改訂新版 世界大百科事典 「グノーシス主義」の意味・わかりやすい解説
グノーシス主義 (グノーシスしゅぎ)
Gnosticism
キリスト教と同時期に地中海世界で興った宗教思想運動。〈グノーシスgnōsis〉はギリシア語で知識を意味するが,ヘレニズム宗教思想の場合意味が限定され,人間を救済に導く究極の知識をさす。グノーシス主義もこの流れに属するが,それと別に既成の世界に対する鋭い批判を含んでいる。この思想運動は後1世紀のローマ帝国辺境に興り,2~3世紀に最盛期を迎える中で次々と新しいセクトを生んだ(ただし,しばしば誤解されるようにキリスト教の分派〈異端〉としてではなく,独立に成立した)。発生地域はローマ辺境すなわち地中海沿岸のエジプト,シリア・パレスティナ,小アジアにほぼ限られている。こうしてグノーシス主義はキリスト教やギリシア哲学諸派との間に緊張を引き起こすことになり,当時の思想界に少なからぬ衝撃を与えた。しかし4世紀以降一部を除いて急速に衰える。そもそも当初から運動の主体は知識人であり,大衆層に根をおろすことにはあまり成功しなかったようである。グノーシス主義の作品といえる図像は残存しておらず,他面(文盲者には理解できない)文書は多大な量が執筆された。現代のグノーシス研究に大きな刺激となったナグ・ハマディ文書(ナグ・ハマディ)が,20世紀中葉に上エジプトで発見されたのもこれと関連する。このような著作活動に見られる特徴の一つは,グノーシス主義者が活発に神話を創作したことである。
神話
グノーシス神話は主として,宇宙や人間の創造物語を扱っている。しかしそこには特異な思想の表明があり,既成の観念に対する逆転ないし拒絶の意図が表れている。たとえば,旧約の《創世記》が語るエデンの園の誘惑者は蛇であり,創造神は法的正義をもってこれに対立しているが,グノーシスの一派はこの話を解釈し直し,蛇こそ人間に知恵を授けた恩恵者,創造神の正体は抑圧者だと逆転している。グノーシス神話は,ユダヤ教,キリスト教,ギリシア神話,プラトン主義などから素材をとり入れ,それを解釈し直して成立していることが多い。言いかえれば,グノーシス主義は既成のものを改作しうるだけの思想原理を備えているのである。この固有の原理を核として,神論,創造論,世界論,人間論,救済論が一体となったものがグノーシス思想である。したがってそれを単なる混交主義(シンクレティズム)などと説明するのは正しくない。思想素材の混交現象だけでなく,それぞれの出自をもつ素材を変形させて一つに組み合わせる原理もそこに見られるからである。20世紀のグノーシス研究は,その原理が何かという問いをめぐって進められてきた。これは,グノーシス思想の本質規定の問題と呼ばれ,つまるところ,グノーシスの二元論をどうとらえるかという点に議論が絞られる。
二元論
この課題に対して,われわれとしては次のような見解をとる。まず,ローマ帝国時代にパラダイムとして受け入れられていた宇宙像は,図のような幾何学的構造を持っている。この同心球構造はプトレマイオス天文学の基本でもあり,当時のほとんどあらゆる著作家が思考の前提にしている。やや図式的に言えば,神→星辰界→月下界→地上世界の階層構造は,この順に神的影響力が衰退していく段階を示している。したがって可視的世界の範囲内で見れば,星辰界はもっとも神的であり,秩序と善の支配する領域であるのに対し,地上世界は悪と無秩序が支配している。人間の身体はもちろん後者に属すると考えられた。しかし人間の本来の意味での〈自己〉は魂であり,それは神的領域の側から発しているので,つねに身体および地上世界と対立し,みずからが〈異邦人〉であることを意識する--〈自己〉と身体性が対立する身体的二元論。ただしその場合,〈自己〉と星辰界との対立を含めてはならない。星辰界は魂がそこから発した神的領域に属し,魂の〈故郷〉だからである。しかしこの点でグノーシス二元論は明確に区別される。グノーシス主義は,当時としてはまったく例外的に星辰界をも悪魔視し,〈自己〉が身体・地上世界のみならず星辰界にも敵対していると主張した--〈自己〉と(星辰界も含めた)世界が対立する宇宙的二元論。これこそがグノーシス思想の中核をなしている。星辰を神々と呼び(星辰宗教),その規則的な運動に自然の秩序のみならず法的・倫理的・社会的秩序の範型を見ていたローマ世界の中では,星辰界敵視が意味するものは決して小さくなかった。建国の祖ロムルスもカエサルもアウグストゥスも,ローマに対する功績のゆえに星辰神の内に数えられた。そういう世界においては,星辰拒否は既成の秩序を転倒し,価値体系を逆転することになる。キリスト教教父だけでなく,ギリシア・ローマ文化の伝統に立つプロティノスほかの知識人が,グノーシスの宇宙論に非難を浴びせたことは当然だったのかもしれない(もっとも,道徳的に放埒(ほうらつ)な生活をしているという中傷は信じがたく,文献資料の上ではむしろ徹底した身体の否定と禁欲主義が支配的である)。
救済論
グノーシス派によれば人間は,本来神の内にあったが何らかの偶然によって地上に転落し,身体の中に閉じ込められて,自己と異質な物質世界に投げ出されている。これは人間にとって非本来的姿であり,魂の〈無知〉〈迷い〉〈眠り〉〈酔い〉〈忘却〉の状態である。しかしある日自己本来の姿について〈知識(グノーシス)〉が与えられるなら,人間は覚醒する--その際〈知識〉の啓示者が登場することが多い。すると魂は身体を脱却し,神のもとへと帰還の旅を続けて,敵対する星辰神の領域をも通過し,やがて至高神の内に入って再び神となる。以上のようなグノーシス救済論は,ウァレンティヌス派などの場合,世界史観にもなっている。というのは,それが,神の充足の段階→充足が破れ神性が世界内に拡散・展開する段階→神性が帰還・収束して再充足がなる段階を含む正反合のドラマになっているからである。この歴史観は,その現代的意義を含め,研究者の注目を集めている。
キリスト教との摩擦
グノーシス主義は当初からキリスト教に浸透し,教職の位階制度を批判するなどした。その結果教会は,自己の内部にキリスト教グノーシス派という危険な敵を抱えることになった。2世紀に登場する一連の反グノーシス教父にとっては,この似て非なるキリスト教と自己を区別することが課題であり,その努力は〈正統〉的教理の形成という側面を持っていた。その過程で明らかにされた教義上の対立点には次のものがある。星辰界も含めて被造世界を悪とするグノーシス主義が,創造神の行為を否定的に評価する点。同様に人間の魂は被造物ではなく,神と同質のものであるとする点。このように神と人が本質的に同一であるならば,人間は本性上救われていることになり,改めてキリストの救済を必要としない(ことになりかねない)点。人間の身体がいやしい被造物であると考えるため,しばしばグノーシス主義は,キリストの身体性を否定する仮現説(ドケティズム)をとっていた点など。
歴史
グノーシス主義の成立過程は今もなお十分に解明されたとは言えない。しかしおよそ次のような推定は成り立つものと思われる。後1~2世紀ころローマ辺境地方に生きた知識人は,ギリシア・ローマ文化の普遍的な浸透力にさらされていた。しかもこの時期にローマの勢力圏は大きく膨張し,そのため辺境地帯に対するローマの監視体制は,政治・軍事面にとどまらず社会・文化面においても強化されていった。あいつぐアレクサンドリアの暴動に代表されるような反ローマ的風潮は,事あるごとに暗く漂っていたことだろう。そうした情況の中で反体制的知識人の一部は,ローマの秩序に対する反抗を,ギリシア以来の普遍的宇宙論(星辰観)を拒否するという形で表明した。しかもその否定は,天文学の知識にではなく,神話的想像力に依拠するしかなかった。このためグノーシス文書には,豊富な創作神話が見られるのである。こうして発生したグノーシス思想は急速に伝播し,各地域でさまざまなセクトを形成した。
エジプト
アレクサンドリアはグノーシス思想の温床であった。2世紀のウァレンティヌスはこの都市の出身で,ローマに渡り有力なキリスト教グノーシス派の祖となった(ウァレンティヌス派)。この人については教父エイレナイオスの報告がある。古代ヘルメス文書は,アレクサンドリアなどのエジプトのヘレニズム都市で執筆された。その一部はグノーシスの作品であり,とりわけ《ポイマンドレス》は,キリスト教色のない,グノーシス最初期の文書に数えられる。このほかナグ・ハマディ文書のかなりの部分はグノーシス主義に立っている。
シリア・パレスティナ
グノーシスの祖と称されるシモン・マグスは1世紀サマリアで活動した(ただしこの人については異説がある)。今日まで続いている洗礼教団として注目されるマンダ教は,東ヨルダンに興ったグノーシス・セクトである。起源は1世紀にさかのぼるかもしれない。《ギンザ》ほかの文書が残っている。
小アジア
ポントス出身のマルキオンは2世紀前半ローマで活躍した。この特異なグノーシス主義者については,教父テルトゥリアヌスほかの証言がある。
イラン
3世紀のマニに始まるマニ教は後期グノーシスを代表する。教会組織を積極的に採用し,4世紀末までにはやがて世界宗教となりうるほどの進展を示していた。とくに中央アジアのトゥルファンに移動した部分は13世紀ころまで存続し,中国にも入っていった。マニ教文書としては《ケファライア》,漢字パピルスなどが残っているほか,アウグスティヌスの証言がよく知られている。
→ヘルメス文書
執筆者:柴田 有
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報