タブリーズ(英語表記)Tabrīz

デジタル大辞泉 「タブリーズ」の意味・読み・例文・類語

タブリーズ(Tabrīz)

イラン北西部の都市。東アーザルバーイジャーン州の州都。アゼルバイジャン地方の中心都市であり、アゼルバイジャン人が多く居住する。ササン朝ペルシア時代に建設されたと考えられ、東西交易の要衝として栄えた。20世紀初頭にはイラン立憲革命中心地になった。人口、行政区140万(2006)。

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精選版 日本国語大辞典 「タブリーズ」の意味・読み・例文・類語

タブリーズ

  1. ( Tabrīz ) イラン北西部、東アゼルバイジャン州の州都。イスラム期以後に発展。一三世紀以降、イルハーン朝(イルカン国)およびカラコユンル、アクコユンルの両王朝が都を置いた。一九世紀にはイランのヨーロッパロシアとの貿易の要衝として栄え、立憲革命拠点となった。ペルシア絨緞(じゅうたん)集散地

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改訂新版 世界大百科事典 「タブリーズ」の意味・わかりやすい解説

タブリーズ
Tabrīz

イラン北西部の都市。東アゼルバイジャン州の州都。人口136万5476(2003)。テヘランから628km,テヘランとジョルファを結ぶ鉄道が通る。標高1360m,サハンド山の麓に位置し,年降水量は286mm。冬は積雪をみ,寒さが厳しいが,夏はしのぎやすい。トルコ系の住民が多く,アゼリー(アゼルバイジャン語)と称するトルコ系言語を話す。東西交通の要衝を占めており,東にはカズビーン,北にはジョルファ,北西にはトラブゾンに道路が通ずる。

 歴史は古く,パルティア時代にアルメニアの王が建設,1世紀にはパルティア王ティリダテス3世の都であったが地震で破壊され,8世紀にアッバース朝カリフ,ハールーン・アッラシードの妻ズバイダが再建した。地震帯に位置しているためしばしば震災を受けた(858,1042,1641,1728,1785,1854,1856)ほか,1866年にはコレラが流行し10万人の死者を出した。

 セルジューク朝下では商業の小中心地にすぎなかったが,アゼルバイジャン・アタ・ベク朝下では1191年に首都となり栄えた。1231年モンゴル軍に占領され荒廃したが,イル・ハーン国の下では再び首都となり,ガーザーン・ハーンの治下で繁栄を享受した。1386年ティムールの支配下に入り,1473年にはカラ・コユンル朝のウズン・ハサンの首都となった。1501年にはイスマーイール1世がタブリーズでサファビー朝を創建した。カージャール朝下ではテヘランに次ぐ重要な都市で,皇太子が知事を務め,対ヨーロッパ貿易の拠点として栄えた。1842年の人口は10万~12万人と推定されている。20世紀初めのイラン立憲革命ではサッタール・ハーンに率いられたタブリーズ市民は革命の立役者となった。

 第1次大戦中ロシア軍が進駐,1917年のロシア革命後はオスマン・トルコ軍が占領,第2次大戦下では41年にソ連軍が進駐,45年のアゼルバイジャン共和国成立に際しては一時共和国軍が占領した。じゅうたんが有名で,干しブドウなど乾果も多く産する。
執筆者:

タブリーズは,イル・ハーン国,サファビー朝両時代に写本芸術の発達の舞台となり,〈タブリーズ派〉によって多数の写本挿絵の傑作が生まれた。建築遺構としては,1465・66年にカラ・コユンル朝のジャハーン・シャーによって建てられたトルコ型のマスジェデ・カブードがまず挙げられる。これはユニークなプランと壁面を飾る青を基調としたモザイク・タイル(ここから〈ブルー・モスク〉の俗称が生まれた)で知られている。冬のモスクとして建造されたので規模は小さい。大部分が廃墟と化しているが,その壮大なピーシュターク(正面入口)の一部などが残存する。城門と城壁のみが残存する煉瓦造の規模雄大な城砦(アルグ)は,イル・ハーン国のウルジャーイートゥー・ハーンの宰相タージュ・アッディーン・アリー・シャーが1310-20年ころに建設したマスジェデ・ジャーミー(別名マスジェデ・アリー・シャー)から転用されたものである。タブリーズにはこのほかイランの代表的な公園で,東欧風のパビリオンを有するバーグ・エ・ゴレスターン(〈薔薇の園〉の意)がある。博物館としては,考古・民俗資料を展示するアゼルバイジャン博物館がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「タブリーズ」の意味・わかりやすい解説

タブリーズ

イラン北西部の都市。アゼルバイジャン地方の商工業の中心地で,またイランとトルコを結ぶ交通の要地。絨緞(じゅうたん)の産地。紡績・皮革・食品工業もある。乾果の産でも有名。15世紀の青のモスクがある。歴史は古代パルティアにさかのぼり,アター・ベク朝,イル・ハーン国などのほか,サファビー朝初期の都として栄えた古都。また20世紀初頭のイラン立憲革命では市民蜂起があった。149万4998人(2011)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タブリーズ」の解説

タブリーズ
Tabrīz

イラン北西部の都市。12世紀後半から重要都市として発展し,イル・ハン国,カラコユンル(黒羊朝),アクコユンル(白羊朝)の首都。サファヴィー朝も当初首都とした。カージャール朝時代には皇太子が封じられる副都とされ,軍などの近代化の先駆けの地となった。イラン立憲革命に際して立憲派のタブリーズ蜂起の舞台となり,重要な役割を果たした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「タブリーズ」の解説

タブリーズ
Tabriz

西アジア,イラン北西部にある商業都市
古くから東西交通の要地で,銀器・絨緞 (じゆうたん) ・工芸品の産地としても有名。13世紀にイル−ハン国の首都となり,同世紀末ガザン=ハンの治下で栄えた。のちティムール帝国領となり,やがてサファヴィー朝とオスマン帝国との争奪地となったが,のちイラン領となった。

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世界大百科事典(旧版)内のタブリーズの言及

【印刷】より

…モンゴルは欧亜にまたがる大帝国を建てたが,モンゴルとヨーロッパが文化的に密接に接触した2ヵ所の都市があった。その1ヵ所はイル・ハーン国の主都であったペルシアのタブリーズであった。ここではイタリアを中心としたヨーロッパ諸国とのあいだに公式な交渉があり,各国の代表部が置かれ,しばしば使節が派遣された。…

※「タブリーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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