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東南アジアのマレー
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東南アジア、マレー諸島の大スンダ列島中の一島。同諸島最大、世界第3位の大島である。面積は74万6300平方キロメートルで、日本の約2倍に相当する。カリマンタンKalimantan島ともいう。島の北3分の1はマレーシア領のサバ州、サラワク州とブルネイで、南3分の2はインドネシア領カリマンタン4州から構成される。周囲はスル海、南シナ海、ジャワ海、マカッサル海峡、セレベス海に面している。
構造的にはフィリピン群島からマレー半島に向かって延びる第三紀の褶曲(しゅうきょく)山脈を骨子とし、島の中央部を北東から南西方向にイラン、ミュラー、シュワネルの一連の脊梁(せきりょう)山脈が走っている。北東端に最高峰のキナバル山(4094メートル)がそびえる。同山脈は地形学上壮年期の後期にあたるため全体的には標高2000メートル前後で、周辺には広大な丘陵地帯が展開する。山脈と丘陵地からは西にカプアス川、ラジャン川、南にバリト川、南東にマハカム川などが流出する。これらの河川は膨大な土砂を運んで海岸には広大な沖積平野を形成し、また不便な奥地への主要な交通路の役割を果たしている。同島がスンダ陸棚上にあるため、海岸は北東部の沈降海岸以外は遠浅で、マングローブ林やサンゴ礁が発達し、海岸線は単調である。
気候はカリマンタン中央部を赤道が通過しているため、高山を除いては典型的な熱帯雨林型である。年平均気温は25~27℃、年降水量は東岸地方で2000ミリメートル、中部では4000ミリメートル以上を記録している。このため密林や湿原に覆われる所が多く、居住地は著しく限られている。
資源面では農林水産物、鉱産物のいずれにも恵まれている。農産物は陸稲、トウモロコシ、キャッサバなどが焼畑耕作によって栽培されるほか、灌漑(かんがい)による水田耕作も行われ、コーヒー、天然ゴム、ココア、コショウ、マニラ麻などのプランテーションも発達している。林産物は原生林のラワン材の硬木を主として、ダマル、トウなどを産する。奥地への交通が不便であることから未開発地が大部分を占めるが、北東部の海岸地帯では近年外国企業と結び付いて開発が著しい。鉱産物は金、水銀、ダイヤモンドなどが古くから知られていたが、近年は石油、石炭、鉄鉱などの開発も飛躍的に進められている。とくに石油は、東南アジア有数の油脈がカリマンタン東岸地域に多く分布し、ブニュー、タラカン、サンガッタ、スンブラク、バリクパパン、タンジュンなどに油田がある。うちバリクパパンには巨大な製油所がある。またブルネイも石油資源が豊富で、スリアが基地である。主要な都市はマレーシアのクチン、コタ・キナバル、ブルネイのバンダル・スリ・ブガワン、カリマンタンのバンジャルマシン、ポンティアナックなどで、すべて沿岸部にある。
[上野福男]
ボルネオからはインドネシア地域最古のサンスクリット碑文が発見されている(東カリマンタン、マハカム川下流のクテイからで5世紀初頭のもの)。このことからわかるように、ボルネオの沿岸地域には海洋交易を基礎とする土侯国が歴史的に古くから存在したが、14、15世紀からのち、これらの土侯国は次々にイスラム化した。こうしたイスラム土侯国としてはブルネイ、ポンティアナック、バンジャルマシンなどが有力であり、ブルネイはイギリスの保護国を経て1984年初に完全独立した。他の侯国は1860年にオランダ植民地政府によって廃絶されるまで存続した。バンジャルマシンは現在、インドネシアのなかでもっともイスラム勢力の強い地域の一つである。
北西部ボルネオは19世紀中葉以降イギリスの影響下に入ったが、サラワクはイギリス人ブルック一族の支配のもとに第二次世界大戦後まで形式的に自治を保った。かつてのボルネオ会社領北ボルネオ(サバ)とサラワクは1963年マレーシア連邦内の東部2州として完全独立を達成した。
ボルネオの住民は華僑(かきょう)系を除けば、沿岸部に住むマレー人と内陸丘陵部に住む原マレー系の諸民族に大きく二分される。後者はしばしばダヤクという総称でよばれることもあるが、言語・文化的には多様な集団である。彼らの多くは焼畑による陸稲栽培民であるが、一部にはサゴヤシ栽培を主要な活動とするものもあり、また北部山間部では水田耕作もみられる。狩猟採集民のプナンは普通ダヤクとは区別されるが、言語的には近隣の農耕民と大差はない。マレー人と原マレー系住民との境界は社会的に流動的である。ボルネオではマレー人の定義は多く宗教的な帰属によるものであり、イスラム教に改宗することによって社会的にマレー人と自他ともに認められるという現象が広くみられる。この現象はマレー人の形成を考えるうえで重要である。
[内堀基光]
『安間繁樹著『ボルネオ島最奥地をゆく』(1995・晶文社)』▽『安間繁樹著『ボルネオ島アニマル・ウォッチングガイド』(2002・文一総合出版)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
東南アジア,マレー諸島の中央に位置する世界第三の大島。面積約75万km2で,南2/3はインドネシア領(カリマンタン),北1/3はマレーシア領(サバ,サラワク)およびブルネイに分かれる。人口約1500万(インドネシア部は約1100万)。南西から北東に砂岩よりなるシュワーネル,ミュラー,イランなどの脊梁山脈が走り,北東端に東南アジア最高のキナバルKinabalu山(標高4101m)がある。この脊梁山脈から西にカプアス,ラジャン,南にバリト,南東にマハカムなどの大河が流れる。南部では中央山地と海岸の間に広大な湿原が展開する。奥地は山地や河谷が複雑であるが,これらの川が交通路の役をなす。海岸線は沈降性地形を示す東部を除けば,一般に単調である。赤道が島の中央を通り,気候は典型的な熱帯雨林型で,高温多湿で,北東岸のサンダカンの年平均気温は26.6℃,年平均降水量は3040mmである。したがって密林や湿原に覆われる所が多く,居住地は著しく制限されてくる。動植物は豊富で,オランウータン,インドゾウをはじめ各種の哺乳類,また鳥類も種類が多い。住民は地域的に複雑であるが,内陸部はプロト・マレー人(ダヤク族が代表的),海岸部は開化(第2次)マレー系(ジャワ族,マレー人,ブギス族など),中国系などで占められる。
歴史時代にボルネオに最初に接触したのは中国人,インド人らしいが,12世紀以来スマトラやジャワの諸王国に支配された。その後イスラム勢力が沿岸部に勢力を振るい,16世紀にはブルネイがスルタン王国として島の北部一帯を支配した。ボルネオという名称も,ブルネイから転訛したものである。しかしブルネイの弱体化に伴い,北部にはイギリス,南部にはオランダが侵入して19世紀後半には両国による島の分割が成立し,さらにその後の政治的変化を経て現在の状態に及んだ。プロト・マレー人の多くはなお焼畑農業に頼っているが,海岸に近い部分では水田農業も発達しつつある。全島の75%ほどが森林のため,各種林産物も豊富で,北東部の海岸地帯の森林は近年外国企業と結びついて開発が著しい。鉱物資源にも富み,金,ダイヤモンドなどは古くから知られるが,近代には石油の宝庫となり,北部のブルネイ油田,東部のバリクパパン,タラカンなどの油田は地域の経済に大きな寄与をしている。今後さらに技術と文化の導入で新しい発展の可能性をもつ島である。
執筆者:別技 篤彦
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