スリー・マイル・アイランド原発事故(読み)スリーマイルアイランドげんぱつじこ

百科事典マイペディアの解説

スリー・マイル・アイランド原発事故【スリーマイルアイランドげんぱつじこ】

1979年3月28日に米国ペンシルベニア州スリー・マイル・アイランド原子力発電所で起きた炉心溶融事故。TMI事故とも。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故よりはるかに小さな事故だが,人類社会が経験した大原発事故のうちの一つ。事故の程度はINES(国際原子力事象尺度)でレベル5。2011年3月の福島第一原発での大事故(レベル7,暫定)で,再びこの事故に世界の注目が集まっている。スリー・マイル・アイランド原発は1号炉と2号炉から成るが,事故は2号炉の2次冷却水のポンプが異常で停止したのが発端。このため1次冷却水の圧力が上がり,原子炉が停止,圧力逃がし弁が開いて蒸気を逃がし始めた。ところが,この弁が自動的に閉まらず,1次冷却材がなくなり,緊急炉心冷却装置が自動的に働いた。加圧水の水位計が満水を表示し,運転員はこれによって炉内も満水と判断して原子炉への注水を止めてしまった。その結果,冷却水が沸騰して炉心は冷却不能となり,炉心溶融が進んで小規模な水素爆発が起こり始めた。放射能が外部に放出され,最初は南西,次に北および北西へ流れた。事故発生の2日後の30日午後零時30分,州知事が原発から8km以内に住む妊産婦,学齢前の子どもと乳幼児に避難勧告を出し,8〜16kmの住民に外出を控え戸や窓を閉めて家にいるよう勧告した。事故炉からの放射能の漏出は事故発生から12日目の4月9日に止まり,避難していた約2万3000人が自宅に戻った。スリー・マイル・アイランド原発の周辺住民の中には癌患者や癌による死者,甲状腺障害の患者,流産・死産などが出ていることが住民自身の調査でわかり,事故後,癌に罹患したり,出産障害が生じた人など約2000人が電力会社に対して損害賠償請求訴訟を起こし,1994年7月から裁判が行われた。同原発事故は冷却材の喪失から炉心溶融に至った典型的な例で,炉心の半分以上が溶融して大規模な水素・水蒸気爆発が起こる一歩手前の状況だったことが後の調査でわかっている。
→関連項目アクシデントマネジメント原子力原子力産業原発事故放射能汚染メルトダウン

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世界大百科事典内のスリー・マイル・アイランド原発事故の言及

【原子力発電論争】より

…2ヵ月後にスリー・マイル・アイランド原子力発電所事故が起こったことを考えれば,NRCはからくも面目を保ったことになる。
[スリー・マイル・アイランド原発事故]
 1979年3月28日,アメリカのペンシルベニア州スリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉で発生した大事故は,周辺8km内の住民中の妊婦や幼児の避難といった事態にまで発展した。炉心溶融はかろうじて回避されたものの,推定では炉心部にある40%の燃料棒はばらばらになるなど,商業用原子力発電史上最大の事故となって全世界に衝撃を与えた。…

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