ハリウッドの映画監督。天才,鬼才,怪物,完全主義者,浪費家,暴君の名で呼ばれ,才能の盛りの43歳にして映画づくりの道を断たれた,〈呪われた〉監督として知られる。1885年,オーストリアのウィーン生れ。かってに貴族めかして〈フォン〉を付して貴族出身という伝説をつくり上げたが,実はユダヤ人の商人の息子といわれる。1909年,アメリカに移住し,ありとあらゆる仕事を体験したあと,D.W.グリフィス監督の《国民の創生》(1915)にエキストラ出演したことから,以後,グリフィスの下で俳優,助監督として映画を学んだ。19年,処女作《アルプス颪(おろし)》を原作から脚本,美術,監督,主演に至るまですべて一人でやって完成したが,2万5000ドルの製作費が大幅にオーバーして10万ドルもかかり,以後1作ごとに〈金を使いすぎる〉監督という烙印(らくいん)を押されていくことになる。映画も映画づくりも従来のハリウッドにはなかった徹底した〈リアリズム〉で人々を驚かせ,とくに商業主義との妥協を拒絶した結果,どの作品も興行不可能な常識外の長尺となり,《悪魔の合鍵》(1919)に次ぐ《愚かなる妻》(1921)は18巻,《グリード》(1923)は42巻で8時間をこえるというすさまじさであった。いずれもずたずたにカットされ,《愚かなる妻》は2/3以下の10巻に,《グリード》に至っては24巻,18巻と短縮され,最終的には1/4以下の10巻に縮められて公開された。1928年のグロリア・スワンソン製作・主演の未完の大作《ケリー女王》を最後に,監督の道を閉ざされることになる。その後は特異な風貌を生かして性格俳優の道を歩み,軍服にモノクルの冷酷なドイツ軍将校がはまり役になったが,その最初はグリフィス監督の俳優として出た《世界の心》(1918)で,ジャン・ルノアール監督の《大いなる幻影》(1937)で演じた誇り高い貴族階級出身のドイツ軍将校,ビリー・ワイルダー監督の《熱砂の秘密》(1943)で演じたロンメル将軍などが印象深い。シュトロハイム自身は自作の《愚かなる妻》で演じた貴族の将校がラストで泥沼の中に突き落とされる姿にみずからの運命を重ね合わせて見ていたといわれる。ビリー・ワイルダー監督の《サンセット大通り》(1950)では,忘れられた往年の大女優(グロリア・スワンソン)の執事兼運転手となっている落魄(らくはく)の映画監督という,まさに彼自身をほうふつさせる役を演じて,皮肉にも〈名演技〉と絶賛された。57年,パリ郊外でひっそりと72歳の生涯を閉じたが,その死の数日前にフランス政府からレジヨン・ドヌール勲章が贈られ,葬儀には数多くのフランスの映画人や熱狂的なファンが集まって,その死を悼んだ。
執筆者:岡田 英美子+広岡 勉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカの映画監督、俳優。9月22日オーストリアのウィーンに生まれる。経歴は定かでないが、本名はエーリヒ・オズワルド・シュトロハイム、父親はユダヤ人の帽子製造業者というのが真相らしい。遅くとも1909年までには渡米しており、1914年ハリウッド入りをして大監督グリフィスの映画に出演。1919年には監督第一作『アルプス颪(おろし)』を発表した。三角関係の微妙な心理描写はハリウッド映画にかつてないリアリティをもたらし、批評、興行両面での成功を収めた。続いて『悪魔の合鍵(あいかぎ)』(1920)、『愚かなる妻』(1922)を発表、とくに後者は彼の才能が十分に発揮されており、この映画における自然主義描写は大作『グリード』(1924)で頂点に達した。しかし、飽くことなき完璧(かんぺき)主義、常識を超える長尺化と予算超過、感傷を拒否した露悪的人間観察はハリウッドの製作傾向とあわず、『グリード』も『結婚行進曲』(1927)も短縮版のみが一般公開された。ほかに『メリー・ゴー・ラウンド』(1923。共同監督)、『メリー・ウイドー』(1925)、出演作に『大いなる幻影』(1937)、『サンセット大通り』(1950)など。1957年5月12日フランスのモールパで没す。
[岩本憲児]
アルプス颪 Blind Husbands(1919)
悪魔の合鍵 The Devil's Passkey(1920)
愚なる妻 Foolish Wives(1922)
メリー・ゴー・ラウンド[ルパート・ジュリアンとの共同監督] Merry-Go-Round(1923)
グリード Greed(1924)
メリー・ウイドー The Merry Widow(1925)
結婚行進曲 The Wedding March(1927)
アルプスの悲劇 The Honeymoon(1928)
クィーン・ケリー Queen Kelly(1929)
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【映画体系を築いた人々】
映画は芸術か産業かという果てしない抽象的な論議をよそに,〈芸術〉と〈産業〉のはざまで闘いながら真の映画体系を築き上げてきたのが,映画の草創期に映画を天職として選び,さまざまな映画的な〈話術〉を映画づくりの実際において探究しつつ作品に昇華してきた何人かの偉大な映画監督たちであった。それはグリフィス,シュトロハイム,エイゼンシテイン,ムルナウ,次いでトーキー時代になっても活躍したチャップリン,フォード,ホークス,ラング,ドライヤー,ルノアール,ビゴ,ブニュエル,ヒッチコックらであり,日本では伊藤大輔から山中貞雄を中心にして小津安二郎も含めた〈鳴滝組〉に至る監督たちである。
【映画の宣伝力】
映画が〈産業〉であろうと〈芸術〉であろうと,そのもっとも大きな力が〈大衆性〉にあることだけはまちがいない。…
…1922年製作。三角関係を心理描写を加えて大胆に描いたメロドラマ《アルプス颪》(原題は《盲目の夫》1918)で監督としてデビューした,俳優出身のハリウッドの異色監督E.vonシュトロハイムの第3作。モンテ・カルロに集まる富裕階級の退廃をリアリズムの手法で痛烈に描き,第1次世界大戦後の社会の新しいモラル,とくに〈女性の権利〉を主張し,ハリウッドの風潮に衝撃をあたえた自作・自演の映画である。…
…サイレント映画史を飾る名作でもあり,いわゆる〈のろわれた映画〉でもある。アメリカ映画が扱い得なかった人間の貪欲(グリード)と堕落というテーマを,その〈自然主義リアリズム〉で描き切った〈ハリウッドの完全主義者〉エーリッヒ・フォン・シュトロハイム監督作品。映画も人生の現実をディケンズ,モーパッサン,ゾラなどの作品のようにとらえて描くことができると主張するシュトロハイムは,ハリウッドのセットをまったく使わず,全編,原作(フランク・ノリスの小説《マクティーグ》)が設定しているサンフランシスコとネバダ州南部の〈死の谷〉で撮影を強行し,常識をやぶる47巻12時間という大作を完成したが,紆余(うよ)曲折を経たのち,最終的には〈原作も脚本も読んでいない〉他者の手で10巻2時間強に短縮され,題名も原作と同じ《マクティーグ》から《グリード》と改題されて公開された。…
※「シュトロハイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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