改訂新版 世界大百科事典 「スイギュウ」の意味・わかりやすい解説
スイギュウ (水牛)
buffalo
偶蹄目ウシ科ウシ亜科に属する哺乳類のうち,角の横断面がほぼ三角形で,とくに水浴びを好むものの総称。しばしばアジアスイギュウの別称としても用いられる。スイギュウ類は,雄にも首にたれ皮がなく,鬐甲(きこう)部(首が肩に続くところ)がとくに高まらず,体毛はまばらで,老獣では全身がほとんど裸出する。野生種はアフリカと南アジアの熱帯地方に分布し,アフリカスイギュウ(クロスイギュウ)Synceros caffer,アカスイギュウS.nanus,アジアスイギュウBubalus bubalis(=B. arnee),ミンドロスイギュウ(タマラオ)B.mindorensis,アノアAnoa depressicornis,ヤマアノアA.quarlesiの3属6種がある。
アジアスイギュウ(英名Asiatic buffalo,water buffalo)は,アフリカスイギュウと違って角の断面がはっきりした三角形で,左右の基部が遠く離れ,耳介が比較的小さく,その縁に顕著な毛の房がなく,背筋の毛は腰から前のほうへ向かっている。野生のものは,かつては東南アジアに広く分布していたらしいが,現在ではインドのオリッサ,ネパール,アッサム,ミャンマー南部,タイ,カンボジア北部の小地域にわずかに残っているのみといわれ,スリランカやラオス,ボルネオ北部などに野生するものは家畜種の野生化したものではないかと疑われている。野生種は家畜種よりはるかに大きく,肩高1.6~1.9m,体長2.4~2.8m,体重800~1200kg,角は長さ1.9mに達し,家畜種より角は広く広がり,雄では先が細く鋭い。体色は暗灰色ないし灰黒色で四肢の下部は灰白色。しばしば首の下面に三日月型の白帯がある。水辺の丈の高い草やぶや疎林に群生し,ときに100頭以上の大群を見る。水浴びと泥浴びを好み,主としてイネ科の草を食べる。交尾期はふつう10~11月,妊娠期間は約10ヵ月,1腹1子である。雄はしばしば家畜の雌と交配する。
フィリピンのミンドロ島の森林にわずか150~200頭が生き残るだけといわれ,絶滅が心配されているミンドロスイギュウ(英名Mindoro buffalo,tamarao,tamarau)は,アジアスイギュウに似るがずっと小さく,肩高1.05m前後,角の長さは35~50cmにすぎない。体は灰黒色で,目の前,のど,首の下面,ひづめの上などに白斑がある。
→バッファロー
執筆者:今泉 吉典
家畜のスイギュウ
アジアスイギュウを馴化(じゆんか)した家畜で,役用,肉用,乳用に利用されている。家畜種は前3000~前2500年ころインド北部高原で家畜化されており,現在,1億5000万頭がアジアの熱帯,亜熱帯をはじめ,地中海沿岸,バルカン地方などに飼育されている。50種以上の品種が成立しているが,これらは大別して沼沢水牛swamp buffaloと河川水牛river buffaloの2グループに分かれる。沼沢水牛は東南アジアを中心に飼われる役用水牛で,体型は野生のアジアスイギュウに似るが,はるかに小型で体重は雄約670kg,雌約450kg。フィリピンのカラバオcarabaoはさらに小さく雄520kg,雌450kgくらいである。角も三日月形で長大であるが,野生のものに比べれば小さい。耳介は家畜種のほうが大きい。毛色は灰黒色であるが,白色種もインドネシア,とくにバリ島に多く見られる。繁殖季節は野生のものは秋に発情がきて交尾,妊娠し,10ヵ月後に子を生むが,家畜種では8月分娩(ぶんべん)が多いけれども周年繁殖も可能である。半水生の動物で高温多湿環境を好み,熱帯地方の水田作業に適しているが,体温調節機能はあまり発達しておらず,暑い日中の労働は避けて作業時間を朝夕にずらすか,労役中に水浴びをさせる必要がある。運搬力は強く,去勢水牛2頭だてで約2tの荷を運ぶことができ,また550kgの荷をひいて1日25kmを運べるという。粗飼料の利用性が高く,えり好みをしない。病気に対する抵抗性もウシより強い。肉も利用するが専用種はなく,老齢または廃用の個体が屠殺(とさつ)されるにすぎない。肉は暗赤色で筋繊維は粗く,肉質は劣っている。河川水牛はインド,パキスタンから西へ,地中海沿岸諸国で飼われている。毛色は黒色または灰黒色で,角は小型で強く旋曲している。体重は雄約600kg,雌約550kg。水浴びは沼沢水牛ほど必要としないが,清水を好み,底の固い池や川に入る。染色体数が沼沢水牛の2n=48に対し,2n=50と異なるが,両者間の交雑は可能で,雑種の染色体数は2n=49となる。用途は乳用と肉用で,改良の進んだミュラー種murrah,ニリ・ラビ種Nilli-Raviでは年間4000kgも泌乳するものがあるが,ふつうは2000~3000kgで,乳脂肪率は7.6%くらい。ギーgheeという調味用バターを製造する。
執筆者:正田 陽一
家畜化の歴史
野生スイギュウの中で,家畜化されたものはアジアスイギュウである。アジアスイギュウの野生種は現在インド,ネパールなどの小地域に限られており,水辺の湿地帯を好む。現在の野生スイギュウの作物どろぼうの例にも見られるように,おそらくこの地域の農地に侵入し,作物荒しをする過程で,家畜化されたものと考えられる。古くはインダス川流域のモヘンジョ・ダロの印章にも刻まれており,メソポタミアでも前2500年ころのウルの王墓出土の印章にもその姿が描かれている。ただそれが,家畜化されたスイギュウであるかどうかは不明である。中国では,洪積世に野生スイギュウがいたことを予想させる若干の骨の証拠があり,殷代には多数飼われていたことを推測させる多数の骨が出土している。このようにみると,その原牛は,かなり広範に分布していたことがわかるが,家畜化の時期や地域については,確かなことをいうだけの証拠はない。ただその湿地を好む性質,そして東南アジア水田耕作地域での利用のされ方をみると,やはりその家畜化は南インドから東の地域であると考えられる。
東アジアでのスイギュウの分布をみると,インドから東南アジア,そして中国南西部,そして日本南部に及び,さらに南へはスンダ列島にまで及んでいる。それらはまさに水田稲作の分布地域に重なり,犂耕(りこう)用の役畜として利用されているが,それ以前には,泥田に数頭のスイギュウを入れて泥土をかくはんさせる,いわゆる踏耕のために利用されたと考えられる。他方この地域では,なんら役畜として利用しなくとも,儀礼動物として用いている例も少なくない。スイギュウは巨石文化複合の一要素として重要であり,現在でもスラウェシ島のトラジャ族は,儀礼において大量のスイギュウを犠牲としてささげるため,欠かせぬ儀礼家畜となっている。東へ分布したスイギュウが,搾乳の対象にならないのに対し,西方に分布したスイギュウは,役畜利用に加えて搾乳の対象となっている。ただその西方への伝播(でんぱ)は比較的緩慢であり,古代ローマはスイギュウを知らなかったようである。また下って723年,聖ウィリボールドがパレスティナを訪れたとき,ヨルダン渓谷でスイギュウを見て珍しい動物と驚いたという。他方,より北方では,イランから南ロシアあるいはバルカン半島沿いに,スイギュウはよりスムーズに受容されたらしく,1200年ころには,ブルガリア,マケドニア,そしてハンガリーにまで及んでいる。また中世末地中海沿いにイタリアにまで及び,シチリアやナポリ地方で,スイギュウは乳用に広く飼われることになった。現在でもそのチーズは珍重されている。
執筆者:谷 泰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報