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クロパトキン Kuropatkin, Aleksei Nikolaevich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クロパトキン
Kuropatkin, Aleksei Nikolaevich

[生]1848.3.29. プスコフ
[没]1925.1.16. トベーリ
ロシアの軍人陸相 (1898~1904) 。日露戦争が勃発すると満州のロシア軍総司令官に任じられたが敗戦の責任を問われ左遷された。第1次世界大戦では北部戦線を指揮。革命後は亡命の誘いを退け,自己の領地にこもった。

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デジタル大辞泉の解説

クロパトキン(Aleksey Nikolaevich Kuropatkin)

[1848~1925]ロシアの軍人。日露戦争開戦とともに陸相から極東方面軍総司令官となったが、奉天の会戦に敗北して解任

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百科事典マイペディアの解説

クロパトキン

ロシアの将軍露土戦争(1877年―1878年)で功を立て,参謀長を経て陸軍大臣。1903年来日。日露戦争開戦とともに満州軍総司令官となる。奉天会戦後敗戦の責任を問われ左遷。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

クロパトキン Kuropatkin, Aleksey Nikolayevich

1848-1925 ロシアの軍人。
1848年3月29日生まれ。1898年陸相。日露戦争中に極東軍総司令官となるが,奉天会戦で敗れ,解任された。第一次大戦では北部戦線で指揮をとる。革命後は故郷プスコフ県で教師をつとめた。1925年1月23日死去。76歳。著作に「クロパトキン回想録」。

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世界大百科事典 第2版の解説

クロパトキン【Aleksei Nikolaevich Kuropatkin】

1848‐1925
ロシアの将軍。中央アジアの征服や露土戦争(1877‐78)に参加した後,1898‐1904年,陸軍大臣。04‐05年の日露戦争を極東軍総司令官として指揮したが,戦争遂行能力に疑問をもたれて,奉天会戦後,第1軍司令官に左遷された。戦後,ウィッテと戦争責任をめぐって決闘を申しこむまでの大激論をした。第1次大戦では北部戦線等の司令官をした。16年7月からはトルキスタン総督となり,中央アジア諸民族の蜂起鎮圧に従事した。

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大辞林 第三版の解説

クロパトキン【Aleksei Nikolaevich Kuropatkin】

1848~1925) ロシアの軍人。陸軍大将。極東軍総司令官として日露戦争を指揮したが、奉天会戦後解任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クロパトキン
くろぱときん
Алексей Николаевич Куропаткин Aleksey Nikolaevich Kuropatkin
(1848―1925)

ロシアの将軍。プスコフ県の軍人の家庭に生まれ、陸軍大学を卒業(1874)。1898~1904年陸相、日露戦争が始まるや満州軍総司令官、ついで極東方面軍総司令官に任ぜられたが、奉天(現在の瀋陽(しんよう/シェンヤン))の会戦に敗れ、解任された。第一次世界大戦中トルキスタン軍事総督を務め、中央アジアの反乱を鎮圧。十月革命後、亡命を勧めるフランス大使の申し出を断ってモスクワ州ドミトロフに引きこもり著述に専念した。[外川継男]

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