コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

シリア王国 シリアおうこく

4件 の用語解説(シリア王国の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

シリア王国【シリアおうこく】

アレクサンドロス大王の遺将セレウコス1世が前312年創建(セレウコス朝シリア)。首都アンティオキアシリアを中心に小アジアイランメソポタミアを領有。一時インドエジプトにも進出。
→関連項目セレウキア

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

シリアおうこく【シリア王国】

セレウコス1世が創建した王国。前305‐前64年。ヘレニズム時代の,プトレマイオス朝エジプト,アンティゴノス朝マケドニアとならぶ強国のひとつ。セレウコス王国とも呼ぶが,前300年オロンテス河畔にアンティオケイア(アンティオキア)を建設し首都としてより,終始北シリアを王国の核心部分としたのでこの名がある。
[歴史]
 セレウコス1世アレクサンドロス大王の死後バビロニアの総督となり,前312年地歩を確立(セレウコス朝暦第1年),大王の後継者たち(ディアドコイ)の争いの渦中で勢力を拡大し,西は小アジアから東はインド国境におよぶ広大な領土を獲得した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シリア王国
シリアおうこく

セレウコス朝」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シリア王国
しりあおうこく
Syrian Kingdom

紀元前3世紀初頭から前63年まで続いたマケドニア系セレウコス朝によるシリア中心の王国をさす。前323年にアレクサンドロス大王が死ぬと、この地は彼の部将たちの奪い合いの対象となったが、イプソスの戦い(前301)によってアンティゴノスを破ったセレウコス1世と、プトレマイオス1世とが、エレウテロス川を境界として北(セレウコスのシリア)と南(コエレ・シリア)に分割した。セレウコスはそのころオロンテス河畔にアンティオキアを設立し、やがてそこを首都とした(前300)。彼は小アジアやギリシア方面への進出をねらい、西方重視政策の一環として、ティグリス河畔のセレウキアから遷都したのである。前201年にはアンティオコス3世がコエレ・シリアをも征服、さらにパレスチナへ進出する一方、王政下にあったフェニキア海岸の諸都市も平定し、貴族政下に置いた。しかし、前2世紀中葉からはユダヤのマッカベイ朝の反乱をはじめとする土着系諸王朝(パルティア、コマゲネ、イトゥレア、ナバテアアルメニアポントスなど)の出現、諸都市の独立(前126年のティルスなど)、内乱のために、シリア王国は弱体化した。結局、東方に進出したローマの将軍ポンペイウスのために滅亡した。それ以後、シリアはローマの属州となった。
 セレウコス朝はシリアを中心とした地方を中央集権化することなく、土着勢力を臣従させ、その上層部に自治を依嘱した。そのかわり、各地にギリシア型の都市を設立し、東西交易と軍事的、政治的支配の拠点とした。シリアは都市化政策の中心として、少なくとも8都市が新設または再建されたほか、六つの屯田兵入植地が設立された。新設されたものとしてはアンティオキアのほかセレウキア・ピエリア、アパメアなど、古くからの都市を再建した例としてはベロエア(アレッポ)、エピファニア(ハマー)などがある。
 シリアは古くから肥沃(ひよく)な土地として開発されていたが、セレウコス朝下においても、ぶどう酒、ナッツ、プラム、ナツメヤシなどの果実、穀物、タマネギなどの野菜の生産が盛んであり、麻布やウール地などの衣料品およびパープル(深紅色)染色、ガラス製造(とくに前1世紀の吹きガラスの発明)などの産業が発達した。また、シルク・ロードとアラビアなどからくる隊商路の一端にある地方として、交易による富は莫大(ばくだい)であり、シリアや周辺の隊商都市(パルミラ、ペトラ、ダマスカスなど)が栄えた。[小川英雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内のシリア王国の言及

【シリア】より

…この港湾都市はギリシアと西アジアを結びつける窓口として,東方様式時代のギリシア文化に重要な役割を果たしたと思われる。アレクサンドロスの死(前323)以後は大王の後継者(ディアドコイ)たちによってシリアの地の領有が争われたが,最終的にはセレウコス1世によって前305年に建てられたセレウコス朝(シリア王国)が北シリアを支配した。しかし南シリアはプトレマイオス朝エジプトとセレウコス朝シリアの角逐の場となり,前3世紀前半から前2世紀前半までその領有をめぐって6次にわたる戦争が行われた(シリア戦争)。…

【セレウコス朝】より

…ヘレニズム時代にシリア王国を代々支配した王朝。前305‐前64年。…

【ヘレニズム】より

…当時首都アレクサンドレイア(アレクサンドリア)は世界交易と学芸文化の大中心地として栄華を誇ったが,前3世紀末以降王権の弛緩とともに土着勢力や農民の反抗気運が高まった。対外的には海上支配を追求し,またシリア王国とは国境紛争を繰り返したが,ローマとは友好関係を維持して諸王国中で最も長く独立を保った。 シリア王国ではセレウコス朝諸王が,多民族構成の広大な領域を,属州方式と都市建設によって有機的に統合しようとしたが成功せず,前3世紀半ばには東方辺境の植民ギリシア人がバクトリア王国を独立させ,同じ頃イラン系のパルティア人(パルティア)も自立して,王国の東方領域は急速に失われた。…

※「シリア王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

シリア王国の関連キーワードセレウキアセレウコス朝ペルガモン王国セレウコス一世セレウコス[1世]アンティオコス[4世]アンティオコス[7世]ミトリダテス[1世]セレウコス[2世]セレウコス王国

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone