タッソ(英語表記)Torquato Tasso

デジタル大辞泉 「タッソ」の意味・読み・例文・類語

タッソ(Torquato Tasso)

[1544~1595]イタリアの詩人。ルネサンスからバロック期にかけて活躍。叙事詩解放されたエルサレム」、牧歌劇アミンタ」。タッソー

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改訂新版 世界大百科事典 「タッソ」の意味・わかりやすい解説

タッソ
Torquato Tasso
生没年:1544-95

イタリア・バロック期最大の詩人。ソレントに生まれる。父ベルナルドも叙事詩《アマディージ》などで世に知られた詩人であり,タッソはこの父に伴われて幼少時からイタリア各地の宮廷を転々とした。15歳の年にはベネチアで《解放されたエルサレム》の最初の草案に着手。16歳になると,父親の意志によりパドバで法律を学び始めるが,他方で文学者たちとの交流を重ね,古今の文学作品を耽読(たんどく)しながら,着実に文学的熟成を遂げてゆき,数々の恋愛詩および騎士物語詩《リナルド》を執筆した。

 1565年,21歳になったタッソはパドバの町と法律の勉強とをすててフェラーラに移り,エステ家の当主アルフォンソ2世の実弟ルイージ枢機卿に仕えた。かつてボイアルドやアリオストらを擁し,ルネサンス文化の中心的役割を担いながら栄華をきわめたエステ家の宮廷は,スペイン支配と反宗教改革の弾圧による不安と苦悩の時流が強まるなかで,凋落(ちようらく)の運命をたどりつつあったが,なおそこには数多くの学者や芸術家が集っていた。そういう環境のなかでタッソは《詩学および英雄叙事詩に関する論考》(晩年に推敲が重ねられて大著《英雄叙事詩論》となる)の執筆,叙情詩集の刊行,フェラーラ・アカデミアでの発表活動などを行い,他方でさまざまな貴婦人との恋愛を経験した。1572年,アルフォンソ2世直属の廷臣となり,翌73年には牧歌劇《アミンタ》を執筆。十数世紀の伝統を担う牧歌の形式に悲劇喜劇の要素を混入しながら16世紀後半に形成されつつあった新しい文学ジャンル〈牧歌劇〉は,この作品によって決定的にその形態を確立し,さらにその形態は17世紀における〈オペラ〉のジャンルの開花にも多大な影響を与えた。

 1575年4月,長編叙事詩《解放されたエルサレム》を完成。壮大なこの英雄叙事詩を書き上げたころからタッソに錯乱の兆しがみえはじめ,極度の緊張と疲労と発熱のなかでこの作品の推敲を繰り返し,人々の批評を執拗に求めながら絶望しつづける日夜を送ったあげくに,みずから異端審問所へ出頭。作品は審問を無事に通過するが,詩人を病的な不安から救いはしなかった。1577年6月のある夕べ,突如として従僕に短剣を投げつけたタッソは,アルフォンソ公の命により修道院に隔離される。しかし詩人は脱走に成功して,以後2年間にわたり,イタリア各地を放浪する。79年,フェラーラに戻ったタッソは,再び逆上してアルフォンソ公を罵倒し,今度は精神病院に幽閉される。7年間の独房生活ののちにようやく釈放された詩人は,マントバに身を落ち着けて悲劇《トリズモンド王》を完成させるが,翌87年にはまた突然その町を去り,長い放浪に出る。その旅の日々のなかで92年には《征服されたエルサレム》を,翌々年には叙事詩《天地創造》を完成。そして95年,流浪の果てに病に倒れた詩人は,ローマの修道院の一室で永眠した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タッソ」の意味・わかりやすい解説

タッソ
たっそ
Torquato Tasso
(1544―1595)

イタリア・バロック期最大の詩人。3月11日ソレントに生まれる。叙事詩『アマディージ』などで世に知られた父ベルナルドに伴って、幼少時からイタリア各地の宮廷を歴訪。15歳のとき早くもベネチアで『解放されたエルサレム』の草案に着手。父親の意志により16歳からパドバで法律を学び始めるが、他方ではさまざまな文学者との交流や古今の文学作品の読破を通じて文学的熟成を遂げてゆき、数多くの恋愛詩および騎士物語詩『リナルド』(1562)を執筆。1565年、法律の勉強を捨ててフェッラーラに移り、エステ家の当主アルフォンソ2世の実弟ルイージ枢機卿(すうききょう)に仕える身となる。かつてルネサンス文化の中心的役割を担いながら栄華を極めたエステ家の宮廷は、いまや凋落(ちょうらく)の運命をたどりつつあったが、なおそこには学者や芸術家が数多く集っており、その環境のなかでタッソは、『詩学および英雄叙事詩に関する論考』(晩年の推敲(すいこう)を経て大著『英雄叙事詩論』となる)の執筆、叙情詩集の刊行、アカデミアでの発表活動などを行い、さまざまな貴婦人との恋愛を経験した。

 1572年からアルフォンソ2世直属の廷臣となり、翌73年春に牧歌劇『アミンタ』を執筆。同年夏にエステ家の別荘で初演されたこの作品によって、16世紀後半に形成されつつあった新しい文学ジャンル「牧歌劇」はその形態を確立した。75年4月、長年にわたり構想と推敲を重ねた壮大な英雄叙事詩『解放されたエルサレム』を完成。だが、この代表作を書き上げたころから錯乱の兆しが現れ、極度の緊張と疲労のなかでさらに加筆修正を繰り返し、人々の批評を執拗(しつよう)に求めながら絶望し続ける日夜を送ったすえに、自ら異端審問所へ出頭。作品は審問を無事に通過するが、詩人の病的な不安はさらに募るばかりであった。

 1577年初夏のある夜、突如として従僕に短剣を投げ付けて、アルフォンソ2世の命により修道院に隔離される。が、脱走に成功した詩人は、以後2年間にわたってイタリア各地を放浪。79年、フェッラーラに戻り、激高のあまりアルフォンソ2世を罵倒(ばとう)して、今度は地下牢(ろう)に幽閉される。7年間の過酷な監禁生活ののちにようやく釈放されてマントバに落ち着き、悲劇『トッリズモンド王』(1586)を完成させるが、翌87年にはふたたび長い放浪の旅に出る。その日々のなかで叙事詩『征服されたエルサレム』(1592)および『天地創造』(1594)を完成。95年、流浪の果てに病に倒れ、4月25日、ローマの修道院の一室で永眠した。

[鷲平京子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タッソ」の意味・わかりやすい解説

タッソ
Tasso, Torquato

[生]1544.3.11. ソレント
[没]1595.4.25. ローマ
イタリアの詩人。フェララのエステ家に仕え,牧歌劇『アミンタ』 Aminta (1573) や叙事詩『エルサレム解放』 Gerusalemme liberata (75) を完成した。後者は,異教や異端に対するカトリック界の動向を背景に,第1回十字軍遠征を描いたもので,他方,さまざまなタイプの恋愛がすべて破局に向うという,生への暗く不安に満ちた描写を行なっている。のちに,この作品に向けられた文学や宗教上の批判のためか,迫害恐怖症に陥り,宮廷で狂暴なふるまいに及んで病院に監禁された。ほかに,叙事詩『リナルド』 Rinaldo (62) ,『エルサレム解放』を改作した『エルサレム征服』 Gerusalemme conquistata (93) などがある。

タッソ
Tasso, Bernardo

[生]1493. ベネチア
[没]1569. マントバ
イタリアの詩人。 T.タッソの父。主著はスペインの『アマディス・デ・ガウラ』をもとにした八行韻詩 100歌から成る英雄譚『アマディジ』 Amadigi (1560) ,オウィディウスを下敷きにした『ピラーモとティスベの物語』 Favola di Piramo e Tisbeなど。

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百科事典マイペディア 「タッソ」の意味・わかりやすい解説

タッソ

イタリアの詩人。早くから才能を示し,フェラーラのエステ家の廷臣となったこともある。衰退へと向かう16世紀後半のイタリア・ルネサンス文学の中で例外的な光彩を放った最後の大詩人。代表作の長編叙事詩《解放されたエルサレム》は古典に範をとった作品でありながら,すでにバロック的傾向を示している。ほかに,牧歌劇《アミンタ》など。宗教改革時代のきびしい異端審問の風潮の中で迫害恐怖症に陥り,晩年を幽閉と放浪のうちに送る。
→関連項目ジェズアルドソレントフェラーラ

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世界大百科事典(旧版)内のタッソの言及

【イタリア文学】より

…すでにペトラルカはラテン語による叙事詩《アフリカ》(1338ごろ執筆開始)によってローマで桂冠詩人の栄誉を受け,ボッカッチョはウェルギリウスとスタティウスに範を取って叙事詩《テセイダ》(1340‐41)を著したが,ルネサンス期に入ってまずL.プルチの《モルガンテ》(1483)が発表された。この叙事詩は武勲詩のパロディの一種であり,こうして始められた古典と中世騎士道物語の混交は,M.M.ボイアルドの《恋するオルランド》から,ルネサンス期最大の叙事詩L.アリオストの《狂えるオルランド》(決定版1532)を経て,バロック期最大の叙事詩T.タッソの《解放されたエルサレム》(1565‐75)に受け継がれ,最後にG.マリーノの《アドーネ》(1590‐1616)のあまりにも音楽的な語法の作品に達した。 ここで,15世紀から17世紀にかけてイタリア文学の背骨を成した長編叙事詩の作者たちが,フィレンツェやフェラーラなど,各地の専制君主の宮廷詩人であった事実を思い返しておく必要があるだろう。…

【解放されたエルサレム】より

…イタリアの詩人タッソの代表的長編叙事詩。11音節8行韻詩の形式をとり,全20歌1917連から成る。…

【マニエリスム】より

… 後者の〈洗練の極致〉は,手法(マニエラmaniera)を説くG.バザーリの唯美主義を重視するJ.シャーマンらの理論であり,マニエリストは身分上廷臣として宮廷内にとどまり,古典主義への反逆や前衛主義には無縁な人士であり,怪奇や不安,神経症など薬にしたくもなく,ただ既成の隠喩や寓意の合成的模倣に終始し,そこから洗練された人工美を作り出すのに腐心した芸術家・文人の謂(いい)だとしている。この論の眼鏡にかなう作品はまずT.タッソの《アミンタ》(1573)である。牧人アミンタが情なき女シルビアに恋し,やがて女が死んだと錯覚して,断崖より身を投げるが未遂に終わり,ついに彼女の心を得てハッピー・エンドという古代の田園詩とフェラーラの宮廷の趣味とがほどよく統合された田園劇(牧歌劇)であるが,抜群の着想と官能性とある種の唯美主義がその特徴である。…

※「タッソ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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