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タッソ Tasso, Bernardo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タッソ
Tasso, Bernardo

[生]1493. ベネチア
[没]1569. マントバ
イタリアの詩人。 T.タッソの父。主著はスペインの『アマディス・デ・ガウラ』をもとにした八行韻詩 100歌から成る英雄譚『アマディジ』 Amadigi (1560) ,オウィディウスを下敷きにした『ピラーモとティスベの物語』 Favola di Piramo e Tisbeなど。

タッソ
Tasso, Torquato

[生]1544.3.11. ソレント
[没]1595.4.25. ローマ
イタリアの詩人。フェララのエステ家に仕え,牧歌劇『アミンタ』 Aminta (1573) や叙事詩『エルサレム解放』 Gerusalemme liberata (75) を完成した。後者は,異教や異端に対するカトリック界の動向を背景に,第1回十字軍遠征を描いたもので,他方,さまざまなタイプの恋愛がすべて破局に向うという,生への暗く不安に満ちた描写を行なっている。のちに,この作品に向けられた文学や宗教上の批判のためか,迫害恐怖症に陥り,宮廷で狂暴なふるまいに及んで病院に監禁された。ほかに,叙事詩『リナルド』 Rinaldo (62) ,『エルサレム解放』を改作した『エルサレム征服』 Gerusalemme conquistata (93) などがある。

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百科事典マイペディアの解説

タッソ

イタリアの詩人。早くから才能を示し,フェラーラのエステ家の廷臣となったこともある。衰退へと向かう16世紀後半のイタリア・ルネサンス文学の中で例外的な光彩を放った最後の大詩人。
→関連項目ジェズアルドソレントフェラーラ

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世界大百科事典 第2版の解説

タッソ【Torquato Tasso】

1544‐95
イタリア・バロック期最大の詩人。ソレントに生まれる。父ベルナルドも叙事詩《アマディージ》などで世に知られた詩人であり,タッソはこの父に伴われて幼少時からイタリア各地の宮廷を転々とした。15歳の年にはベネチアで《解放されたエルサレム》の最初の草案に着手。16歳になると父親の意志によりパドバで法律を学び始めるが,他方で文学者たちとの交流を重ね,古今の文学作品を耽読(たんどく)しながら,着実に文学的熟成を遂げてゆき,数々の恋愛詩および騎士物語詩《リナルド》を執筆。

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大辞林 第三版の解説

タッソ【Torquato Tasso】

○1544~1595) イタリアの詩人。長編叙事詩「エルサレム解放」によって、イタリア-バロックの偉大な先駆者と呼ばれる。牧歌劇「アミンタ」はメロドラマ(今日のオペラ)の祖型とされる。
ゲーテの戯曲。五幕。1790年完成。詩人タッソを主人公とし、夢想的な詩作の世界にのみ生きる詩人が、現実世界との衝突に苦悩する姿を描く。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タッソ
たっそ
Torquato Tasso
(1544―1595)

イタリア・バロック期最大の詩人。3月11日ソレントに生まれる。叙事詩『アマディージ』などで世に知られた父ベルナルドに伴って、幼少時からイタリア各地の宮廷を歴訪。15歳のとき早くもベネチアで『解放されたエルサレム』の草案に着手。父親の意志により16歳からパドバで法律を学び始めるが、他方ではさまざまな文学者との交流や古今の文学作品の読破を通じて文学的熟成を遂げてゆき、数多くの恋愛詩および騎士物語詩『リナルド』(1562)を執筆。1565年、法律の勉強を捨ててフェッラーラに移り、エステ家の当主アルフォンソ2世の実弟ルイージ枢機卿(すうききょう)に仕える身となる。かつてルネサンス文化の中心的役割を担いながら栄華を極めたエステ家の宮廷は、いまや凋落(ちょうらく)の運命をたどりつつあったが、なおそこには学者や芸術家が数多く集っており、その環境のなかでタッソは、『詩学および英雄叙事詩に関する論考』(晩年の推敲(すいこう)を経て大著『英雄叙事詩論』となる)の執筆、叙情詩集の刊行、アカデミアでの発表活動などを行い、さまざまな貴婦人との恋愛を経験した。
 1572年からアルフォンソ2世直属の廷臣となり、翌73年春に牧歌劇『アミンタ』を執筆。同年夏にエステ家の別荘で初演されたこの作品によって、16世紀後半に形成されつつあった新しい文学ジャンル「牧歌劇」はその形態を確立した。75年4月、長年にわたり構想と推敲を重ねた壮大な英雄叙事詩『解放されたエルサレム』を完成。だが、この代表作を書き上げたころから錯乱の兆しが現れ、極度の緊張と疲労のなかでさらに加筆修正を繰り返し、人々の批評を執拗(しつよう)に求めながら絶望し続ける日夜を送ったすえに、自ら異端審問所へ出頭。作品は審問を無事に通過するが、詩人の病的な不安はさらに募るばかりであった。
 1577年初夏のある夜、突如として従僕に短剣を投げ付けて、アルフォンソ2世の命により修道院に隔離される。が、脱走に成功した詩人は、以後2年間にわたってイタリア各地を放浪。79年、フェッラーラに戻り、激高のあまりアルフォンソ2世を罵倒(ばとう)して、今度は地下牢(ろう)に幽閉される。7年間の過酷な監禁生活ののちにようやく釈放されてマントバに落ち着き、悲劇『トッリズモンド王』(1586)を完成させるが、翌87年にはふたたび長い放浪の旅に出る。その日々のなかで叙事詩『征服されたエルサレム』(1592)および『天地創造』(1594)を完成。95年、流浪の果てに病に倒れ、4月25日、ローマの修道院の一室で永眠した。[鷲平京子]

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世界大百科事典内のタッソの言及

【イタリア文学】より

…すでにペトラルカはラテン語による叙事詩《アフリカ》(1338ごろ執筆開始)によってローマで桂冠詩人の栄誉を受け,ボッカッチョはウェルギリウスとスタティウスに範を取って叙事詩《テセイダ》(1340‐41)を著したが,ルネサンス期に入ってまずL.プルチの《モルガンテ》(1483)が発表された。この叙事詩は武勲詩のパロディの一種であり,こうして始められた古典と中世騎士道物語の混交は,M.M.ボイアルドの《恋するオルランド》から,ルネサンス期最大の叙事詩L.アリオストの《狂えるオルランド》(決定版1532)を経て,バロック期最大の叙事詩T.タッソの《解放されたエルサレム》(1565‐75)に受け継がれ,最後にG.マリーノの《アドーネ》(1590‐1616)のあまりにも音楽的な語法の作品に達した。 ここで,15世紀から17世紀にかけてイタリア文学の背骨を成した長編叙事詩の作者たちが,フィレンツェやフェラーラなど,各地の専制君主の宮廷詩人であった事実を思い返しておく必要があるだろう。…

【解放されたエルサレム】より

…イタリアの詩人タッソの代表的長編叙事詩。11音節8行韻詩の形式をとり,全20歌1917連から成る。…

【マニエリスム】より

… 後者の〈洗練の極致〉は,手法(マニエラmaniera)を説くG.バザーリの唯美主義を重視するJ.シャーマンらの理論であり,マニエリストは身分上廷臣として宮廷内にとどまり,古典主義への反逆や前衛主義には無縁な人士であり,怪奇や不安,神経症など薬にしたくもなく,ただ既成の隠喩や寓意の合成的模倣に終始し,そこから洗練された人工美を作り出すのに腐心した芸術家・文人の謂(いい)だとしている。この論の眼鏡にかなう作品はまずT.タッソの《アミンタ》(1573)である。牧人アミンタが情なき女シルビアに恋し,やがて女が死んだと錯覚して,断崖より身を投げるが未遂に終わり,ついに彼女の心を得てハッピー・エンドという古代の田園詩とフェラーラの宮廷の趣味とがほどよく統合された田園劇(牧歌劇)であるが,抜群の着想と官能性とある種の唯美主義がその特徴である。…

※「タッソ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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