コンデ(英語表記)Condè, Maryse

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「コンデ」の解説

コンデ
Condè, Maryse

[生]1934.2.11. フランス領グアドループ,ポアンタピートル
フランス,グアドループの作家。本名マリーズ・フィルコックス。裕福な黒人家庭に生まれ,16歳でパリに渡り,フェヌロン高等学校を経てソルボンヌ大学で英文学を専攻。詩人エメ・セゼール著作を通じてネグリチュードの思想に大きな影響を受けた。大学卒業後,西アフリカ出身の俳優ママドゥ・コンデと結婚し,ギニア,ガーナ,セネガルで教職についた。アフリカで 10年以上過ごしたのちパリへ戻り,1975年ソルボンヌ大学で博士号を取得。1976年,アフリカ滞在中に見聞したギニア独立運動の英雄セク・トゥーレの圧政やアフリカへの文化的違和感を虚構を交えて小説化したデビュー作『ヘレマコノン』Hérémakhononを発表。その後,西アフリカのバンバラ族の歴史物語『セグー』Ségou(1984)がベストセラーとなり,作家として認知されるようになった。1980年代故郷に戻り,魔女裁判にかけられた実在のカリブ女性を描いた『わたしはティチューバ――セイラムの黒人魔女』Moi, Tituba, sorciére--: noire de Salem(1986),奴隷出身一族の年代記『生命の樹』La Vie scélérate(1987)などの代表作を発表。広大な時空間をめぐるダイナミックな物語と皮肉のきいた文体で親しまれ英語圏にも読者が多い。近年は病で体が不自由となったが,2017年には 2番目の夫でコンデ作品の英訳者でもあるリチャード・フィルコックスの口述筆記により,現代フランスのテロ事件を扱った問題作を出版。2018年,審査団のスキャンダルにより発表が見送られたノーベル文学賞(→ノーベル賞)の代替となるニュー・アカデミー文学賞を受賞した。

コンデ
Condé, Louis II de Bourbon; Le Grand Condé

[生]1621.9.8. パリ
[没]1686.12.11. フォンテンブロー
フランス,コンデ家のアンリ2世の息子。アンガン公。大コンデ,コンデ親王と呼ばれる。国王ルイ 14世時代の大将軍の一人。 1643年ロクロアでスペイン,ドイツ両軍に勝利し,46年にはダンケルクの降伏をかちとった。 48年ランスの戦いに勝ち,ウェストファリア条約の締結を導く。 50年 J.マザランを排して政権を奪取しようとしたが,陰謀が発覚して逮捕された。翌年釈放され第2次フロンド,いわゆる「貴族のフロンド」の指導者となり,一時パリに政権をつくった (→フロンドの乱 ) 。しかし,過去の特権を復活しようとする彼からはパリの民心が離れ,スペイン領ネーデルラントのペイバに亡命を強いられた。その後スペインに加担して 58年までフランスと戦ったが,アラスなどで敗北ピレネー条約の結果,特赦によって帰国が許された。フランシュコンテの征服戦争やオランダ戦役に活躍した。

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デジタル大辞泉「コンデ」の解説

コンデ(Maryse Condé)

[1937~ ]フランスの小説家。仏領グアドループ出身。アフリカの国々でフランス語を教えた後に作家デビュー。アフリカのマリを舞台にした歴史小説「セグー」はベストセラーとなり、多くの言語に翻訳された。「生命の樹」でアナイスニン賞を受賞。2018年、ニューアカデミー文学賞を受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「コンデ」の解説

コンデ Conde, David W.W.

1906-1981 アメリカのジャーナリスト。
1906年7月18日生まれ。太平洋戦争中は対日宣伝活動に従事戦後はGHQ民間情報教育局に勤務し,初代映画演劇課長に就任。占領軍改革派として日本の民主化につくした。のちロイター通信社東京特派員。1981年4月23日死去。74歳。カナダのオンタリオ州出身。著作に「絶望アメリカ」など。

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