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サティ サティSatie, Erik(-Alfred-Leslie)

9件 の用語解説(サティの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

サティ
サティ
Satie, Erik(-Alfred-Leslie)

[生]1866.5.17. オンフルール
[没]1925.7.1. パリ
フランスの作曲家。パリ音楽院に学ぶが,アカデミックな教育に反発して退学。カフェピアニストをしながら秘密結社バラ十字団」に入り,単旋聖歌などにひかれる。 1891年以後クロードドビュッシーと親交を結び,1905年スコラ・カントールム対位法を学ぶ。

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サティ
サティ
Sati

エジプト神話の女神。ヘクトとともにクヌムの配偶者。瀑布地帯の守護神。「矢のごとく走るもの」を意味する名。エジプトの最南端部で崇拝され,ナイル川中のサヘルの島に主聖所があった。上エジプトの第1郡は彼女の名をとってタ・セテット (サティの土地) と呼ばれる

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デジタル大辞泉の解説

サティ(Erik Alfred Leslie Satie)

[1866~1925]フランスの作曲家。奇抜な言動などによって異端視されたが、ドビュッシーらに影響を与えた。作品にピアノ曲「グノシェンヌ」、バレエ音楽「パラード」など。エリック=サティ。

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百科事典マイペディアの解説

サティ

フランスの作曲家。フランス北部の港町オンフルールに生まれる。6歳でスコットランド人の母をなくし,祖父母のもとで育った。1878年パリ音楽院に入学するが,その保守性に反発し,学業なかばで軍隊に志願。
→関連項目アンセルメクレールストラビンスキートムソンプーランクモンポウルーセル

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

サティ

全作品のうち半分以上をピアノ曲が占めていて、ピアノ作品はどれも純粋な美しさを持っている。10代のときパリ音楽院でピアノや作曲を学んだが、音楽界特有の保守的な雰囲気になじまず、その後はキャバレーや芸術家 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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デジタル大辞泉プラスの解説

サティ

株式会社マイカルが展開していたスーパーマーケットチェーン。同社がイオングループに入り、現在は「イオン」にブランド転換されている。

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世界大百科事典 第2版の解説

サティ【Erik Satie】

1866‐1925
フランスの異色の作曲家。パリ音楽院を中退して,生活のために世紀末のパリの芸術家のたまり場となった酒場〈黒猫〉などのピアニストとして働きながら,中世的な神秘主義の世界をうかがわせるピアノ曲《三つのジムノペディ3 gymnopédies》(1888),《三つのグノシェンヌ》(1890。のち3曲が発見され1968年に出版)などを作曲。また一時,文学者ペラダンが主宰した神秘主義的秘密結社〈カトリック薔薇十字団〉に入り,公認作曲家となり,同団の音楽や,ペラダンの戯曲《星たちの息子》の音楽(1892)を作曲する。

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大辞林 第三版の解説

サティ【Erik Alfred Leslie Satie】

1866~1925) フランスの作曲家。アカデミズムを嫌い作曲はほぼ独学。自作に奇妙な題を付けるなど奇行で知られたが、作風は新古典的で、純粋明晰めいせき。ドビュッシーらに影響を与えた。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

サティ
さてぃ
Erik Alfred Leslie Satie
(1866―1925)

フランスの作曲家。5月17日ノルマンディー地方オンフルールで、海運業の父とスコットランド人の母の間に生まれる。8歳のとき生地の教会オルガニストからピアノを学んだ。1878年パリに出て、79年パリ音楽院に入学、86~87年兵役につくが、除隊後は復学せず、モンマルトルの文学カフェ「黒猫」に出入りし、ピアノを弾いて生計をたてた。当時のピアノ作品『三つのサラバンド』(1887)、『三つのジムノペディ』(1888)には彼の生涯を貫く教会旋法(長短調ではなく)の利用がすでにみられる。小節線を廃したピアノ曲『三つのグノシェンヌ』(1890)もこのころの作品。90~92年、J・ペラダン率いる「カトリック・バラ十字団」の公認作曲家となり、ピアノ曲『バラ十字団の鐘』(1892)などを作曲。91年には「黒猫」から「旅籠屋(はたごや)・釘(くぎ)」の専属ピアニストとなり、ここでドビュッシーと知り合う。98年パリ南部郊外アルクイユに転居、モンマルトルまで毎日歩いて通う貧困な生活を続けるが、いつも山高帽に正装であったことから、ベルベット・ジェントルマンとあだ名される。パントマイムの音楽『びっくり箱』(1899)、人形劇『ジュヌビエーブ・ド・ブラバン』(1899)、四手ピアノのための『梨(なし)の形をした三つの小曲』(1903)などで、カフェ音楽と芸術音楽の障壁を取り払う。1905~08年、スコラ・カントルムに入学し、ルーセル、ダンディに対位法を学んでいる。14年に一幕喜劇『メデューサの罠(わな)』を初演して以降、サイレン、タイプライター、ピストルなどの騒音をコラージュしてスキャンダルとなった17年のバレエ『パラード』(コクトーの台本、ピカソの装置と衣装、ディアギレフのロシア・バレエ団上演)、18年の交響的ドラマ『ソクラテス』、24年のバレエ『メルキュール』(ピカソの装置と衣装、マシーン振付け)、同年のバレエ『本日休演』(ピカビアの台本)とその幕間(まくあい)に上映された映画『幕間』(ルネ・クレール監督)を作曲し、ダダ、シュルレアリスム運動の先鞭(せんべん)をつける。晩年の彼の周囲にはデゾミエールらの若い作曲家が集まったが、25年7月1日、肝硬変と肋膜(ろくまく)炎により、独身のままの生涯を閉じた。
 一つのテーマを840回繰り返す『ベクサシオン』Vexations(1893ころ)、環境音楽を先取りする「家具の音楽」musique d'ameublementの思想、譜に書き込まれたことば、非ロマン主義、印象主義的なユニット構造の音楽、風刺と皮肉に富んだ軽妙洒脱(しゃだつ)な文章などにより、近年(ことにジョン・ケージが1948年にサティ擁護の講演を行って以降)再評価の気運が高まっている。[細川周平]
『中島晴子著『睡れる梨へのフーガ エリック・サティ論』(1977・東京音楽社) ▽『音楽の手帖 サティ』(1981・青土社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のサティの言及

【梨の形をした三つの小品】より

…フランスの作曲家E.サティの初期のピアノ連弾のための作品で,1903年に作曲された。独特な神秘思想をもっていたサティは,小節線を取りはずした自由な形式のピアノ曲などを作曲していたが,あるときドビュッシーに形式について配慮するように忠告され,その忠告に対する回答としてこの作品を完成した。…

【フランス音楽】より

…このほかデュカース,F.シュミット,C.ケクラン,A.カプレの名をあげておこう。 サティは,ドビュッシーとほぼ同年輩であるが,第1次世界大戦後その単純でむきだしな音楽が,戦前の美意識――ワーグナー,ロマン派,ドビュッシー――への反逆の先鞭をつけた。そしてJ.コクトーを仕掛け人としてオネゲル,ミヨー,プーランクらの〈六人組〉が戦後最初の前衛活動をおこし(1918),次にきたソーゲHenri Sauguet(1901‐89)はR.デゾルミエールらとサティを先達と仰ぐグループ〈アルクーユ楽派〉を結成した。…

※「サティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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