タリン(英語表記)Tallin

デジタル大辞泉 「タリン」の意味・読み・例文・類語

タリン(Tallinn)

《デンマーク人の町の意》エストニア共和国首都フィンランド湾に面する港湾・工業都市。11世紀にデンマーク人が建設、13世紀にハンザ同盟都市となる。1997年、城壁に囲まれた旧市街が世界遺産文化遺産)に登録された。人口、行政区40万(2008)。レバル

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「タリン」の意味・読み・例文・類語

タリン

  1. ( Tallin ) エストニア共和国の首都。フィンランド湾に面し、対岸ヘルシンキとの間は船で結ばれる。都市建設は一三世紀にさかのぼり、後にはハンザ同盟の都市として発展した。旧市街には古い建築物が多い。ドイツ語名レーバル。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「タリン」の意味・わかりやすい解説

タリン
Tallin

エストニア共和国北部にある同共和国の首都。人口40万(2003)。旧称はレバルReval。フィンランド湾に臨む港で,共和国の政治,経済,文化の中心である。古城のそびえる〈トーンペアToompeaの丘〉を中心に旧市街が北へ延び,それを城壁が取り囲んでいる。現在も20の塔が並び立つ2.3kmの城壁の中に14世紀にできた市庁舎,13世紀に建てられた大聖堂や高い塔を備えたオレビステン教会などが古都の面影を伝えている。旧市街の東側にはビルViru広場から商業地帯が広がり,ホテル,デパート劇場などが建設されている。市の南側と西側は住宅地区へとつながる。トーンペア城内には18世紀の後期バロック様式の宮殿があり,ここで共和国の最高会議が開催される。タリンには教育,工芸,音楽,芸術の4大学と歴史博物館や市立博物館がある。

 1154年デンマーク王バルデマー2世が十字軍を率いてトーンペアのエストニア人のとりでを奪い,ここに築城した。タリンの名は〈デンマーク人の市〉から由来している。1285年ハンザ同盟に加わりロシア貿易により繁栄した。1346年バルデマー4世がタリンと北エストニアをドイツ騎士修道会に売り渡したが,1561年にはスウェーデンの手に移り,1631年スウェーデン王グスタブ2世アドルフはタリンにギムナジウムを開いた。北方戦争中の1710年にはロシア領となり,ピョートル大帝はタリンを軍港に定めた。1918年エストニアの独立とともにエストニア共和国の首都となったが,40年ソ連領に編入された。タリンにはエストニア工業の4割を占める工場群が海岸沿いに集中していて,食品工業,軽工業,機械・金属・化学工業などが盛んである。タリン港は年間1万6000もの船が出入りし,スカンジナビアや西ヨーロッパ諸国とつながっている。フィンランドのヘルシンキとの間に旅客航路をもち,サンクト・ペテルブルグとリガとは鉄道で結ばれている。また旧ソ連の各都市との航空路もひらけている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タリン」の意味・わかりやすい解説

タリン
Tallinn

エストニアの首都。旧称レーベリ Revel',ドイツ語名レーバル Reval。バルト海のフィンランド湾に面する港湾都市。紀元前より要塞集落が存在し,12世紀には記録に現れている。 1219年デンマーク王バルデマール2世が占領,エストニア人のつくった砦の跡に城を築いた。 1285年ハンザ同盟に加わり,貿易港となって発展。 1346年バルデマール4世は市をドイツ騎士団に売り渡し,1561年スウェーデン領,のち衰退した。 1710年ロシア領となり,皇帝ピョートル1世はここにバルチック艦隊の根拠地を築いた。 1918~40年は独立したエストニアの首都,その後エストニアのソビエト連邦編入に伴ってソ連領となり,1991年独立とともに首都となった。同国最大の貿易港であるとともに工業の中心地で,コフトラヤルベからパイプラインで送られる石油,ガスを利用し,電気機器,掘削機,ケーブル,船舶修理,製紙,家具,織物,魚類缶詰などの工業が発達。近郊に新しい住宅地が発展。工科,芸術,教育などの大学,エストニア共和国科学アカデミー,キンギセップ記念アカデミー劇場,野外住居博物館など多くの教育・文化施設がある。またトンペア城,聖ニコライ聖堂,聖オライ聖堂,ギルドホール,市庁舎など 13~18世紀の古い建築物が保存される旧市街は,1997年世界遺産の文化遺産に登録された。鉄道,ハイウェーの分岐点で,空港もある。人口 39万9340(2010)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タリン」の意味・わかりやすい解説

タリン
たりん
Tallin

エストニア共和国の首都。フィンランド湾に面し、湾を挟んでヘルシンキと対峙(たいじ)する位置にある。人口40万3981(2000)。ドイツ語名レーバルReval。エストニア共和国の政治、経済、文化の中心地。バルト海の重要港湾の一つで、大規模な港湾施設をもつ。軍事的にも重要で、造船所をはじめ海軍軍事施設がある。電気機械、紙、パルプ、家具、繊維、皮革、ピアノを生産する工業都市でもある。古い歴史のある都市で、デンマーク王バルデマー2世が1219年に要塞(ようさい)を建設した。ヨーロッパとロシアの海上貿易の中継地として地理的に優れた位置にあるため、13~14世紀にはバルト海沿岸の大都市に発展した。13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、貿易港として発展したが、1346年にチュートン騎士団の手に落ち、のちにスウェーデン、ロシアと支配者が変わった。1918年には独立したエストニア国の首都となり、レーベリRevel'とよばれた(1940まで)。40年ソ連邦に編入。第二次世界大戦中ドイツ軍に占領され、重大な戦禍を受けた。エストニアは、91年にはふたたびソ連からの独立を達成した。市域は次の三つの地区からなり、歴史的建造物が多い。13~14世紀の城塞のある丘陵地区、14~16世紀に建造された城壁に囲まれた旧市街、その外側に広がる新市街の3地区である。科学アカデミー、各種研究所、大学、劇場、博物館など文化施設も多い。1997年に旧市街は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[山本 茂]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「タリン」の意味・わかりやすい解説

タリン

エストニア共和国の首都。フィンランド湾岸の港湾都市。市街は旧市街と新市街に分けられる。機械,電気機器,紙,家具,織物などの工業が行われる。13世紀にハンザ同盟に加わった古都で,当時の建築物が多く,旧市街は1997年世界文化遺産に登録された。18世紀の北方戦争後ロシア領。同一文化を共有するフィンランドとの交流が盛んで,ヘルシンキ間にはソ連時代から航路がひらかれている。39万3222人(2011)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のタリンの言及

【エストニア】より

…正式名称=エストニア共和国Eesti Vabariik∥Republic of Estonia面積=4万5100km2人口(1996)=147万人首都=タリンTallinn(日本との時差=-7時間)主要言語=エストニア語(公用語),ロシア語通貨=クローンKroonバルト海北東岸にある共和国。旧ソ連邦のもとでのエストニア・ソビエト社会主義共和国Eesti Nõukogude Sotsialistik Vabariik(ロシア語ではEstonskaya SSR)が,1991年独立したもの。…

※「タリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android