ダニロワ
だにろわ
Alexandra Danilova
(1904―1997)
ロシア生まれのアメリカで活躍したバレリーナ。ペトログラード(サンクト・ペテルブルグ)の帝室舞踊学校卒業後、マリンスキー劇場バレエ団に入る。1924年バランチンらとともに小グループでヨーロッパを巡演後、同年ディアギレフのロシア・バレエ団に参加、『ネプチューンの勝利』『ミューズを率いるアポロ』などに出演した。ディアギレフの死(1929)後、33年にド・バジル・バレエ団、38年にバレエ・リュス・ド・モンテカルロにソリストとして参加、マシーン振付けの『美しきドナウ』『パリの賑(にぎ)わい』などを踊った。54年ニューヨークに自身のバレエ団を創設したが、57年に引退。その後はバランチンに協力してニューヨーク・シティ・バレエ団のために『コッペリア』を振り付けたり、アメリカン・バレエ学校で後進の指導にあたった。
[國吉和子]
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ダニロワ
ロシア生れの女性舞踊家。ペテルブルグの帝室舞踊学校で学び,学校時代にロシア革命を体験する。1924年バランチンらと一緒にソ連を離れ,ディアギレフに見いだされて〈バレエ・リュッス〉に参加。1930年代以降は〈バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ〉などでプリマ・バレリーナとして活躍,その美しさで名声を博した。1957年に引退したのちは欧米で舞踊教師として後進の指導に当たった。当たり役は《美しきダニューブ(美しいドナウ)》の街の踊り子,《パリの喜び》の手袋売り(両作品ともマシン振付)など。1953年に初来日。
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ダニロワ【Alexandra Danilova】
1904‐97
ロシア生れの女流舞踊家,舞踊教師。ペテルブルグの帝室舞踊学校を卒業後,マリインスキー劇場に入り,1924年バランチンらとともに故国を去り,ディアギレフのバレエ団に参加した。30年代には〈バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ〉のプリマとして世界的名声を得た。日本には3回(1953,55,57)訪れて踊ったほか,牧阿佐美バレエ団の指導も行った。引退後,主としてニューヨークで舞踊教師として活躍している。81年にも来日し,牧阿佐美バレエ団のために《コッペリア》を新しく振付した。
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世界大百科事典内のダニロワの言及
【バレエ・リュッス・ド・モンテ・カルロ】より
…ディアギレフの後を継ごうとした多くの企てのなかで,このバレエ団が最も成功した。その原因は,ディアギレフ一座の支え手の一人であったグリゴリエフSergei Grigoriev(1883‐1968)を舞台監督に迎え,同じく主役舞踊手であったA.ダニロワ,チェルニショワ,ボイジコフスキーらを擁して演目の水準の維持,座員の質の向上を図ったことである。また,史上初めてという10代前半,またはそれに準ずる踊り手,T.トゥマーノワ,バロノワ,リャブーシンスカの3人をベビー・バレリーナとして主役に抜擢し,人気を博したことにある。…
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