日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ゲーリング(Hermann Göring)
げーりんぐ
Hermann Göring
(1893―1946)
ナチス・ドイツの指導者。国家元帥をはじめ16の官職、称号をもつといわれた。領事の子に生まれ、士官学校に学び、第一次世界大戦では空軍将校として活躍した。1922年ナチス党に入り、同党の突撃隊(SA(エスアー))を組織し、1923年のミュンヘン一揆(いっき)に参加して腰に負傷した。1928年国会議員となり、1932年国会議長に選出された。交際は広く、ヒトラーを財界、軍部、大統領に結び付け、その政権成立を裏面から支えた。1933年ヒトラー内閣に入ったが、プロイセン内相を兼ねてゲシュタポ(国家秘密警察)を組織し、航空相としては空軍の再建を図り、1935年再軍備宣言とともに空軍司令長官となった。また1936年四か年計画長官として軍備拡大を推進し、アウタルキー(自給自足経済)の実現に努めた。1939年9月ヒトラーにより後継者に指名されている(1941年6月法制化)。第二次世界大戦では空軍を指揮したが、対イギリス戦で失敗し、以後、政治的、軍事的威信を失った。1945年4月末ヒトラーにかわって総統になろうとして、その怒りを買い、全官職を剥奪(はくだつ)され、5月初め新総統デーニッツに英米軍との和平交渉を申し出たが、無視された。ニュルンベルク国際軍事裁判で絞首刑を宣告されたが、処刑2時間前に自殺した。
[吉田輝夫]
[参照項目] |
| | | |