1964年8月、トンキン湾上で発生したアメリカと北ベトナムの軍事衝突。トンキン湾は、ベトナム北部の屈曲した海岸線と中国の海南島に囲まれた内海のような湾であるが、この水域において、アメリカの駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇によって攻撃されたとして、アメリカ空軍は北ベトナムの沿岸基地を爆撃、アメリカのジョンソン大統領は戦争遂行の権限を議会に求めた。議会は圧倒的多数(反対2)でこれを承認し、アメリカは、これを契機に北ベトナムの爆撃(北爆)と地上部隊の大量派遣に踏み出すこととなった。この事件によって、アメリカは、国内的には、ベトナム戦争に介入する大義名分を得たことになる。
初めアメリカ国防総省は、アメリカの駆逐艦マドックス号が1964年8月2日、またマドックス号とターナー・ジョイ号(駆逐艦)が8月4日、ともにトンキン湾の公海上で哨戒(しょうかい)中、それぞれ北ベトナムの魚雷艇3隻に攻撃されたと公表した。北ベトナム外務省は、マドックス号が北ベトナムの領海内で北ベトナムの哨戒艇に出会い、哨戒艇を砲撃したのだと反論した。のちに暴露された国防総省のベトナム秘密報告(ペンタゴン・ペーパーズ)によると、アメリカは64年2月1日からサイゴンの米軍事援助軍司令官の指揮下に「34―A作戦計画」という北ベトナムに対する広範な秘密作戦を発動していた。これは情報収集、破壊活動、沿岸施設の砲撃に始まり、最終的には北ベトナム経済の中核部を破壊するというもので、まさに「宣戦布告なき攻撃」「欺瞞(ぎまん)の作戦」とよばれるものだった。トンキン湾事件は、このような作戦の一環として起こされた事件であった。
[丸山静雄]
『丸山静雄著『ベトナム戦争』(1969・筑摩書房)』▽『ニューヨーク・タイムス編、杉辺利英訳『ベトナム秘密報告』上下(1972・サイマル出版会)』
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…以後米軍の介入は本格化し,67年末までには派遣兵力50万,韓国ほかの参戦国兵力5万に及んだ。また64年7~8月のトンキン湾事件を機に,米議会よりベトナム問題解決の特別権限を得たジョンソン大統領は,65年2月以降北ベトナム爆撃(北爆)を続行した。しかし3次にわたる大攻勢はいずれも失敗し,かえってベトナム人民の反米抵抗を強化した。…
…しかし,他方において政治権力の情報操作が高度に組織化されて巧妙になったため,言論統制を行ったと同様な世論の一定方向への誘導が行われる傾向のあることは見落とせない(〈世論〉の項目参照)。ベトナム戦争で,アメリカ駆逐艦が北ベトナム魚雷艇の攻撃をうけたいわゆるトンキン湾事件(1964)の発生は,これが契機となって北爆が開始され,戦争が一段と深刻化したことでよく知られているが,実はこのトンキン湾事件はアメリカ軍部と政府によるねつ造であったことが戦後明らかになった。これはその典型的な例といえる。…
※「トンキン湾事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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