ドイツの生理化学者。ロストックに生まれる。ストラスブール大学医学部に入り、生理化学の開拓者ホッペ・ザイラーに学ぶ。1877年にその助手となり、1881年、生理化学および衛生学の私講師となる。1883年、デュ・ボア・レイモンに招かれてベルリン大学生理学部門化学部主任となり、1895年にはマールブルク大学衛生学教授、1901年にドイツの生理化学者キューネWilhelm Friedrich Kühne(1837―1900)の後を継いでハイデルベルク大学教授を務めた。さらに1923年、彼のために設けられたハイデルベルク・タンパク質研究所の所長となった。
細胞とくに核の化学的研究の先駆をなし、細胞核中には核酸とともにタンパク質のプロタミンおよびヒストンが存在することを明らかにした。これらの研究は著書『プロタミンとヒストン』(全2巻、1927~1929)にまとめられた。プロタミンは、同じくホッペ・ザイラー門下で先輩のミーシェルJohann Friedrich Miescher(1844―1895)が1874年にサケの精子中に発見しながら、この物質が何であるかを解明できないまま死去したものである。ヒストンは、コッセル自身が1884年にガチョウの赤血球核中に発見し分離、命名した。彼はヒストン中に、これまで知られていなかったヒスチジンを発見してもいる。
核酸についての研究も行い、その構成成分のアデニンを発見、また門下のノイマンAlbert Neumannとともにシトシンおよびチミンを分離した。1910年、核酸、タンパク質の研究によりノーベル医学生理学賞を得た。
[道家達將]
ドイツの物理学者。1911年ハイデルベルク大学で学位を取得したのち、ミュンヘン大学でゾンマーフェルトに触れ、ボーアの理論によってX線放出のメカニズムの解明に着手、この研究で、原子内の電子の配列を究明した彼は、1916年の論文で原子結合のメカニズムを述べた。あらゆる原子は、ヘリウム、ネオン、アルゴンなどの安定な希ガス原子と同様の電子配列をもつ傾向があり、電子を失ったり得たりすることによって最外殻が8個の電子配置をとり、正負イオンの電気的結合が可能になると考えたが、共有結合については指摘することはできず、ルイスがそれを行った。1921年キール大学教授、1932年ダンツィヒ大学教授、その間X線結晶学の研究を続け、1944年ドイツ物理学協会よりマックス・プランク・メダルを受け、1947年チュービンゲン大学教授となった。気体中の電気放電、固体物理、音響学、結晶構造の解明など多面的な研究を行った。父アルブレヒトはノーベル医学生理学賞を受賞(1910)し、ハイデルベルク大学教授だった。
[高山 進]
ドイツの有機化学者.シュトラスブルク大学で医学を学び,1877年同大学の生理化学者F. Hoppe-Seyler(ホッペ-ザイラー)の助手となる.1878年医学博士号を取得.その後,ベルリン大学,マールブルク大学を経て,1901年ハイデルベルク大学教授となる.1924年からはハイデルベルクタンパク質研究所を指揮した.1879年から核タンパク質の研究をはじめ,これがタンパク質と核酸からなることを示し,核酸が,アデニン,チミン,シトシン,ウラシルという構成部分(塩基)をもつことを発見した.その後,ヒスチジン,アグマチンなども発見した.こうしたタンパク質・核酸研究への貢献により,1910年ノーベル生理学医学賞を受賞.また,ケンブリッジ大学,ダブリン大学などから名誉博士号を授与された.希ガス型の電子配置の安定性を指摘したのは,物理学者の息子のWalther Kossel(1888~1956年).
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
ドイツの原子物理学者。核タンパク質の研究で1910年ノーベル生理・医学賞を受賞した生化学者Albrecht Kossel(1853-1927)の子。11年ハイデルベルク大学で学位取得後,ミュンヘン大学でA.J.ゾンマーフェルトのもとに学び,13年ミュンヘン工科大学に就職,21年以後キール,ダンチヒ,チュービンゲン各大学の教授を歴任。N.ボーアの量子論を発展させてX線スペクトルの放出機構を論じ,原子内電子配置による原子価理論を最初に提出し(1916),化学結合を説明した。このほか,30年代半ばにはコッセル効果として知られているX線の干渉効果を発見するなど,X線分光学への寄与が多い。
執筆者:川合 葉子
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…たとえばNa+とCl-はともに1価であり,Mg2+,Ca2+,Ba2+などはいずれも2価である。 原子価についての理論を初めて提出したのはW.コッセル(1916)である。彼は希ガスに反応性がないことに注目し,原子の最外殻が電子で満たされた電子配置の状態が最も安定であると考えた。…
※「コッセル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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