日本大百科全書(ニッポニカ) 「創造社」の意味・わかりやすい解説
創造社
そうぞうしゃ
中国の文学団体。1921年(大正10)6月郭沫若(かくまつじゃく)、郁達夫(いくたつふ)、成仿吾(せいほうご)、張資平らが東京で結成、22年5月『創造』季刊を創刊し本格的活動を始めた。普通三期に分けて論じられる。第一期の機関誌はほかに『創造週報』『創造日』。同人には日本留学生が多く、上記のほかに田漢(でんかん)、鄭伯奇(ていはくき)、穆木天(ぼくぼくてん)、王独清(おうどくせい)などがいた。文学研究会と並び称せられ、同会が自然主義、人生派とよばれたのに対し、自我の確立や個性の解放などを主張して浪漫(ろうまん)主義、芸術派とよばれた。20年代中期に入ると、大革命の進展などを背景に左傾化し、25年『洪水』半月刊、26年『創造月刊』を創刊して郭沫若が「革命と文学」などの論文を発表した(第二期)。大革命が挫折(ざせつ)すると日本から李初梨(りしょり)、馮乃超(ふうだいちょう)らが帰国、28年『文化批判』を創刊して階級還元論的な革命文学論を主張し、魯迅(ろじん)らと革命文学論戦を展開した(第三期)。29年2月国民党によって封鎖され、社団としての歴史は終わったが、同人はその後も活動を続け、中国左翼作家連盟の中核として活躍した。
[小谷一郎]