コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

キクユ Kikuyu

翻訳|Kikuyu

大辞林 第三版の解説

キクユ【Kikuyu】

ケニア南西部に居住するバンツー系農耕民。反英独立運動の中心となり、独立後もケニア国家機関の中枢を占める。 → マウマウ団

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

百科事典マイペディアの解説

キクユ

ケニアの高地に住むバントゥー系の農耕民。牛,ヤギ,羊等の牧畜も営む。ケニア最大の民族集団で,多くはキリスト教徒。マウマウの反乱の中心はこの人びととされる。ギクユとも。
→関連項目カレンジンルオ

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

キクユ
きくゆ
Kikuyu

アフリカ東部、ケニアの首都ナイロビからケニア山西麓(せいろく)地帯に居住するバントゥー系農耕民。人口は446万(1989)。ケニアは多民族国家で言語的にもバントゥー系やナイロート系など多様な集団があり、民族移動が激しかった。キクユも例外ではなく、母胎となった集団はもっと東部に居住していたといわれる。これが、乾燥化や北部からのガラ人の進出、アラブ人の奴隷狩りを逃れ、16世紀ごろ、あるいは一説によればもっと早くに現在の地を占有した。その後カンバ人や先住狩猟民との接触やその吸収、隣接しているマサイ人との抗争、交流などを行いながらイギリス植民地体制下でその地に定着した。
 彼らの神話によれば、始祖の4人の息子のうち、1人は槍(やり)をとってマサイの先祖に、1人は弓矢をとってカンバの先祖に、1人はゾウ狩りの槍をとって狩猟民に、そして残る1人は鋤(すき)をとってキクユの先祖になったという。この神話に示されるようにキクユは農耕に熱心で、丘陵地帯を覆っていた森林は焼畑によってすっかり開かれてしまった。もともとアワ、ヒエ、マメ類をつくっていたが、現在はトウモロコシが中心で、ケニア国内生産の重要部分を占めている。9~10のクラン(氏族)に分かれているが、王制や強力な首長制はもたない。クランや村落を超えた、男子の割礼を伴う年齢階梯(かいてい)制(マリカ)があり、青年はマサイなどと対抗する戦士となる一方、老人が政治力を保持していた。
 白人入植者による土地収奪の影響を強く受け、1920年代から民族主義の高揚がみられたが、1950年代なかばからは、急進派が反英独立運動を組織し、「マウマウ団」として恐れられた。その指導者で、比較的穏健であったケニヤッタは63年のケニア独立の翌年、初代大統領となった。78年にケニヤッタが病死した後も、キクユ出身者はケニア政界で重要な地位を保っているがモイ(1978~2002大統領在任)への政権交替後は、やや冷遇された。[渡辺公三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

キクユの関連キーワードダニエル・アラップ モイケニア・アフリカ民族同盟アバーデア国立公園サムエル ワンジルジョモ ケニヤッタグギ・ワ・ジオンゴボーマスオブケニアキクユ中央協会ムワイ キバキケニア大統領選W.T. グギバントゥー諸語バントゥ語族アフリカ文学ヤマアラシマウマウ団マリンディケニア高原オディンガ年齢集団

今日のキーワード

ムガベ大統領

1924年、英植民地の南ローデシア(現ジンバブエ)生まれ。解放闘争に参加し、80年にジンバブエを独立に導いた。同年から首相、87年から大統領として実権を握り続けた。2000年以降は白人農場主の農園を強...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

キクユの関連情報