コメニウス(読み)こめにうす(英語表記)Johann Amos Comenius

デジタル大辞泉 「コメニウス」の意味・読み・例文・類語

コメニウス(Johann Amos Comenius)

[1592~1670]ボヘミアの教育思想家・神学者モラビア生まれ。子供の成長に応じた教育の必要性提唱、近代教育学の基礎を築いた。ルソーペスタロッチ先駆者とされる。著「大教授学」「世界図絵」など。

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精選版 日本国語大辞典 「コメニウス」の意味・読み・例文・類語

コメニウス

  1. ( Johann Amos Comenius ヨハン=アモス━ ) チェコの教育思想家。モラビアに生まれる。実物の観察を重視し、子どもの成長に応じた教授法を考察。パンソフィア(知識の体系)の先駆者で、近代教育学の父といわれる。主著は「大教授学」「世界図絵」など。コメンスキー。(一五九二‐一六七〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コメニウス」の意味・わかりやすい解説

コメニウス
こめにうす
Johann Amos Comenius
(1592―1670)

現在のチェコの一地方モラビア生まれの教育思想家。チェコ名はヤン・アモス・コメンスキー。ボヘミア同胞教団の助けによって勉学し、やがて同教団の牧師となったが、たまたまその年(1618)、この教団を主勢力として生じたハプスブルク家への反乱三十年戦争にまで発展し、教団が王党とカトリック教会との圧迫を被るに至ったため、教団員とともに国外に難を逃がれ、結局、一生を流浪のうちに過ごした。この間、祖国の安定と、教育を介しての社会平和と人類救済への夢を抱いて著作に没頭したが、計画した体系的著述のなかばで、オランダのアムステルダムに没した。

 1620年代に早くも社会批判の書『現世迷路と魂の天国』Labyrint světa a lusthaoz srdceをはじめとして、「慰めの書」とよばれる一連書物を著したが、その後はとくに人類の平和と幸福の実現を目ざしての言語教育と教育一般の方法、内容、組織の改革にかかわる提言を精力的に行った。言語教育の領域では、彼を当時のヨーロッパにおいて一躍有名にした百科全書的原理によるラテン語教科書『語学入門』Janua linguarum reserata(1631)、『語学入門手引』Janua linguarum reseratae vestibulum(1633)がある。教授法や学校組織の領域では、史上最初の絵入り語学教科書として知られる『世界図絵』Orbis pictus(1658)、とくに身分や階級の違いを問わず「すべての人に」「すべてのことを」「楽しく」「的確に」教えるための、学校の全面的な改革原理の提案としての大著『大教授学』(1657)がある。この著書は、当時の「金持ち」のためのものであって「貧乏人」のためではない学校、「折檻(せっかん)場」「拷問室」に等しい学校への批判のうえにたつ近代的学校思想の先駆として、とりわけ高く評価されている。教育内容の領域では、新しい知識体系の構想として「汎知(はんち)体系」Pansophiaの名で計画された『汎覚醒(かくせい)』Panegersia(1645)その他の著作(全7巻として構想されたが未完に終わった)がある。これは、「汎知」という名称からすでに推測されうるように、自然と人間と社会とを独自の視点から知的に一貫して把握するという、本来的意味での「百科全書(エンサイクロペディア)―円環的教養―」への試みであった。

[村井 実 2018年6月19日]

『鈴木秀勇訳『大教授学』(1962・明治図書出版)』『堀内守著『コメニウス研究』(1970・福村出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「コメニウス」の意味・わかりやすい解説

コメニウス
Johann Amos Comenius
生没年:1592-1670

チェコスロバキアの宗教改革者,教育思想家。チェコ名はコメンスキーJan Amos Komenský。近代教育学とくに教授学の祖といわれる。モラビアの製粉業者の子に生まれ,ドイツの大学で神学を学び,帰国してフス派の流れをくむボヘミア兄弟団の僧職につき,のち指導者となる。三十年戦争でドイツ皇帝軍に制圧されたボヘミアから亡命し,生涯ヨーロッパ各国を流浪した。この間,予言者コッターChristoph Kotterに出会い千年王国説に影響を受け,また未来世代としての可能性を秘めた子どもへの期待に開眼して神の国の地上における実現に情熱をもやす。亡命の初期に刊行した《語学入門》(1631)などでおもに言語教育の革新者として高名になり,ハートリブSamuel Hartlibたちに招かれたイギリスでは,その来訪を機にローヤル・ソサエティ設立の討議が始まり,ベルリン科学アカデミーを設立したライプニッツも彼の影響を受け,アメリカのウィンスロップJohn Winthrop,Jr.はハーバード学長への就任を要請したという。またハンガリーに招かれて学校改革の実践にとりくんだこともある。

 彼の教育思想は,祖国の解放を宗教改革と一体にして行う課題から出発しながら,世界平和のための世界政府建設の理念と結びつくところへ発展したが,その背景には世界を神における一大調和とみる世界観,知を通して徳から信仰に至るという認識論とを含む神学がある。この観点から,すべての国の男女が同一の言語によって,階級差別のない単線型学校制度において学問のあらゆる分野を統合した万人に共通必須の普遍的知識の体系(パンソフィアpansophiaと彼は名づけた)を学ぶ必要を説き,みずからその体系化に精力を注ぐとともに,それを確実に身につけるための合自然の教育方法を追求した。主著《大教授学Didactica Magna》(最初チェコ語で書かれ,のちラテン語訳。刊行はラテン語版1657年,チェコ語版1849年)は世界最初の体系的教育学概論書といわれるが,教育方法理論の点では同時代のドイツの教授学者たちの業績を継承・発展したものとみてとれる。自然界の現象を観察し,それにならう教授を行えと説くが,そこには植物の生長を自然のモデルとする自主的学習に導く原理がある一方,自然の生産過程の模倣としての機械加工技術をモデルとする視点もあり,学校を人間製作工場に,教育技術を印刷技術になぞらえることもある。世界最初の絵入教科書《世界図絵》(1658)は,視覚教材の重要性を先取りし,言語を事物と結合して学習する方法を具体化してみせた。
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百科事典マイペディア 「コメニウス」の意味・わかりやすい解説

コメニウス

チェコスロバキアの教育思想家。チェコ名はコメンスキー。フス派の社会改革思想を継承するボヘミア兄弟団の牧師。三十年戦争の渦中に国外へ追放され,生涯亡命生活を送り,祖国解放を念願とした。人類愛的平和主義の立場から学校教育の改革をめざし,すべての国の男女が,同一の言語によって,階級差別のない単線型の学校体系において,普遍的知識の体系を学ぶ必要を説き,その教授方法を提唱した。近代教育学とくに教授学の祖といわれる。主著《大教授学》《世界図絵》。後者は近代的教科書の先駆とされる。
→関連項目学校劇教育学チェコ兄弟団直観教授薔薇十字団幼児教育

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コメニウス」の意味・わかりやすい解説

コメニウス
Comenius, Johann Amos; Jan Amos Komenský

[生]1592.3.28. モラビア
[没]1670.11.15. アムステルダム
ボヘミアの宗教指導者,教育思想家,教育改革者。ラテン語学校を経てドイツに遊学し,ハイデルベルク大学などで神学を修めて帰国。「ボヘミア兄弟団」の指導者となったが,モラビアが解放戦争に敗れ,1628年亡命ののちは生涯帰国できなかった。祖国の解放や世界の平和を新しい教育によって実現することを期待して,教育的著述や教育改革に専念した。あらゆる人々が「汎知学」 pansophiaすなわち普遍的な知識をもつための学校改革,教授法の改善をはかった。ラテン語の入門書『開かれた言語の扉』 Janua Iinguarum reserata (1631) は中世ヨーロッパのベストセラーとなった。また『大教授学』 Didactica magna (28~32年,チェコ語で完成,39年,ラテン語訳完成,57年,『教育著述全集』 Opera Didactica Omniaに収められて出版) ,『可感界図示』 Orbis sensualium Pictus (58) などの著書も世界的に有名である。彼の立場は感覚的 (または科学的) 実学主義,客観的自然主義などと呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内のコメニウスの言及

【演劇教育】より

… 演劇を教育活動の中に生かそうとする考え方は,ヨーロッパでは古代ギリシア時代からみられ,中世のキリスト教寺院でも,教義や礼拝を劇化する方法がとられていた。近代教育の父といわれるチェコスロバキアの教育思想家J.A.コメニウスは,《遊戯学校Schola ludus》(1654)という著作によって演劇教育の有効性を主張,近代教育の中に演劇教育を位置づけた先駆者となった。日本では,明治期を迎えキリスト教の布教が許されるようになると,教団によるミッション・スクールが設けられたが,そこで行われたキリストの降誕劇や,教会の日曜学校におけるクリスマス劇などが,演劇教育の先鞭をつけたとされる。…

【学校】より

…16世紀,ルターによる宗教改革がキリスト教学校に与えた影響のうち重要なのは初等教育の重視であり,ここで段階に分けた教育課程編成が始まり,学年制の端緒となった。
【近代学校の出発】

[学校の世俗化]
 このころから,長い期間教会の支配下にあった学校への批判が強まり,モンテーニュは,圧制的な学校のあり方や単なる博学を批判し,17世紀には,F.ベーコンの〈知は力なり〉という知識観を受け継ぎ,チェコスロバキアのJ.A.コメニウスが,反封建・反教会の立場から,平和主義と普遍人類的な知識体系の確立をめざし,教授学の確立に尽力し,近代教育への道を切り開いた。彼は,神は神の前では個人の身分は問わぬのだから,ある種の人々だけの知能を開発するのでは不公平であるとし,すべての人にすべてのことを教える技術の創造の必要を説き,学習全体を精密に学年に区分し,先の学習が後に続く学習への道を平らにし,それを照らすたいまつにすることを提案していた。…

【教育学】より

…まずW.ラトケが,F.ベーコンの事物観察,実験にもとづく帰納的方法の影響を受け,直観教授を重視し,教授の方法の確立をめざした。ついでJ.A.コメニウスが汎知主義に立って人類共通の知識を万人に教授する方法を探求し《大教授学Didactica magna》(1657)を著した。ヨーロッパではこの時代に生産方法の合理化がすすみ,教育においても合理的な教授の方法の確立が意識された。…

【教科書】より

…子どもの年齢にしたがい,発達段階に即して教材を編成する努力と並んで,視覚に訴える方法が考案された。その先駆者は17世紀のコメニウスである。彼は,はじめに感覚にないものは知性には存在しないとの前提に立ち,感覚が事物の違いをよく理解できるように訓練されれば,すべての知恵や一切の聡明な生活行動の基礎を形成できるとし,図式や絵の入った教科書《世界図絵》(1658)を編んだ。…

【宗教教育】より

… 宗教教育を教育の核に据えた18~19世紀の教育者にペスタロッチやフレーベルがいる。彼らは教育による社会の改善,民衆の解放と生活向上を意図したもので,三十年戦争によって荒廃したヨーロッパにあって教育の普及による平和な社会の実現,国際平和の実現を願ったチェコスロバキアの大教育学者コメニウスの系譜をひくものである。フランスでは,ナントの王令がルイ14世によって1685年に廃止されるが,ユグノーに対する弾圧はそれ以前から始められ,ユグノーの子どもに対する改宗教育政策が進められた。…

【人工言語】より


[歴史]
 1629年,学問の国際交流により知の革新と活性化をめざしたデカルト,メルセンヌらは,記号・音韻・意味の結び付きがきわめて恣意的である既成言語を批判し,数字のように精密に概念を表現できる哲学的言語の創出を提案した。これに呼応してコメニウスは,中世以来の言語教育が〈単に言葉を暗記させるだけで事物や概念の本質を学ばせていない〉点を改善する抜本策を人工言語に求め,この運動に参加した。一方イギリスでは,F.ベーコンが記号と意味の緊密な結合を示す漢字に着目し,次いでJ.ウィルキンズは〈漢字のように文字自体がその概念を表現しうる記号体系=真の文字real character〉を考案,詳細を極めた人工言語案《真の文字と哲学的言語についてのエッセー》(1668)を公にした。…

【世界図絵】より

…1658年に刊行された世界最初の絵入りの言語入門教科書。コメニウス著。感覚的具体的事物から出発して抽象的概念の理解へ進むこと,言語を事物認識と結合して教えることという方法原理に基づいて作られている。…

【チェコ兄弟団】より

…だが,徹底したカトリック化をおし進めるフェルディナント2世(在位1619‐37)の治世に勃発した1620年のプラハ近郊のビーラー・ホラの戦で,反カトリックの貴族軍が国王軍に破れたのちは,他のプロテスタント派とともに決定的な打撃を受け,信徒も数多く国外に追放された。兄弟団最後の監督職で教育学者コメニウスも当時亡命した一人であった。国内では多くの信徒がカトリックに改宗するなかで,兄弟団の教えはひそかに守られ続けた。…

【チェコスロバキア】より

…1918年から92年まで続いた中欧の共和国。国名通称はチェコ語,スロバキア語ともČeskoslovensko。1920‐38年,1945‐60年の正式国名は〈チェコスロバキア共和国Českoslovká republika〉。1948年以後は社会主義体制をとり,60年からの正式国名は〈チェコスロバキア社会主義共和国Československá Socialistická republika〉。1969年よりチェコ社会主義共和国とスロバキア社会主義共和国の連邦制に移行したが,89年の〈東欧革命〉の進行過程で両共和国で連邦制の見直しが図られ,正式国名を〈チェコおよびスロバキア連邦共和国Česká a Slovenská Federativní Republika〉に変更した。…

【直観教授】より

…それは教育が現実の世界に存在する事実や子どもたちの具体的な経験から離れ,抽象的な概念のつめこみや空理空論に流れたりする弊害を改めようという立場から唱えられた教育改革の主張でもあった。この主張は古代から存在するが,17世紀にJ.A.コメニウスがその主著《大教授学Didactica magna》においてその理念と方法を詳しく説いて以来,近代教育学の基本的な課題の一つとされてきた。なかでもJ.H.ペスタロッチは,概念の形成に先んじて直観を重視することを教育改革の基本とする理論や実践を深く追求し,その後の〈ペスタロッチ主義運動〉といわれる改革への努力も,具体的には直観教授のあり方を問うことをもって課題としたといってよい。…

※「コメニウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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