シベリウス(英語表記)Sibelius, Jean

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シベリウス
Sibelius, Jean

[生]1865.12.8. ヘメーンリンナ
[没]1957.9.20. エルベンペー
フィンランドの作曲家。ヘルシンキ音楽院でバイオリンと作曲を学んだのち,ベルリンとウィーンで勉学を続けて,1892年フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に基づく交響詩クレルボ』によって,フィンランドの民族主義的ロマン主義の道を開いた。以後,『カレワラによる4つの伝説』をはじめ祖国の歴史や神話を主題とする作品を次々に発表。交響詩『フィンランディア』 (1899) ,付随音楽『クオレマ』 (1903) などは,雄大さと哀愁をたたえた佳作である。その後,バイオリン協奏曲や第3から第8までの交響曲では,絶対音楽の領域で均衡のとれた形式を示したが,交響詩『タピオラ』 (26) 以後は注目すべき作品がなく引退生活をおくった。

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百科事典マイペディアの解説

シベリウス

フィンランドの作曲家。両親ともスウェーデン人の血を引く。少年時代から作曲を始め,ヘルシンキ音楽院で学んだのちベルリンとウィーンで学ぶ。1891年帰国して母校で作曲とバイオリンを教え,デビュー作《クレルボ交響曲》(1892年)で圧倒的な成功をおさめる。1897年から政府の終身年金を受け作曲に専念。管弦楽曲《レミンカイネン組曲》(1893年−1895年,一部のち改訂),交響詩《フィンランディア》(1899年,改訂1900年),《交響曲第2番》(1901年−1902年)などの民族主義的作品は,ロシア支配下にあったフィンランドで絶大な支持を得た。また,各国を演奏旅行して好評を博し,国民的英雄として尊敬されたが,1920年代で創作活動を終える。その音楽はフィンランドの民族叙事詩《カレワラ》をはじめ,フィンランドの歴史,風土に根ざし,同時代のヨーロッパ作曲界の諸動向とは一線を画して孤高の姿を保った。民族的土壌に立脚しながら生の民謡素材は用いず,より純化された音楽表現を探求し続けたその軌跡はやがて,《交響曲第4番》(1911年),交響詩《タピオラ》(1925年−1926年)などの精緻な音楽世界へと到達する。代表作にはほかに,《バイオリン協奏曲》(1903年),《弦楽四重奏曲・親愛なる声》(1908年−1909年),《交響曲第5番》(1914年−1915年,改訂1916年,1919年),《同第6番》(1923年),《同第7番》(1924年)などがある。→交響曲ニールセン
→関連項目イングリッシュ・ホルン交響詩サッリネンペレアスとメリザンド

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世界大百科事典 第2版の解説

シベリウス【Jean Sibelius】

1865‐1957
フィンランドの作曲家。本名Johan Julius Christian S.。父母ともスウェーデン系の医者の家庭に生まれ,2歳で父を失い一家は母の実家に移った。ここで5歳でピアノ,14歳でバイオリンを始めるが,幼児期から作曲を独習し,10歳のときの作品,バイオリンとチェロのための《水滴》は現存している。1885年20歳でヘルシンキ大学法学部に入学するが,翌年退学,ヘルシンキ音楽院でM.ベゲリウスとブゾーニに作曲を師事した。

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大辞林 第三版の解説

シベリウス【Jean Sibelius】

1865~1957) フィンランドの作曲家。祖国の自然と歴史に根ざした管弦楽・交響詩などを書いた。交響詩「トゥオネラの白鳥」「フィンランディア」のほか、交響曲・バイオリン協奏曲が有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シベリウス
しべりうす
Jean Siberius
(1865―1957)

フィンランドの作曲家。12月8日ハメーンリンナに生まれる。早くからバイオリンと作曲の才能を示し、独学でいくつかの室内楽曲を書く。1885年ヘルシンキ大学の法科に入学したが、翌年法律の勉強を捨て、ヘルシンキ音楽院で作曲とバイオリンの学習に専念した。89年ベルリン、ついでウィーンに留学し、A・ベッカーやK・ゴルトマルク、R・フックスの指導を受けた。帰国後92年より母校で教鞭(きょうべん)をとるかたわら、創作活動を開始。フィンランドの国民的大叙事詩『カレバラ』に基づく独唱・男声合唱・管弦楽のための『クレルボ交響曲』(1892)を発表して大成功を収めた。続いて数曲の管弦楽曲を書いたが、そのなかには、当時のフィンランドの名指揮者カヤヌスの依頼による交響詩『エン・サガ(伝説)』(1892)や、『トゥオネラの白鳥』を含む『レミンカイネン組曲』(1893~95)などがある。97年から国家より終身年金を受けるようになり、交響曲第1番(1899)、交響詩『フィンランディア』(1899)、交響曲第2番(1901)、バイオリン協奏曲ニ短調(1903)などを発表し、フィンランドの指導的作曲家としての地位を築いていった。1904年以後は、ヘルシンキ近郊のヤルウェンパーの別荘にこもり、作曲活動に専念。交響的幻想曲『ポヒョラの娘』(1906)、交響曲第3番(1907)、弦楽四重奏曲『親愛なる声』(1909)、独唱曲『大気の乙女』(1910)、交響曲第4番(1911)、交響詩『吟遊詩人』(1913)などの傑作が次々と生まれた。またこの間、ベルリン、ロンドン、パリなどを数度にわたって訪問、14年にはアメリカ合衆国をも訪れた。各地で行われた自作の演奏会は成功を収め、彼の名声は国際的に広まった。15年12月8日彼の50歳の誕生日が国民的行事として祝われ、その祝賀会で交響曲第5番が初演された。このころの作品は、ピアノのための10のバガテル(1916)、五つの花のスケッチ(1916)やバイオリンとピアノのソナチネ(1915)、バイオリンとピアノの五つの小品(1915)など比較的小規模なものに集中している。第一次世界大戦後、交響曲第6番(1923)、同第7番(1924)、劇音楽『テンペスト』(1926)、最後の最大傑作といわれる交響詩『タピオラ』(1925)などを書き上げたが、29年以降急に創作意欲が衰え、30年近くの空白期間ののち、57年9月20日ヤルウェンパーで91歳の生涯を閉じた。
 シベリウスは、初めドイツ・ロマン派やロシア国民楽派の影響を受けたが、しだいにそこから脱却し、フィンランドの神話、歴史、自然、とくに民族的叙事詩『カレバラ』を精神的基調として、古典的簡潔さを示す内容と形式とをもった独自のスタイルを確立した。なかでも交響的作品は、有機的な楽曲構造とむだのない楽器編成から豊かな効果を引き出す管弦楽法とによって、高く評価されている。[寺田由美子]

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