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コルホーズ コルホーズkolkhoz

翻訳|kolkhoz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コルホーズ
kolkhoz

ソビエト連邦で発達した農業の集団経営形態。 kollektivnoye khozyaynstvoの略で,集団農場と訳される。ソフホーズとともに社会主義農業経営の基本形態とされた。コルホーズは,経営の集団性の低い順からトーズ (土地協同耕作組合) ,アルテリ (農業生産協同組合) ,コムーナ (生産消費共産自治体) の3種類があり,農業施設,機械,役畜,種子など主要生産手段を社会化し,住宅,付属地,家畜,小農具などの個人所有を認めるアルテリ形態が圧倒的である。付属地と家畜の個人所有は地域により異なるが,その限度内で認められ,自家消費の剰余生産物はコルホーズ市場で販売することができた。機械化の推進により農業の生産性が高まったほか,ペレストロイカのなかで,請負制など個人の自発性を重視する制度が導入され活性化がはかられた。 1991年 12月ボリス・N.エリツィン大統領は土地改革に関する大統領令を布告,コルホーズ,ソフホーズの解体を打ち出したが,議会保守派の抵抗によって,急激な土地の私有化にブレーキがかけられた。 1993年ロシア最高議会は個人に土地所有権を与える法案を承認したが,いまだにコルホーズもソフホーズも残っている。

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百科事典マイペディアの解説

コルホーズ

生産手段の共有と協同作業を特徴とする集団農場。ソホーズと並びソ連の農業集団化の基本形態。協同耕作組合であるトーズに由来する。全生産手段の共有と共同消費に基づくコンムーナが生まれたが,両形態は経済発展に不適とされて,1930年代には基本的生産手段の共有下に個人消費経営をも認めるアルテリが基本形態となった。
→関連項目クラーク集団農場ソビエト連邦

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世界大百科事典 第2版の解説

コルホーズ【kolkhoz】

ソ連邦の集団農場。勤労農民が自発的に連合して共同経営を行う団体と定義される。kollektivnoe khozyaistvo(集団的経営)の省略形。ソホーズ(国営農場)とともにソ連の社会主義農業の2形態を形成した。生産手段の共同化の段階に応じて,コルホーズは三つの形態に区分された。最も初級の形態は,耕地だけを共同化した土地共同耕作組合(トーズ),次いで耕地と家畜・農具の主要部分を共同化したアルテリ(ここでは屋敷付属地(菜園)の私的利用が認められ,その耕作に必要な生産手段および若干の家畜の私的所有が認められた),最後に共同化の完全な形態がコムーナと呼ばれた。

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大辞林 第三版の解説

コルホーズ【kolkhoz】

旧ソ連の集団農場。協同組合形式により農民が集団経営を行う。主要な生産手段は社会化され、生産は集団によって行われ、収益は各自の労働に応じて分配される。 → ソフホーズ

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

コルホーズ
こるほーず
колхоз kolhoz ロシア語

ソ連における農業の経営形態の一つで、коллективное хозяйство(集団の経営)の略称。ロシア革命は古くからの地主制的土地所有を解体した。土地国有が宣言されたが、1920年代の土地保有は標準化、零細化した小農体制であった。1920年代の部分的で熱狂的な農業集団化とは質的にも異なる全面的強制的集団化が1930年以降のソ連農村で展開される。マルクスエンゲルスカウツキーレーニンという系譜で、小農体制は理論的に否定されていたのであり、大規模、機械化、集団作業こそが社会主義農業であるとする理念がそもそもあった。ただし性急さは戒められ、実物での説得という方法が主張されていたのであるが、1920年代末ごろの穀物調達危機を契機に行政的方法での全面的集団化がスターリンのもとで断行されたのである。クラーク(富農)の烙印(らくいん)を押された人々数百万人が犠牲となったのみならず、農民は抵抗の一つの形として家畜を殺してしまったので、ソ連の家畜は一挙に半減した。この回復には1950年代後半までかかった。当初コムーナ、トーズ、アルテリと3形態あった集団農場は、こうした小農の抵抗も考慮しつつ、住宅、家畜の一部、小生産用具、個人副業経営などを個人が保有することを基礎としたうえで、大圃場(ほじょう)、施設、大畜舎などを社会化し共同労働で営むアルテリ型に落ち着いた。それゆえコルホーズは一般に協同組合農場と訳されてきた。
 社会化経営でのコルホーズ員への分配は、労働の質と量に応じての作業日という単位で行われていたが、その後、職種ごとのノルマと賃率表に基づいた貨幣支給となった。自主的組織というのがたてまえだが、事実上は国営農場の同じ職種の賃率表が規準とされるようになった。最高決議機関はコルホーズ員総会であり、そこで議長、理事長などが選挙される(任期3年)ということになっていたが、事実上、大きいコルホーズなどの議長人事は上部機関が握っていた。1935年第2回コルホーズ員大会の模範定款が長く用いられていたが、ブレジネフ下で1969年第3回大会が開かれ新定款が採択された。コルホーズ民主主義の強化、農業の工業化、個人副業経営の地位向上などが柱であったが、コルホーズのソフホーズ化、すなわち事実上の国有化はいっそう強まったとみられる。人事面での上部機関の力の増大もそうだが、農産物買付価格システムは国営農場のケースとほとんど一体となり、賃金もスターリン時代とは異なり国営農場員の賃率表が適用されるケースが増えた。さらに装備や施設などへの投資(基本投資)では国家投資の比重が増え、コルホーズ自身の投資といわれるものも、内実は国立銀行の融資を受けた資金に基づくものが激増した。スターリンは、コルホーズを国有企業よりも一級下位の社会化形態とし、その残存のゆえにソ連には商品形態が残っているという奇妙な理論を展開したのであるが、第二次世界大戦後のソ連のコルホーズでは事実上の国有が進展したといって過言ではない。コルホーズの経営数はペレストロイカのもとでの若干の増加を別とすれば大戦後は一貫して着実に減少したにもかかわらず、賃金総額や機械装備はむしろ増加してきたし、一企業の平均規模は大きくなっていたのである。
 かつてコルホーズは党の拠点たるエム・テー・エス(機械・トラクター・ステーション)に監視されながらその総収穫の4~5割をもほとんど無償で国家に提供する工業化の蓄積源泉であり、それゆえ少数の国営農場に比較し困難な条件下にあったが、ソ連中期から末期にかけてそれは国有企業に接近し、かつ被保護化さえしていたのである。ソ連解体後、家族経営化が比較的進んだアルメニアなどを除けば、ロシア、ウクライナなどではコルホーズの分割・株式会社化・小協同組合化などが進められたが、全体的にはこうした「企業経営」はかつての集団農場の性格を実質的には脱していないとみられる。1990年代なかば以降は、統計上はこれら「企業経営」と並び「住民経営」「フェルメル(家族経営)」が経営類型として登場する。[中山弘正]
『中山弘正著『現代ソヴエト農業』(1976・東京大学出版会) ▽中山弘正著『ソビエト農業事情』(1981・日本放送出版協会) ▽奥田央著『ヴォルガの革命』(1996・東京大学出版会) ▽中山弘正・上垣彰・栖原学・辻義昌著『現代ロシア経済論』(2001・岩波書店)』

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