クラーナハ(その他表記)Lucas Cranach

デジタル大辞泉 「クラーナハ」の意味・読み・例文・類語

クラーナハ(Lucas Cranach)

クラナッハ

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改訂新版 世界大百科事典 「クラーナハ」の意味・わかりやすい解説

クラーナハ
Lucas Cranach
生没年:1472-1553

ドイツ・ルネサンスの画家。オーバーフランケン地方のクローナハKronach生れ。修業時代についてはほとんど不明。1500年ころ,当時のヨーロッパ文化の一大中心地であったウィーンに移り,初期の主要作品はここで生まれた。《悔悛のヒエロニムス》(1502),《十字架キリスト》など,ウィーン時代の宗教画は悲壮で,緊迫した宗教感情がみなぎり,当時のドイツ絵画の中でも異彩を放っている。04年ころの《エジプト逃避途上の休息》は,早春のみずみずしい自然描写をまじえた抒情性豊かな作品で,ドナウ派の一人としてのこの頃のクラーナハの特徴がよく出ている。親交のあったウィーンの人文学者たちの肖像画においても,背景の自然描写が大きな比重を占めている。04年,ウィッテンベルクのザクセン選帝侯フリードリヒ賢公に招かれる。以後,死の直前に主君に従って移り住んだワイマールでの数年間を除き,約半世紀にわたってこの町にとどまり,宮廷画家としてだけでなく,市参事会員,市長としても活動。また大工房を経営した。ウィッテンベルク時代の作品は,宮廷的な装飾趣味,感情表現のほとんど見られない冷ややかさ,優美でしなやかな形態表現などを特色とする(特に宮廷人肖像画)。一方,数多く描かれた聖母子像には温かい人間性も感じられる。神話的主題が本格的に登場するのは,フリードリヒ賢公の後を受けたヨハン堅忍公の時代(1525-32)である。ここに登場する裸婦ビーナスルクレティア)は同時代のイタリアの画家や,デューラーなどと比較して,ゴシック的な,ややぎこちない形態感覚とマニエリスム的な人工性,ほのかなエロティシズムなどを特色とし,彼の芸術の最も魅力的な部分を形成している。クラーナハが仕えた3代のザクセン選帝侯が親ルター派であったため,ルターとも親交があり,宗教改革運動のための木版画,ルターの肖像画,プロテスタントの教義に基づく宗教画(特に祭壇画)も残した。木版画家としてもデューラーに次ぐ存在であったが,デューラーほどの独創性や影響力はもたなかった。息子のハンスHans C.(?-1537),ルーカスLucas C.(1515-86)も父の様式を忠実に守って多くの宗教画,肖像画を残し,そのため,初期のものは別として,真筆問題に関しては今なお未解決の部分が多い。
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百科事典マイペディア 「クラーナハ」の意味・わかりやすい解説

クラーナハ[父]【クラーナハ】

ドイツの画家,版画家。クローナハの生れ。初めウィーンの宮廷に出入りし,のち1505年ウィッテンベルクでザクセン選帝侯の宮廷画家となり,初期の宗教的な作品から歴史画・神話画に転じた。また1508年か1509年ころに初めて女性裸体画を描き,独特の官能性をたたえた女性像で知られるようになった。ルターをはじめとする知人たちの肖像画は鋭い性格描写によって広く知られている。代表作としては《ビーナスとアモル》(1509年,エルミタージュ美術館蔵)をはじめとする数々のビーナス像や《キリストの磔刑》(1503年,ミュンヘン,アルテ・ピナコテーク蔵),《クスピニアン夫妻像》(1503年ころ,スイス,ビンタートゥール,オスカー・ラインハルト・コレクション)などがある。なお父と同名の息子も画家となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラーナハ」の意味・わかりやすい解説

クラーナハ
くらーなは

クラナハ

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世界大百科事典(旧版)内のクラーナハの言及

【アレゴリー】より

…ブリューゲルが《盲人の寓話》(1568ころ)を描いたとき,偽預言者に惑わされ,正しい宗教に盲目な人間精神への警鐘というアレゴリーは明白である(同時代のカトリックの詩人アンナ・ベインスの《リフレイン詩集》にもうたわれる)。またクラーナハが量産した《不似合いなカップル》は老人の〈情欲〉と財産目当ての若い娘の〈貪欲〉や〈裏切り〉を風刺し,《パリスの審判》は若者たちに活動的・瞑想的・快楽的人生の選択を説くなど,宗教改革期のドイツらしいアレゴリーが流布した。(3)エンブレマータの流行 ルネサンス以降のアレゴリー志向をとくに推進させたものに,〈エンブレマータEmblemata〉(寓意,標章図像集)の出版がある。…

【クリスマス・ツリー】より

クリスマスの風習として,キリスト教世界をはじめ世界中に広がっているが,その起源はヨーロッパでもけっして古いものではない。ドイツ文化圏からおこったといわれ,現在知られる最も古い例は,16世紀初めのL.クラーナハ(父)の銅版画に描かれたものである。また1605年のアルザス地方の旅行記には,シュトラスブルク(現,ストラスブール)ではクリスマスに色紙で作ったバラの花やリンゴや砂糖などを飾った木を立てると記されている。…

【ドイツ美術】より

…しかし同じころドナウ川の沿岸で活躍した画家たち(ドナウ派)のうちアルトドルファーの画面には,グリューネワルトを思わせる色彩の固有な表現価値が生かされ,画期的な自然風景の描写をみせている。神話や聖書の女性を妖艶に描いたクラーナハも,その初期はドナウ派の一人であった。イタリア文化の流入都市アウクスブルクでブルクマイアが試みたイタリア・ルネサンス美術の摂取は,同地出身の後輩ホルバイン(子)においてみごとに開花する。…

【ドナウ派】より

…南ドイツ,バイエルンのレーゲンスブルク,パッサウからウィーンに至るドナウ河畔で16世紀前半に活動した一群の画家をさす。アルトドルファー,フーバーWolf Huber(1485‐1553),フリューアウフ(子)Rueland Frueauf,初期のL.クラーナハなどが中心で,その他ヒルシュフォーゲルAugustin Hirschvogel,ラウテンザックHans Sebald Lautensackなどの版画家もあげられる。彼らは一派を形成したわけではなく,また個人的なつながりもほとんどなかったが,ドナウ河畔の美しい自然に対する風景感情のめざめという点で共通していた。…

【風刺画】より

…また中世後期のボスは祭壇画《乾草の車》で,乾草の車に執着する随行員として,教皇,司教,王,貴族,下位聖職者だけでなく,市民や農民などあらゆる階級を描くことで,人間の心に潜む〈貪欲〉を暴き出している。 ルネサンス期ドイツでは,L.クラーナハが《不似合いなカップル》のテーマを量産し,老人とその財産目当ての若い娘との不自然な組合せを描き,当時の堕落した社会風俗を批判している。なお彼の工房はルターのために13対の木版画連作《キリストの受難とアンチキリスト》を制作したが,その一組には〈神殿から商人を追い払うキリスト〉に対し,〈教皇庁で王や高位聖職者から金を受け取る教皇〉を描いた。…

※「クラーナハ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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