シュターミツ

百科事典マイペディア 「シュターミツ」の意味・わかりやすい解説

シュターミツ

ボヘミアチェコ)に生れ,ドイツで活曜した作曲家,バイオリン奏者。チェコ名は,ヤン・バーツラフ・アントニーン。ボヘミアの教会オルガン奏者の子として生まれる。1741年ころボヘミアを離れ,マンハイム宮廷楽団に入団,のち首席バイオリン奏者,器楽監督などを務める。作曲活動の一方,楽団の演奏能力向上に尽くし,ヨーロッパにおけるオーケストラの基礎を確立した。作曲家としては前古典派の重要な楽派の一つ〈マンハイム楽派〉の中心人物として名高く,約60曲の交響曲がその業績の中核となった。クレッシェンドを大胆に用いた音量の劇的な対比管楽器を自立的に扱ったオーケストレーション,2主題の対比と展開部をもつソナタ形式の確立,メヌエットを第3楽章にすえた4楽章の交響曲の創始など,革新的な幾多の様式を打ち出し,古典派音楽の基本的形式を用意することになった。作品にはほかに各種の楽器のための協奏曲,室内楽曲などがある。息子のカール・フィリップ〔1745-1801〕,アントン〔1750-1789から1809〕もともに作曲家,バイオリン奏者として音楽史に名を残し,ことに長男カール・フィリップは父よりさらに和声的に充実した作風を示し,2つ以上の独奏楽器を用いた協奏交響曲でその名を高めた。→ソナタ
→関連項目合奏協奏曲管弦楽シンフォニア

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改訂新版 世界大百科事典 「シュターミツ」の意味・わかりやすい解説

シュターミツ
Johann Stamitz
生没年:1717-57

ボヘミア(チェコ)の作曲家,バイオリン奏者。マンハイムの宮廷で活躍し,マンハイム楽派の主導的人物として広範な影響を与える。おそらく1741年にボヘミアを離れて,マンハイムの宮廷にバイオリン奏者として仕え,44-46年にコンサートマスター。ヨーロッパにおけるオーケストラの基礎を作り,またたくさんの有能な弟子たちを育てる。作曲家としては,約60曲の交響曲,10曲のオーケストラ・トリオのほか,協奏曲,室内楽曲などが現存している。これらの作品は大胆なクレッシェンドとデクレッシェンドを用いたオーケストラのより劇的な扱いなどをはじめとする新しい古典派様式を見せている。2人の息子カール・フィリップCarl Philipp(1745-1801)とアントンAnton(1750-1789から1809)も,作曲家・弦楽器奏者として活躍した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュターミツ」の意味・わかりやすい解説

シュターミツ
Stamitz, Johann Wenzel Anton

[生]1717.6.19. ドイチュブロート
[没]1757.3.27. マンハイム
ドイツ,マンハイム楽派の代表的作曲家,バイオリニスト。ボヘミアに生まれ,音楽家であった父のもとで教育を受けた。 1742年,フランクフルトで行なわれたカルル7世の戴冠式のおり,バイオリンの名手として注目を集める。ファルツ選帝侯カルル・テオドールに仕え,マンハイム宮廷楽団のコンサートマスターとして新しいマンハイム様式を生み出し,古典派のソナタ形式や4楽章制のさきがけをなした。作品は交響曲を中心に,各種楽器の協奏曲,独奏曲,室内楽など,おもに器楽作品が重要。また同地のオーケストラを,当時ヨーロッパ随一に育て上げた手腕も見落せない。カルル,アントンのニ人の子供もバイオリニスト,作曲家。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュターミツ」の意味・わかりやすい解説

シュターミツ
しゅたーみつ

シュターミッツ

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