イタリア語で〈焼いた土〉〈素焼〉の意。一般には粘土を成形して焼いた無釉の彫像,もしくは建築用,装飾用に制作されたものをいう。テラコッタの素材である粘土は比較的容易に入手でき,また可塑性に富んでいるところから新石器時代以後メソポタミア,小アジア,エジプト,ギリシア,中国,日本,メキシコなど世界の各地で制作されている。なかでもメソポタミア地方では前3700年ころ,グロテスクな頭部をもつ裸体の男女像がつくられ,エジプトではすでに先王朝時代(前3000年以前)に素朴な小像が多数制作されている。また古代ギリシアではクレタ・ミュケナイ時代に,著しく単純化された加彩の女神像が出土している。これら古代のテラコッタの小像はその多くが一種の宗教的,呪術的目的で制作されたものと推察される。一方,これらと異なりボイオティア地方東部のタナグラの墓地から出土した前5世紀ころから前3世紀ころにかけての加彩の小像,および小アジアのミュリナ,スミュルナ,ペルガモンなどで制作されたヘレニズム時代の小像は,神々,騎士,楽人,農夫,職人,婦人,子どもなどさまざまな人物を表している。とくにタナグラ出土の一連の優美な婦人像は,それまでの小像と違って日常的なくつろいだポーズや甘い感傷的な顔だちなど生気に満ち,用途は必ずしも明らかではないが,全体に高い芸術性を示すものである(タナグラ人形)。これに対し,小アジアのミュリナではアフロディテ(ビーナス),マイナス,飛翔するニケなど動きのある像が好んで制作されている。これらタナグラやミュリナの小像はいずれも前面と背面の二つの型を用いて成形され,顔部や手足はさらに別の型が用いられている。さらにイタリア半島でもローマ人に先立って古代文明を樹立したエトルリア人は,前6世紀に,ギリシアの青銅像や大理石像に代わって等身大の人物像をテラコッタで制作,陶芸における彼らの卓抜した技量を示した。
一方,東洋では日本の縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪,さらに中国の戦国時代から唐代にかけて制作された土製の俑(よう)もテラコッタである。日本の土偶や埴輪は〈手づくね〉であったが,とくに埴輪は粘土を輪状に積み重ねて形成する〈輪積法〉もしくは粘土を紐状にして積み上げる〈紐作り法〉であるのに対し,中国の俑はタナグラの小像と同様に型による成形で,唐代の加彩人物像,騎馬像などはテラコッタの最もすぐれた作例とされる。これら埴輪や俑はいずれも副葬品として墳墓を飾ったものであるが,兵士や婦人の衣装,騎馬像,家屋の様式など,これらは考古学上,また美術史上貴重な遺品である。このほかメキシコのトラティルコ文化の形成期(前1450-前600)に制作された裸体もしくは腰布をつけた婦人像がある。これらの多くはメキシコ市周辺の往時の村落の遺跡から出土したもので,極端にデフォルメされた像や比較的写実的な像などさまざまであるが,臀部が誇張されているところからおそらく豊穣や安産を祈願した地母神像と考えられる。
中世以降テラコッタはほとんど見るべきものもなかったが,ルネサンス期に再び浮彫や胸像の制作に用いられ,フィレンツェのルカ・デラ・ロッビアが釉薬で彩色したテラコッタのレリーフを制作するに及んで,以後テラコッタは建築装飾に新たな方向性を見いだした。また近代彫刻においてもマイヨールやJ.エプスタインをはじめ多くの彫刻家が大小のテラコッタの作品を手がけている。
執筆者:前田 正明
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出典 リフォーム ホームプロリフォーム用語集について 情報
…いずれの場合も,指,掌,手の触覚によって造形されるが,へら類も補助用具として用いられる。塑造の歴史は旧石器時代までさかのぼり,土器文明期には,日干しあるいは素焼きの手法によって偶像,動物像が多く製作された(テラコッタ)。泥塑像は,インド,中国,日本でも用いられた手法で,火による乾燥過程なしに空気乾燥で最終作品となっている。…
※「テラコッタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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