フランスの地質学者、古生物学者、思想家。イエズス会所属の司祭でもあった。オルシーヌに生まれる。少年時代から地質や化石について興味をもち、神学研究のかたわら実証科学の研究をも深めていった。第一次世界大戦中は担架兵として前線で活躍、戦後はパリで古生物学の研究に精進した。1923年、招かれて中国北西部の学術調査団に参加。その後もたびたび中国各地を旅行、また北京原人(ペキンげんじん)の発掘に参加し、その研究で世界的に著名な学者となった。1946年帰国、1948年フランス科学院会員に選ばれ、ついでコレージュ・ド・フランスの教授の候補にもなったが、修道会の許可が得られず断念した。1951年人類学研究のため南アフリカへ調査旅行し、それ以後最後の数年間、ニューヨークを根拠地として科学研究に携わるとともに、哲学的な論文をも執筆した。生前、教会からたびたび警告を受け、そのため世間には秘められていた彼の思想的著作が死後次々に発表されると、世界的に大きな反響が巻き起こり、そこから新しい思想の糧(かて)をくみ取ろうとする動きが科学、神学、哲学などの各界に現れた。
真摯(しんし)な科学者として多年研究にいそしんできたテイヤールにとって、宇宙、生物、人類がいままで進化の道を進んできたことは疑いえない事実と思われたが、問題は、この人間が宇宙のなかでいったいどのような位置を占めているかを省察し、さらにその人間観がキリスト教信仰とどのようにかみ合うかを問うてみることであった。1926~1927年に書かれた『神の場』では、この現実的世界が実はキリスト教的な神の遍在を示す聖なる場所であることが説かれている。また主著『人間という現象』(1938~1940)では、物理的世界から生物的世界へ、さらにそのうえに思考力を備えた人間の世界がどのようにして成立してきたのか、またこの人類が何を目ざして進んでいきつつあるか、という未来への展望をはらんだ雄大な諸科学の総合的世界観が展開されている。
[西村嘉彦 2017年11月17日]
『美田稔・高橋三義・日高敏隆・渡辺美愛他訳『テイヤール・ド・シャルダン著作集』全10巻(1968~1975・みすず書房)』▽『トレモンタン著、美田稔訳『テイヤール・ド・シャルダン』(1966・新潮社)』▽『C・キュエノ著、周郷博・伊藤晃訳『ある未来の座標――テイヤール・ド・シャルダン』(1970・春秋社)』▽『G・H・ボードリイ著、後藤平・三嶋唯義訳『信仰と科学――テイヤール・ド.シャルダン』(1978・創造社)』
フランスのカトリック司祭,イエズス会士,古生物学者。近代自然科学の世界観,とくに進化論的世界観とキリスト教的世界観を総合することを提唱し,その実現をめざした。イギリスで哲学,神学を学び,司祭になり,帰国後M.ブールの下で古生物学を研究。第1次世界大戦では看護兵として徴集され,戦後ソルボンヌ大学で博士号を取得。パリ・カトリック大学で短期間教鞭を執った後,1923年から46年まで中国地理学会の顧問として中国,アジア北部の古生物学と層位学の研究に従事し,この間周口店洞穴の発掘調査に参加したほか,中央アジア,インド,ビルマ(現,ミャンマー)などへの数多くの探検に参加している。46年から55年ニューヨークで客死するまで,短期間フランス,大部分をアメリカのウェナー・グレン人類学研究財団の所員として,宇宙的規模をもつ特別な生物学的単位としての人類の遺伝的構造をきわめる研究に没頭した。この間彼は上記の財団から南アフリカに派遣され,サハラ砂漠以南のヒト科の生物の起源を探っている。この探検のさいの書簡集(《ある旅人の手紙》1956)は彼の生涯と思想の展開を知る上で重要な文献である。生前,彼の思想は哲学・神学的に問題があるとみなされ,教職を追われ,著作の出版もローマ教皇庁によって禁止された。アカデミー・デ・シアンスへの推挙も教皇庁の命令によって辞退させられた。彼がニューヨークで学究生活を送ったのもこのためである。死後《現象としての人間》(1955),《神のくに》(1957)など彼の著作は次々と出版され,熱烈に迎えられたが,1962年検邪聖省(教理聖省)が彼の思想についての注意書を発表したことに見られるように,教皇庁の警戒の姿勢は続いていた。しかしとくに第2バチカン公会議(1962-65)後,精神と物質,身体と霊魂,自然と超自然をキリストにおいて統合し,宇宙的な視点によってまとめ上げた20世紀の偉大なキリスト教思想家とみなされるようになった。確かに,彼の思想には,罪の問題が明確に取り上げられていないことなど多くの難点がある。しかし,彼が全世界の未来にキリスト教を結びつけた貢献は忘れられないであろう。
執筆者:高柳 俊一
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…のち自然の非生命性,非自動性を主張する近代の機械論的自然観が支配的となった時期に,カントは物活論を,自然科学の基礎としての惰性律に反するとして批判した。現代では,A.N.ホワイトヘッド,テイヤール・ド・シャルダンらもある意味で物活論的思考の系譜に置いてみることができよう。生気論【広川 洋一】。…
※「テイヤールドシャルダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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