アメリカの経済学者。モンタナ州リビングストンに生まれる。36歳にして「200人の新進気鋭のリーダー」(『タイム』1974年7月15日号)の一人に選ばれた。1984年よりアメリカ芸術科学アカデミーの会員。1993年アメリカ経済学会の副会長。1962年オックスフォード大学で経済学修士、1964年ハーバード大学で経済学博士。「ニュー・エコノミックス」を推進するジョンソン政権の大統領経済諮問委員会のスタッフ・エコノミスト(1964~1965)を務めた後、ハーバード大学経済学部助教授(1966~1968)を経て、1968年よりマサチューセッツ工科大学(MIT)経済・経営学教授に就任。1987~1993年はMIT経営学大学院スローン・スクール(ビジネス・スクール)校長。専門は、国際経済学、財政学、マクロ経済学、所得分配の経済学。アメリカが抱える経済問題(エネルギー、インフレーション、経済成長、環境、所得分配などの諸問題)の分析と解決の書『ゼロ・サム社会』The Zero-Sum Society : Redistribution and the Possibilities for Economic Change(1980)は大きな反響をよび、アメリカの経済政策にもまた大きな影響を及ぼした。所得と富の分配についての第一級の研究書『不平等を生み出すもの』Generating Inequality : Mechanisms of Distribution in the U. S. Economy(1975)において展開されたモデルのなかでもとくに次の二つは、その後の理論研究の発展に大きな貢献をした。
(1)仕事競争モデルjob competition model 所得分配を説明する。人々は企業に就職し仕事につきながら初めて技能を修得していくという職場訓練(OJT)を重視。人々は高い賃金を求めて互いに競争する(伝統的な賃金競争モデル)のではなくて、よりよい条件の仕事(技能を修得する機会)を求めて互いに競争するというもの。このモデルを用い、受験競争や人種差別・男女差別の問題も解明される。
(2)ランダムウォーク・モデルrandom walk model(ランダムウォーク=でたらめ歩き、酔歩) 富の偏った分配を説明する。少数の個人が一挙に巨額の富・財産を手に入れるのは、これら個人の能力が優れているからではなく、たとえていえばたまたま運よく「くじ」に当たったからであるとする仮説。
学界のみならず『ニューズウィーク』や『ニューヨーク・タイムズ』、それにテレビ番組のレギュラー出演などジャーナリズムでも広く活躍。ほかのおもな著書としては、『貧困と差別』Poverty and Discrimination(1969。ハーバード大学からウェルズ賞受賞)、『ゼロ・サム社会 解決編』The Zero-Sum Solution(1985)、『財政赤字』The Deficits(共著・1986)、ベストセラー『大接戦』Head to Head(1992)、『資本主義の未来』The Future of Capitalism(1996)、『日本は必ず復活する』Japan's Economic Recovery(1998)、『富のピラミッド』Building Wealth(1999)などがある。
[内島敏之 2018年8月21日]
『岸本重陳訳『ゼロ・サム社会』(1981・TBSブリタニカ)』▽『レスター・C・サロー著、佐藤隆三訳『デンジャラスカレンツ――流砂の上の現代経済』(1983・東洋経済新報社)』▽『小池和男・脇坂明訳『不平等を生み出すもの』(1984・同文舘出版)』▽『金森久雄監訳『ゼロ・サム社会 解決編』(1986・東洋経済新報社)』▽『ダニエル・ベル、レスター・サロー著、中谷巌訳『財政赤字――レーガノミックスの失敗』(1987・TBSブリタニカ)』▽『土屋尚彦訳『大接戦――日米欧どこが勝つか』(1992・講談社/講談社文庫)』▽『山岡洋一・仁平和夫訳『資本主義の未来』(1997・TBSブリタニカ)』▽『山岡洋一・廣瀬裕子訳『日本は必ず復活する』(1998・TBSブリタニカ)』▽『レスター・C・サロー著、島津友美子訳『経済探検 未来への指針――資本主義を超えて我々はどこへ行くのか』(1998・たちばな出版)』▽『山岡洋一訳『富のピラミッド――21世紀の資本主義への展望』(1999・TBSブリタニカ)』▽『レスター・C・サロー著、三上義一訳『知識資本主義』(2004・ダイヤモンド社)』
フランスの政治家。南フランスの有力紙『デペッシュ・ドュ・トゥールーズ』主筆で上院議員でもあった兄モーリス(1869―1943)とともに急進社会党の有力者であった。1902~1924年オード県選出代議士、1926~1940年同県選出上院議員を務め、その間要職を歴任。とりわけインドシナ総督(1911~1914、1916~1919)、植民地相(1920~1924、1932~1933)を務めて一定の成果を収め、植民地問題のエキスパート視された。1933年と1936年の再度首相を務めるが、1936年ナチス・ドイツによるラインラント進駐に対して首相として有効な対抗策を打ち出すことができず、苦悩のうちにブルム内閣に道を譲った。第二次世界大戦末期ドイツに強制移送されたが、戦後帰国し、1951年にはフランス連合議会議長に選ばれた。
[平瀬徹也]
フランスの政治家。急進社会党に属する。第1次世界大戦前および戦時,インドシナ総督を2度にわたってつとめ,大戦後フランスの植民地政策遂行の中心として活動。1920-24年および32-33年植民地相,また1926-28年内相を歴任。33年と36年の2度首相となり,とくに36年には人民戦線前夜の難局に対処しようとするが,いずれも短期に終わる。以後も第2次世界大戦でドイツに敗れるまで,しばしば閣僚をつとめる。44年ドイツ軍に対ドイツ非協力者として逮捕され,オーストリアに送られる。フランス解放後,政治活動に復帰。51年,植民地,海外領土と本国を結合したフランス連合議会の議長となる。植民地関係の著書もある。
執筆者:加藤 晴康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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