グリアソン(その他表記)Herbert John Clifford Grierson

改訂新版 世界大百科事典 「グリアソン」の意味・わかりやすい解説

グリアソン
Herbert John Clifford Grierson
生没年:1866-1960

イギリスの批評家。スコットランドのアバディーン大学とオックスフォード大学を卒業。エジンバラ大学教授,総長になる。堅実な実証主義にもとづき,広い視野をもつ文化史的な方法を特色とする。《英文学の背景》(1925),《17世紀英文学の交流》(1929),《ミルトンワーズワース》(1937)などの著述があるが,ジョン・ダンの標準版詩集(1912),《形而上抒情詩選集》(1921)の編纂は,20世紀における,ダンをはじめとする17世紀の形而上詩人の再評価の気運を促し,T.S.エリオットらモダニズムの詩人たちに影響を与えた。修辞学にも詳しく,《カーライルヒトラー》(1933)という注目すべき論文がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グリアソン」の意味・わかりやすい解説

グリアソン
Grierson, John

[生]1898.4.26. スターリングシャー,キルマドック
[没]1972.2.19. バス
イギリスのドキュメンタリー映画の提唱者。アメリカに留学してマスコミュニケーションの重要性に注目し,帰国後映画の広報性と結びつけて理論化した (→PR映画 ) 。みずから監督をしたのは『流し網漁船』 Drifters (1929) 1本であるが,バジル・ライト,ポール・ローサ,ハリー・ワット,アーサー・エルトンら,この分野における数々の才能を育てた。またカナダ国立映画局の設立にかかわり,国際連合教育科学文化機関 (UNESCO) でもマスコミ・広報部門の責任者を務めるなど,一貫して指導的地位にいた。

グリアソン
Grierson, Sir George Abraham

[生]1851.1.7. ダブリン,グレナジャリー
[没]1941.3.9. サリー,キャンバリー
イギリスの言語学者。ダブリンのトリニティ・カレッジ卒業後インドに渡り,公務員として勤務するかたわら,ビハール語ヒンディー語ダルド諸語などの言語と,住民の生活を研究。 1898年インド全域の言語調査の指揮官に任命され,1928年までの 30年間その仕事にあたった。成果は,ノルウェーの S.クヌーブらの助力もかり,『インド諸語概観』 Linguistic Survey of India (11巻,1903~28) として刊行された。

グリアソン
Grierson, Benjamin Henry

[生]1826.7.8. ピッツバーグ
[没]1911. ミシガン,オメーナ
アメリカ合衆国陸軍軍人。南北戦争で北軍に加わり,1863年4月 17日~5月2日テネシー州ラグランジュからルイジアナ州バトンルージュへ騎兵部隊を指揮して進撃,ビックスバーグの戦いの勝利に貢献した。

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世界大百科事典(旧版)内のグリアソンの言及

【形而上詩】より

…すなわち17~18世紀の新古典主義的な流れのなかでは低い評価しか与えられなかったのであるが,19世紀のロマン主義時代になると,一部ながら形而上詩が駆使した〈根元暗喩radical metaphor〉や,これを支えた強い想像力に対する新しい認識がおこりはじめた。 そして20世紀に入ると,H.J.C.グリアソンによる新しい《ダン詩集》(1912)の刊行や,T.S.エリオットによる再評価(《形而上詩人論》1921)などがあって,まことに目ざましい復興がおこった。それは新しい時代の英詩が,知的な強靱さと情念のはげしさとを同時的に表現できるような語法を必要とし,さらには強い詩的イメージの用法を学ぼうと模索していたからである。…

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