アメリカの裁判史上有名な事件。〈赤〉への恐怖や排外主義が病的にまで高まった1920年代アメリカを象徴し,U.B.シンクレアの小説《ボストン》などの題材ともなった。国内だけでなく,西欧,中南米でも抗議運動が展開されたことでも知られ,アインシュタイン,アナトール・フランス,ロマン・ロランらも参加した。事件は1920年4月15日,マサチューセッツ州サウス・ブレーントリー市の路上で,製靴会社の会計部長と護衛が射殺され,1万6000ドルが奪われたことに端を発する。5月5日,容疑者として,製靴工のサッコNicola Sacco(1891-1927)と魚行商人のバンゼッティBartolomeo Vanzetti(1888-1927)が捕らえられた。2人はイタリア人で,1908年に移住し,第1次大戦中は徴兵を避けるためメキシコに赴いたこと,アナーキズムの信奉者であったこと,など共通点が多い。物的証拠はほとんど皆無であったが,2人の履歴と思想を嫌悪する裁判長と陪審は,7月14日,第一級殺人で有罪を宣告し,ボストンの世論もこれを支持した。2人の無実を信じ,公正を欠く審理に抗議する内外の運動に押され,死刑執行は延び,知事は特別委員会を設けたが,結論は判決を支持した。執行日が近づくと,ボストンは準戒厳状態におかれた。27年8月23日,2人は処刑された。弾道試験その他の手続を経て62年発表されたF.ラッセルの研究は,サッコは有罪だったかもしれないが,バンゼッティは無罪であると判断している。マサチューセッツ州知事は1977年,2人の無実を公式声明により確認した。
執筆者:清水 知久
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1920年代のアメリカの殺人事件裁判で、政治的でっち上げといわれる。1920年4月、ボストン市郊外の靴工場を数名の強盗が襲い、2人を殺し大金を奪った。3週間後、イタリア移民で靴工のニコラ・サッコと魚行商人のバルトロメオ・バンゼッティとがまず別件で逮捕され、この事件の犯人とされた。彼らはともに無政府主義者、徴兵拒否者であり、拳銃(けんじゅう)を持っていた。またこのころ、司法長官パーマーの赤狩りなど左翼は弾圧され、移民制限が叫ばれていた。翌年5月に裁判が始まり、証言のみで物証不十分のまま、7月に有罪とされた。それは政治信条を超えた多数の人の抗議を呼び起こし、何度か控訴、再審が請求され、さらに25年、自供者が現れたが認められなかった。アメリカ内外で有名人も参加する釈放運動が高まり、執行責任者の知事は委員会に諮ったが、誤審なしとされ、2人は27年8月、電気椅子(いす)に送られた。のち、この問題を扱った多くの芸術作品が生まれた。
この事件はその後も長く論じられ、1959年にはボストン司法委員会は再審請求を取り上げ、無罪を証した。しかし、61年の条痕(じょうこん)検査ではサッコの拳銃が犯罪に用いられたとされ、彼を有罪とみる者もおり、今日に至るも見解は分かれている。
[長沼秀世]
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…その中から主著として,《民主主義と教育》(1916),《哲学の改造》(1920),《人間性と行為》(1922),《経験と自然》(1925),《論理学――探究の理論》(1938)などを挙げることができよう。なお彼は,著作活動だけにとどまらない行動する思想家であり,中国,トルコ,ソ連などへの教育視察・指導旅行,サッコ=バンゼッティ事件での被告弁護活動などは特によく知られている。プラグマティズム【米盛 裕二】。…
※「サッコバンゼッティ事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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