フランスの詩人。イスタンブールに生まれ,パリで教育を受けた。フランス革命が起こると穏健派に属し,反ジャコバン・クラブの論客として知られたが,32歳の若さで断頭台に消えた。生前はほとんど詩を発表せず,詩人としては無名に近かった。詩の草稿の一部が刊行されたのは1819年になってからであり,詩作の全容が明らかになるのはさらにその半世紀後である。刊行直後から,当時台頭しつつあったロマン派の詩人たちに先駆者として熱烈に迎え入れられた。彼はギリシア古典の模倣によって,古代の詩の素朴さと新鮮さを再び詩に取り戻すことに成功し,ホメロスを歌った〈盲人L'aveugle〉や〈ターラントの娘La jeune tarentine〉などの傑作を含む《牧歌Bucoliques》や《悲歌Elégies》をつくり,また,百科全書派の新しい科学思想を古代の詩形に盛り込むという壮大な構想をもった幾編かの未完の叙事詩を残している(《創造L'invention》《エルメスHermès》《アメリカL'Amérique》)。彼は18世紀の時代精神を表現した最高の詩人であると同時に,19世紀における詩の復権を準備した先駆者である。ジョルダーノのオペラ《アンドレア・シェニエ》は彼を主人公としたものである。
執筆者:田村 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス18世紀最大の詩人。フランス人の外交官を父に、ギリシア人を母として、コンスタンティノープル(現イスタンブール)に生まれる。5歳よりパリに住む。軍隊生活ののちスイス、イタリアを旅行、1787~90年にはロンドンのフランス大使館に勤務。フランス革命に共鳴し、激動の革命のなかに身を投ずるが、革命の過激化とともに反対の立場にたつ。4か月の牢獄(ろうごく)生活ののち、テルミドールの反動の前日に処刑された。生前にはほとんど詩は知られていなかった。代表作には『若きタランチーヌ』『若き囚(とら)われの女』のような短詩形式の、牧歌、田園詩、哀歌、叙情詩や、ホメロスを歌った『盲人』、形而上(けいじじょう)詩『ヘルメス』などの長編詩がある。古典文学、とくに古代ギリシアの詩の影響がみられる。獄中で書いた『風刺詩』には恐怖政治に対する絶望が語られている。最後の古典派とも最初のロマン派ともよばれているが、詩句に諧調(かいちょう)や柔軟さを与える詩法上の革新は、ロマン派へとつながるものであった。その生涯、とくに革命期のシェニエの姿は、イタリアの作曲家ジョルダーノによってオペラ『アンドレア・シェニエ』(1896初演)に描かれている。
[原 好男]
『谷長茂・佐貫健訳「シェニエ詩集」(『世界名詩集大成2 フランス編1』所収・1960・平凡社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新