ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
デーン人
デーンじん
Dane
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翻訳|Dane
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8世紀ごろからイングランド東部、北フランス海岸に来襲したノルマン人の一派。5世紀ごろからユトランド半島に住し9世紀ごろからデンマーク王国を形成。イングランドに789年ごろから侵入。835年にテムズ河口を襲い、さらに865年イースト・アングリアに侵入してヨークを襲い、東部イングランドに定住。デーン人の法が行われるデーンロー地方が生まれた。ヨークにハーフダン王、イースト・アングリアにグスルム王が出たが、当時のウェセックス王アルフレッドは、サクソン人の期待を担って善戦し、886年グスルム王と協定してデーン人の境域を定め、サクソン人の生命財産を防衛した。10世紀末のエセルレッド2世時代さらに大規模に侵入し、991年からはイングランドにデーン人の侵入に備えて地租「デーンゲルド」が徴収される風習をおこす。
1016年デンマーク王子クヌードが、エドマンド王を破り、エドマンドの死後イングランド王となって、デーン朝を開いた。異民族征服者として厳格な統治をしたが、彼の死後数年で王朝は断絶した。
[富沢霊岸]
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…現在もスコットランド,ウェールズ,コーンウォール,そしてアイルランドなどイギリス諸島の外縁部にはケルト系民族の伝統が残り,この地域あるいは住人を〈ケルト系民族の外縁Celtic fringe〉と呼ぶ。9~11世紀にはデーン人,ノルマン人が襲来して征服王朝を建て,以後ノルマン・フランス系民族が支配階級の中核となり,イギリスの言語,制度,習俗などに大きな影響を残した。イギリス中世史は,これら諸民族の抗争と融和の過程であったが,近代に入ってからもアイルランドとヨーロッパ大陸からの移住者は絶えなかった。…
…一方,ダブリンという地名はアイルランド語の〈ドゥブリンdubhlinn〉(〈黒いよどみ〉の意)からきており,これはリフィー川の水の色に由来している。 アイルランドに初めて都市を築いたのは,北欧から侵入してきたデーン人であった。9世紀半ばに築かれたダブリンはその代表的なものであって,デーン人はここを商取引の中心として,アイルランドの獣皮や羊毛をイギリスやヨーロッパに運び,ブドウ酒や奴隷を輸入した。…
…そのほかヨークシャー炭田に近接するため,薬品,自動車,電子などの近代工業も立地し,ヨークシャー工業地域の一角を占める。古くからトレント川の渡津集落として成立し,付近には洞窟遺跡も見られるが,9世紀にデーン人の〈五都市〉の一つとして要塞化され発展,その後ノルマン人によって新城も建設された。1642年にはチャールズ1世側がこの町で蜂起してピューリタン革命の端緒となったが,のち議会軍に占領された。…
…交易地ドレスタットは834‐863年の間に7回の襲撃をうけ,パリ(845)を含め多数のフランク諸都市が略奪された。イングランドは830年代からデンマーク人(デイン人,デーン人)の侵入をうけ,アルフレッド大王がウェセックス王に即位したとき(871),ウェセックス以外のアングロ・サクソン諸王国はすべてデイン人に屈伏していた。バイキングの9世紀における成功は,その機動力と集中力および防衛側の不統一と恐怖に基づいている。…
※「デーン人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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