ドイツ大学モデル(読み)ドイツだいがくモデル

大学事典 「ドイツ大学モデル」の解説

ドイツ大学モデル
ドイツだいがくモデル

フンボルトベルリン大学創設

ドイツモデルを語る場合,1810年にプロイセン政府により創設されたベルリン大学(ドイツ)(現,ベルリン・フンボルト大学(ドイツ))と,この大学の基本構想を練ったフンボルト,K.W.vonの名前は欠かすことができない。フンボルトの大学理念はドイツ大学モデルとなり,それは広い意味で近代大学の出発点となったともいわれている。19世紀初頭,プロイセンはナポレオンとの戦いで決定的な敗北を喫した。それは当時台頭し始めたドイツ・ナショナリズムにとって,屈辱的な状態として意識された。ここから「地上で失ったものを精神の世界で取り戻す」という理想主義的な思想傾向が生み出されることとなった。こうした精神的土壌の中でベルリン大学は誕生した。フンボルトが中心となり,当時の一流の学者が招聘された。彼は,中世以来の旧態依然とした,権威を掲げた学問ではない,自由な学風にドイツの新たな未来を託そうとした。大学で使用する言語もこれまでのラテン語ではなく,原則としてドイツ語が用いられるようになった。

[教師と学生の共同体としての大学]

フンボルトが構想した大学改革は,教師だけでなく学生にも研究させることにあった。彼は知識がすでに定まった不動のものであるという考え方を否定し,知識は教師と学生の対話のなかで絶えず新たに生成されていくものであると強調した。したがって大学が伝えるべきは,いかにして新たな知識を発見し,それを進歩させるか,そのための技法(Kunst)でなければならないとした。教師が一方的に既知のことを教えるのではなく,教師と学生が一体となって新たな知を創造する場が大学である。それは「内容」としての知から「方法」としての知へという発想の転換でもあった。

[研究と教育(ドイツ大学)の統一]

「普通の学校はすでに解決し決着した知識しか扱わない。これに反して高等学問施設(大学)の特質は,学問をつねに,なお全く解決されていない問題として取り扱う」(フンボルト「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」)。それは教授と学生との双方によって作り出されなければならない。「学ぶことは,教えることと同様にひとつの活動的な,創造的なできごとである」。こうしたフンボルトの考え方から「研究と教育の統一」「研究を通じての教育」という概念が生まれる。フンボルトによれば「大学教師はもはや従来の意味での教師ではなく,学生もまたもはや単なる受動的な学習者ではない。学生はみずから研究を行う存在である」(「ケーニヒスベルク学校計画」)。それゆえ教授の「教える自由」と学生の「学習する自由」が保障されなければならないというのである。

[自由な個人の全面的な展開]

フンボルトの考え方は,当時の新人文主義の思想を色濃く反映したものでもあった。その根底には,人間としての自己の尊厳性を自覚し,自己の可能性をできる限り展開させようと志す「人間の教育」があった。重要なことは,役に立つ農民,有能な職人,忠誠で勇敢な兵士の育成を目指すより先に,何よりも一人の人間としての完成をはかること,個人としての自己を完成させようとする意識を各人の内から引き出すことである。ルネサンス以来の人間尊重のヒューマニズムの伝統に立って,普遍的な「教養」を追求し,「自由な個人の全面的な展開」をはかることがまず何よりも求められた。

[学問の統一と「孤独と自由」]

フンボルトによれば,大学は単なる職業的な技術を身に付ける専門学校ではない。大学は「学問の統一を把握し,それを創出すべき立場に置かれている」。学問の統一とは,学問がひとつの「有機体」であることを意味する。学問も人間の身体と同様に,あらゆる領域が有機的に関連してひとつの全体像を形成している。大学は「各々の専門がすべての学問との関連において認識される場所」である。彼はそうした学問の中核を担うものは哲学であるとした。なぜなら哲学は「理性立法」にのみしたがう「自由な学問」にほかならないからである。

 さらにフンボルトは「大学の本来の使命は,人間が自己の力で,自己自身のうちにのみ発見することのできる純粋な学問を理解させることであり,このような自己活動には,自由が必要で,孤独が役立つ」として,「孤独と自由」が大学における支配的な原理であるといっている。したがって国家は,大学が行うような活動をみずから生ぜしめる力をもたない。国家は大学への干渉を慎み,大学における学問が十分に行われるような諸条件を調達することにその使命を見出すべきであるとしている(以上,フンボルト「ベルリン高等学問施設の内的ならびに外的組織の理念」,シェルスキー『大学の孤独と自由』)

[フンボルト的理念の終焉]

大学教育の大衆化が急速に進展し「知と学問の体制」が大きく変容した今日において,フンボルトの唱えた「大学モデル」はもはやむなしい響きしかもたないようにみえる。大学は市場経済のなかのエンタープライズとなり,「孤独と自由」にかわって,大学は社会に対して説明責任を問われる。研究と教育は分離し,大学教育の目標は真理の探究から有用な知識の生産へとシフトしている。こうした世界的に見られる傾向は,ドイツ大学においても中心的な潮流となりつつある。しかしそうした風潮の中で,学問それ自体が価値を有するのであり,国家はこれを自己のためにではなく,学問そのもののために促進しなければならないとするフンボルト的理念が,いまなおドイツ大学の底流として存続している様子も見て取れないわけではない。
著者: 木戸裕

参考文献: W. フンボルト著,梅根悟訳『大学の理念と構想』世界教育学選集53,明治図書出版,1970.

参考文献: ヘルムート・シェルスキー著,田中昭徳,阿部謹也,中川勇治訳『大学の孤独と自由―ドイツの大学ならびにその改革の理念と形態』未来社,1970.

参考文献: 天野正治『現代ドイツの教育』学事出版,1978.

参考文献: 潮木守一『フンボルト理念の終焉?―現代大学の新次元』東信堂,2008.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報