石狩湾から太平洋に至る石狩勇払低地帯の南部に位置し、太平洋に面する平野。苫小牧市・
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北海道南部,苫小牧市東部に広がる平野。石狩勇払低地帯の南部に当たり,低湿で泥炭地を多く含むため勇払原野あるいは札幌勇払低地帯ともよばれる。その範囲は北部の苫小牧市植苗地区を頂点に,西部の苫小牧市街から東部の鵡(む)川河口にいたる太平洋岸を底辺とする三角形状の地域で,海跡湖と思われるウトナイ湖,弁天沼,遠浅湖,安藤沼などが点在する。勇払川,安平(あびら)川,厚真(あつま)川などが南流し,これらの河川によって背後の台地面の開析が進み,運搬物により海岸線に並行して砂丘や浜堤列が形成されている。台地には恵庭岳や樽前山の火山灰が広く覆う。北部の石狩平野との分水界は標高25m前後と低く,古くからウトナイ湖に注ぐ美々川を遡航する〈勇払越え〉が石狩平野へのルートとして利用されていた。勇払郡の中心は,近世に会所が置かれた安平川河口の勇払であったが,明治初期からは開拓使出張所が開設された苫小牧にかわった。
勇払平野の開発は1800年(寛政12)に八王子千人同心による入地をみたが,不利な自然条件のため,放棄された。92年の室蘭本線の開通により入植者が増加したが,これは東部の厚真川流域の造田が中心であった。西部の勇払川流域は1930年以降に原野開発のため排水路が一部開削されたが,戦時体制のため中断した。周辺の台地の酪農は昭和初期に本格化したが,原野では第2次大戦後の緊急開拓による入植者が困窮のなかで弁天,柏原地区での酪農経営を確立した。西部海岸に1963年苫小牧港(西港)が開港し,石炭の積出しが開始されて臨海工業地域が形成された。70年にはこれをはるかに上回る規模の苫小牧東部工業基地計画が国の開発計画に盛り込まれ,約1.2万haの広大な用地に素材型工業を核とする大規模開発が構想された。厚真川河口には苫小牧東港が開港し,石炭火力発電所,コールセンター,石油備蓄基地が出現したほか,道内初の自動車工業としていすゞ自動車も84年には操業を開始した。工業開発の進展の中で,原野に自生するハスカップや湿生植物,ウトナイ湖の野鳥保護など環境保全の問題も残されている。
執筆者:山下 克彦
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北海道南西部、千歳(ちとせ)市、苫小牧(とまこまい)市、勇払郡にわたる平野。湿地や泥炭地を多く含み、勇払原野ともいう。北海道の胴体部と半島部を切り離していた浅海が陸化したもので、ウトナイト沼、弁天沼、遠浅(とおあさ)沼などの海跡湖が残されている。有珠(うす)、樽前(たるまえ)系の火山灰が降下して何層にも堆積(たいせき)し、安平(あびら)川、厚真(あづま)川の沖積が進み、沿岸潮流による浜堤列もみられるが、低生産性で土地条件はよくない。米作、酪農などの開拓も進んできたが、苫小牧工業港の建設でその後背地となり、商社、工場、および住宅の進出が著しい。さらに苫小牧東部地区開発の進行で、農耕地は火力発電所、石油備蓄基地、大型自動車工場用地に変わってきている。
[奈良部理]
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