ローマの修辞家。属州ヒスパニア(スペイン)のイベルス河畔の町カラグリスに生まれた。ローマで教育を受けた後,いったんヒスパニアに戻り,68年ガルバ帝に伴って再びローマに現れ,弁論術の教師として直ちに名声を獲得した。クインティリアヌスは,ウェスパシアヌス帝の治世に,年俸を支給された最初の修辞家となった。弟子の中には小プリニウスの名を見ることもできる。彼はおよそ20年間弁論術の教師として活躍した後,88年ころ引退して著述の道を歩み始めた。この時期に生み出された主著《弁論術教程》は全12巻からなる弁論家養成の手引書であり,おそらく96年以前に公刊された。本書は,第1巻の少年教育に始まって,弁論の構造を詳細に論じ,第12巻でこうして生まれた弁論家が実際に弁論を行う様子を描いて終わるという構成になっている。第10巻では,ギリシア,ラテンの詩人,歴史家たちの作品を修辞の観点から批判的に論じており,古代においては彼の言葉がこれらの作品の価値を定めていた場合がしばしば見られる。その文体はキケロの影響を強く受けており,力強くきびきびとしているけれども,ときに鈍重である。《弁論術教程》は,中世,ルネサンスの著作家たちに修辞学の古典として受け入れられ,エラスムスもその影響を受けた一人であった。
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執筆者:平田 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
古代ローマの弁論学者。ガルバ帝により公の弁論術教師に任命され、引退後、ドミティアヌス帝の命により後継者の教育にあたった。主著『弁論術教程』12巻(95ころ)は、弁論家養成の入門書で、初等教育、修辞学、題材と配列、文体、演述法、性格と教養などを論じる。幼児教育から説き起こす点に、従来の類書にみられない新味がある。また、文法の概観、機知とユーモアの論究、ことばのリズムの考察、広い教養と高い徳性を修める訓練の要求などにも特色がみられる。とくに知られるのは、雄弁術の学徒のための読書案内として、ギリシア、ローマの多数の作家と作品を取り上げ、修辞学的視点から簡潔に批評した第10巻である。彼は中世には教師として高く評価され、近世にはエラスムスをはじめとする人文主義者によって学習され、大きな影響を与えた。
[中山恒夫 2015年1月20日]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…共和政の崩壊によって実際の活動の場を失った弁論は,学校に入り,修辞学となって,すべての学問の基礎としての地位を獲得した。有名な弁論術教師には,演説の見本集を残した大セネカ,《弁論術教程》を著したローマ最大の修辞学者クインティリアヌス,皇帝マルクス・アウレリウスの師フロント,弁論のための資料集を編んだウァレリウス・マクシムスValerius Maximusなどがいる。 白銀時代の最大の作家は小セネカ(以下単にセネカと記す)とタキトゥスであろう。…
…各都市に学校や図書館が設置され,ラテン文学は〈白銀時代〉を謳歌した。マルティアリス,ユウェナリス,タキトゥス,スエトニウス,クインティリアヌスらの作品は今も残っている。このほかキリスト教護教文学という新しいジャンルも現れ,法律学も盛期に入った。…
※「クインティリアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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