ペルシアの詩人。イラン南部の都市シーラーズの学者の家に生まれる。郷里で基礎学問を修めたのち、バグダードのニザーミーヤ学院に留学して高度の学問を学ぶ。1226年ごろ留学を終えたが、郷里に帰らず、放浪の旅に出立、托鉢(たくはつ)僧として約30年間西アジア各地を遍歴、神秘主義の修行に努めた。56年郷里に帰り、地方王朝サルガル朝君主やイル・ハン朝の太守の知遇を受ける。晩年はシーラーズ郊外に庵(いおり)を結び、隠遁(いんとん)生活を送り、静かな余生を過ごした。その墓は「サーディーエ」として知られ、シーラーズの名所になっている。
長い放浪の旅を終え帰郷直後に執筆した二つの名作『果樹園』(1257)と『薔薇(ばら)園』(1258)によってペルシア文学史上不朽の名声を得た。約4000句の『果樹園』は序と10章からなる叙事詩で、正義、良策、恩愛、愛、諦念(ていねん)、満足などの表題で詠まれ、豊かな人生経験と学識に裏づけられており、教訓詩の極致として評価される。『サーディー全集』には多くの優れた叙情詩も収める。叙情詩は現実生活の愛や酒を好んで歌い、自然な感情の表現を特色としている。
[黒柳恒男]
『黒柳恒男著『ペルシアの詩人たち』(1980・東京新聞出版局)』
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?~1292頃
イランの著名な実践道徳の詩人。イラン南部シーラーズの出身。約30年間,イスラーム世界を広く旅行した。代表作品『果樹園』と『薔薇(ばら)園』は中世以来最高の教養・道徳書として愛読されてきた。
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…とくにバグダードの学院はイスラム諸学の中心的な地位を占め,学生数は数千人に達したという。教授陣の中で神学教授であったガザーリーはとくに名高く,学生の中では後にムワッヒド朝の基礎を築いたイブン・トゥーマルトやイランの大詩人サーディーがよく知られている。バグダードの学院はセルジューク朝没落後,14~15世紀ごろまで存続した。…
…同世紀半ばから14世紀前半に至るモンゴル系イル・ハーン国時代には,同朝の政策により宮廷詩人は活躍の場を失って頌詩は著しく後退し,それに代わって世の不安・無常が痛感されるにつれて現世逃避,安心立命への願望が高まり,時代を反映して神秘主義詩がますます盛んになり,さらにこの時代に,それまで主として宮廷貴族文学であったペルシア詩は性格を大きく変え,都市庶民文学がしだいに台頭したが,その大きな表れが抒情詩の隆盛であった。13世紀を代表する二大詩人はルーミーとサーディーである。神秘主義最高の詩人ルーミーの代表詩集《精神的マスナビー》は〈ペルシア語のコーラン〉とも評され,熱情的な神秘主義の抒情詩集も高く評価されている。…
※「サーディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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