シベリウス(その他表記)Jean Sibelius

デジタル大辞泉 「シベリウス」の意味・読み・例文・類語

シベリウス(Jean Julius Christian Sibelius)

[1865~1957]フィンランドの作曲家。祖国の歴史・自然を基調に、民族主義的な独自の世界を確立した。交響詩フィンランディア」「タピオラ」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「シベリウス」の意味・読み・例文・類語

シベリウス

  1. ( Jean Sibelius ヤン━ ) フィンランドの作曲家。自国の神話や歴史、自然、民族性に根ざした作品で国民音楽の大家となる。交響詩「フィンランディア」、フィンランドの叙事詩カレワラ」による「クレルボ交響曲」など。(一八六五‐一九五七

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「シベリウス」の意味・わかりやすい解説

シベリウス
Jean Sibelius
生没年:1865-1957

フィンランドの作曲家。本名Johan Julius Christian S.。父母ともスウェーデン系の医者の家庭に生まれ,2歳で父を失い一家は母の実家に移った。ここで5歳でピアノ,14歳バイオリンを始めるが,幼児期から作曲を独習し,10歳のときの作品,バイオリンとチェロのための《水滴》は現存している。1885年20歳でヘルシンキ大学法学部に入学するが,翌年退学,ヘルシンキ音楽院でM.ベゲリウスとブゾーニに作曲を師事した。並行してバイオリンの学習も続け,バイオリン奏者をも目ざした。89年音楽院を卒業,ペテルブルグでリムスキー・コルサコフに師事する希望だったが実現せず,同年ベルリンでA.E.A.ベッカーに,翌年はウィーンでゴルトマルクK.とR.フックスに作曲を学び,またオーケストラ管弦楽曲に関する知識を吸収した。91年に帰国し母校で作曲とバイオリンを教えたが,翌92年に発表したデビュー作,フィンランドの叙事詩《カレワラ》に基づく《クレルボ交響曲Kullervo》が爆発的な人気を呼んだ。実際,この一作によってフィンランド音楽界での地位は確定し,早くも97年には国家の終身年金を受けることになった。1901年には音楽院の職を辞し,04年以降ヘルシンキ郊外に住居をかまえ,生涯の地とした。この頃の作品に管弦楽曲《レミンカイネン組曲》(1893-95。四つの伝説曲でその第2曲が《トゥオネラの白鳥》),交響詩《フィンランディア》(1899),《交響曲第2番》(1901)があるが,結局これらの作品が彼の代表作となった。彼の創作の根底をなしたのは,精神的にも題材的にも徹底した祖国愛であった。また,それが熱狂的にフィンランド国民に受け入れられる背景をなしたのは,ロシアによるフィンランド支配であった。作風においては,彼はグリーグやチャイコフスキーらのいわゆる〈国民楽派〉の影響を強く受けた。国内での名声の確立とともに,1900年パリ万国博への自作とヘルシンキ交響楽団を率いての出演を皮切りとして,ヨーロッパの各都市へ,また14年にはアメリカでデビューし,彼の名声は国際的に確立されていった。しかし,彼が作曲家として生産的であった時期は意外に短く,20年代までであった。29年にはバイオリンとピアノのための《三つの小品》,ピアノ曲《五つの小品》が作曲されているが,それ以後はほとんど作品がない。その理由は,第1次世界大戦後の作曲界を支配したストラビンスキー新古典主義シェーンベルクの十二音主義から,国際的名声をもつ彼の19世紀的な作風があまりにもかけ離れたものであることを知っていたためであると考えられている。しかし,生涯彼はフィンランドの国民的英雄であり続けた。フィンランド国外でも,彼の作品は今日なお多数の支持者をもっている。時代の様式という観点からは,たしかに遅れた作曲家ではあるが,代表作は世界各地のオーケストラのたいせつなレパートリーとして定着している。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シベリウス」の意味・わかりやすい解説

シベリウス
しべりうす
Jean Siberius
(1865―1957)

フィンランドの作曲家。12月8日ハメーンリンナに生まれる。早くからバイオリンと作曲の才能を示し、独学でいくつかの室内楽曲を書く。1885年ヘルシンキ大学の法科に入学したが、翌年法律の勉強を捨て、ヘルシンキ音楽院で作曲とバイオリンの学習に専念した。89年ベルリン、ついでウィーンに留学し、A・ベッカーやK・ゴルトマルク、R・フックスの指導を受けた。帰国後92年より母校で教鞭(きょうべん)をとるかたわら、創作活動を開始。フィンランドの国民的大叙事詩『カレバラ』に基づく独唱・男声合唱・管弦楽のための『クレルボ交響曲』(1892)を発表して大成功を収めた。続いて数曲の管弦楽曲を書いたが、そのなかには、当時のフィンランドの名指揮者カヤヌスの依頼による交響詩『エン・サガ(伝説)』(1892)や、『トゥオネラの白鳥』を含む『レミンカイネン組曲』(1893~95)などがある。97年から国家より終身年金を受けるようになり、交響曲第1番(1899)、交響詩『フィンランディア』(1899)、交響曲第2番(1901)、バイオリン協奏曲ニ短調(1903)などを発表し、フィンランドの指導的作曲家としての地位を築いていった。1904年以後は、ヘルシンキ近郊のヤルウェンパーの別荘にこもり、作曲活動に専念。交響的幻想曲『ポヒョラの娘』(1906)、交響曲第3番(1907)、弦楽四重奏曲『親愛なる声』(1909)、独唱曲『大気の乙女』(1910)、交響曲第4番(1911)、交響詩『吟遊詩人』(1913)などの傑作が次々と生まれた。またこの間、ベルリン、ロンドン、パリなどを数度にわたって訪問、14年にはアメリカ合衆国をも訪れた。各地で行われた自作の演奏会は成功を収め、彼の名声は国際的に広まった。15年12月8日彼の50歳の誕生日が国民的行事として祝われ、その祝賀会で交響曲第5番が初演された。このころの作品は、ピアノのための10のバガテル(1916)、五つの花のスケッチ(1916)やバイオリンとピアノのソナチネ(1915)、バイオリンとピアノの五つの小品(1915)など比較的小規模なものに集中している。第一次世界大戦後、交響曲第6番(1923)、同第7番(1924)、劇音楽『テンペスト』(1926)、最後の最大傑作といわれる交響詩『タピオラ』(1925)などを書き上げたが、29年以降急に創作意欲が衰え、30年近くの空白期間ののち、57年9月20日ヤルウェンパーで91歳の生涯を閉じた。

 シベリウスは、初めドイツ・ロマン派やロシア国民楽派の影響を受けたが、しだいにそこから脱却し、フィンランドの神話、歴史、自然、とくに民族的叙事詩『カレバラ』を精神的基調として、古典的簡潔さを示す内容と形式とをもった独自のスタイルを確立した。なかでも交響的作品は、有機的な楽曲構造とむだのない楽器編成から豊かな効果を引き出す管弦楽法とによって、高く評価されている。

[寺田由美子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「シベリウス」の意味・わかりやすい解説

シベリウス

フィンランドの作曲家。両親ともスウェーデン人の血を引く。少年時代から作曲を始め,ヘルシンキ音楽院で学んだのちベルリンとウィーンで学ぶ。1891年帰国して母校で作曲とバイオリンを教え,デビュー作《クレルボ交響曲》(1892年)で圧倒的な成功をおさめる。1897年から政府の終身年金を受け作曲に専念。管弦楽曲《レミンカイネン組曲》(1893年−1895年,一部のち改訂),交響詩《フィンランディア》(1899年,改訂1900年),《交響曲第2番》(1901年−1902年)などの民族主義的作品は,ロシア支配下にあったフィンランドで絶大な支持を得た。また,各国を演奏旅行して好評を博し,国民的英雄として尊敬されたが,1920年代で創作活動を終える。その音楽はフィンランドの民族叙事詩《カレワラ》をはじめ,フィンランドの歴史,風土に根ざし,同時代のヨーロッパ作曲界の諸動向とは一線を画して孤高の姿を保った。民族的土壌に立脚しながら生の民謡素材は用いず,より純化された音楽表現を探求し続けたその軌跡はやがて,《交響曲第4番》(1911年),交響詩《タピオラ》(1925年−1926年)などの精緻な音楽世界へと到達する。代表作にはほかに,《バイオリン協奏曲》(1903年),《弦楽四重奏曲・親愛なる声》(1908年−1909年),《交響曲第5番》(1914年−1915年,改訂1916年,1919年),《同第6番》(1923年),《同第7番》(1924年)などがある。→交響曲ニールセン
→関連項目イングリッシュ・ホルン交響詩サッリネンペレアスとメリザンド

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シベリウス」の意味・わかりやすい解説

シベリウス
Sibelius, Jean

[生]1865.12.8. ヘメーンリンナ
[没]1957.9.20. エルベンペー
フィンランドの作曲家。ヘルシンキ音楽院でバイオリンと作曲を学んだのち,ベルリンとウィーンで勉学を続けて,1892年フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に基づく交響詩『クレルボ』によって,フィンランドの民族主義的ロマン主義の道を開いた。以後,『カレワラによる4つの伝説』をはじめ祖国の歴史や神話を主題とする作品を次々に発表。交響詩『フィンランディア』 (1899) ,付随音楽『クオレマ』 (1903) などは,雄大さと哀愁をたたえた佳作である。その後,バイオリン協奏曲や第3から第8までの交響曲では,絶対音楽の領域で均衡のとれた形式を示したが,交響詩『タピオラ』 (26) 以後は注目すべき作品がなく引退生活をおくった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「シベリウス」の解説

シベリウス

フィンランドの作曲家。ファーストネームのジャンはフランス風で、彼のおじにあやかったものである。ヴァイオリンと作曲に早くから親しみ、10歳で最初の作品を書いた。14歳からヴァイオリンのレッスンを受けて上 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「シベリウス」の解説

シベリウス
Johan Julius Christian Sibelius

1865〜1957
フィンランドの作曲家
ドイツ−ロマン派の流れをくみ,民族精神を清澄 (せいちよう) にうたい,国民楽派の重鎮となった。交響詩「フィンランディア」「交響曲第2番」が代表作。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android