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スピノラ スピノラ Spinola, Ambrogio di Filippo, Marqués de los Balbases

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スピノラ
スピノラ
Spinola, Ambrogio di Filippo, Marqués de los Balbases

[生]1569. ジェノバ
[没]1630.9.25. カステルヌオボスクリビア
イタリア出身のスペインの軍人。スペインに仕えて 1603~09年の対オランダ戦争に従軍し,ナッサウ家に対する輝かしい勝利で武勲をあげた。 21~27年スペイン軍将校として再び対オランダ戦を指揮し,ブレダ攻略で勇名をはせた。

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スピノラ
スピノラ
Spinola, Carlo

[生]1564. イタリア,ジェノバ,タッサロ
[没]元和8 (1622).8.5. 長崎
福者殉教者,イタリア人イエズス会士。早くから殉教を念願,同会修練院などで神学,哲学,数学を修めた。日本伝道を切望,慶長7(1602)年長崎に上陸。熱心な伝道のかたわら同10年頃から京都に天文,数学を主とするアカデミアを設け,同17年マカオイエズス会と連係して日本初の科学的観測となる月食観測を行なった。

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スピノラ
スピノラ
Spínola, António Sebastião Ribeiro de

[生]1910.4.11. エストレモス
[没]1996.8.13. ポルトガルリスボン
ポルトガルの軍人,政治家。リスボン大学卒業後,軍に入り 1961年大佐,69年大将。 68年から 73年までポルトガル領ギニア駐留軍司令官兼総督,73年ポルトガル軍参謀次長。 74年2月ポルトガルの植民地政策を批判した『ポトスの将校』の出版により,4月解任。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

スピノラ(Carlo Spinola)

[1564~1622]イタリアの宣教師イエズス会士。慶長7年(1602)来日し、各地に布教。京都にアカデミアを設立。のち、禁教令により捕らえられ、火刑にされた(元和(げんな)大殉教)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

スピノラ Spinola, Carlo

1564-1622 イタリアの宣教師。
1564年12月23日生まれ。イエズス会士。慶長7年(1602)長崎に上陸。10年京都にゆき南蛮寺で会計係をつとめるかたわら小天文台をつくり,天文学なども教授した。17年長崎にもどり,月食観測をおこなう。19年の大追放令後も潜伏・布教したが元和(げんな)4年捕らえられ,8年8月5日火刑に処せられた(元和の大殉教)。57歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

スピノラ

没年:元和8.8.5(1622.9.10)
生年:1564
イタリア人イエズス会司祭,殉教者。スペインのマドリード生まれる。1584年イエズス会入会。ナポリのコレジョ(学院)で修練を終えたが吐血し,転地療養のためにミラノに行く途中,ローマでクラヴィウスの下に数学を学ぶ。ミラノで哲学,神学を学び,数学を講じた。1594年司祭となり,東洋布教の嘆願書を出す。1596年インドに向けてリスボンを出帆したが,英国船に拿捕される。1599年再びリスボンをたち,モザンビーク,ゴア,マラッカ,マカオを経由して慶長7(1602)年長崎に到着。有馬のセミナリオ(神学校)で日本語を学び,同9年島原の有家から京都に移った。京都では南蛮寺で知識人に科学知識,技術を伝授。同16年長崎へ移動,会計係を務めた。マカオにいるイエズス会士と図り長崎―マカオ間で月食を観察し経度の測定を行った。同19年のキリシタン禁教令発布時には「十字架のジュゼッペ」と変名し長崎に潜伏,そのまま布教活動を続けた。元和4(1618)年長崎で捕らえられ,大村の鈴田牢に投獄される。牢は竹の鳥籠のように太い角材で作られ,その吹きさらしの牢内で,4年間一度も入浴,散髪することなく,熱病に苦しみながら過ごした。同8年長崎西坂にて55(または57)人が火焙り,および斬首によって殉教(元和の大殉教)したなかのひとり。慶応3(1867)年福者となる。<参考文献>宮崎賢太郎訳『カルロ・スピノラ伝』

(宮崎賢太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

スピノラ【Carlos Spinola】

1564‐1622
イタリア人イエズス会士。ジェノバに生まれ,1594年ミラノで司祭叙階。日本布教を志し,96年リスボン発,ブラジル漂着後,プエルト・リコを経てリスボンへ向かう途中,イギリス船に捕らえられ,ロンドンで釈放された。1600年,再びリスボン発,マカオを経て02年(慶長7)長崎来着。有馬を経て05年京都で会計係となり,ローマ在学時代にクラビウスから学んだ数学,天文学を教授した。12年長崎に戻って会計係となり,同年11月8日の月食を長崎で観測,マカオのアレニら中国イエズス会士の観測と合わせて,長崎の経度を明らかにした。

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大辞林 第三版の解説

スピノラ【Carlo Spinola】

1564~1622) イタリアのイエズス会士。1602年長崎に渡来して布教。京都では小天文台を設け、数学のアカデミアを組織した。18年に捕らえられ、22年長崎で元和の弾圧に遭い殉教。

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世界大百科事典内のスピノラの言及

【ジェノバ】より

…ランゴバルド時代には衰え,10世紀にはイスラム海軍のたび重なる攻撃を受けた。カロリング朝断絶後,この地方はオベルテンギ家の所領となり,その家臣の中から後にデラ・ボルタ,スピノラなどの有力な都市貴族が出ることになる。10世紀には市壁が築造され,周辺農村からこれらの貴族層が都市へ移住した。…

【マウリッツ】より

…その間1590年ユトレヒト同盟の陸海軍総司令官に就任,古代ローマの戦術の研究に基づいて軍隊の再編整備につとめ,同盟諸州からスペイン軍を駆逐してオランダ共和国の基礎を築いた。1600年ニウポールトNieuwpoortでも勝利したが,以後はスペインの勇将スピノラAmbrogio Spinola(1569‐1630)の反撃に阻まれた。〈十二年休戦条約〉期(1609‐21)に,〈厳格カルバン派(ホマルス派)〉を支持して,〈アルミニウス派〉と結ぶホラント州議会と対立,その指導者オルデンバルネフェルトを逮捕(1618),翌年処刑した。…

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