めて、2000平方キロメートル、11万の小国ワイマールをドイツの文化的中心地に高めた。他方プロイセンの将軍としてフランス軍とたびたび戦ったが敗れ、ライン同盟に加入、のち16年には反動時代のなかで憲法を発布した。
[岡崎勝世]
1757~1828
ザクセン・ヴァイマル公。啓蒙的君主でゲーテと親交を結び大臣に任用,シラーをイエナ大学の教壇に招いた。ブルシェンシャフトを保護,1816年に早くも憲法を発布したことで自由主義者の称賛を浴びた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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[啓蒙と未熟]
17~18世紀におけるドイツの領邦諸国家の国制は,西欧諸国と同様に絶対主義のそれであり,18世紀後半には絶対主義は啓蒙絶対主義の段階に入る。啓蒙絶対主義はプロイセンのフリードリヒ2世,またオーストリアのヨーゼフ2世など大国の君主の統治様式に見られるのみならず,ザクセンのフリードリヒ・アウグスト3世義人公Friedrich August III der Gerechte(在位1763‐1827)やザクセン・ワイマールのカール・アウグストKarl August(在位1775‐1828)等中小国にも数多くの例をもって,18世紀後半のドイツ諸国の政治を特徴づけている。しかし〈啓蒙された〉君主の上からの指導力が大きな役割を果たしたことは,反面,国民の下からのイニシアティブの欠如をも意味するのであって,このことはドイツの経済の後進性と,それに由来するブルジョアジーの未成熟の問題と関連している。…
…72年ザクセン・ワイマール公領の首都となり,1775年住民も6000を数えた。カール・アウグスト公(在位1758‐1828)親政下(1775‐1828),勃発したフランス革命の影響もあってドイツ自由主義文化の中心となる。75年以来ゲーテはこの公国の政務を担当し,1832年ここで没した。…
※「カールアウグスト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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