ドイツ語のder deutsche Idealismusの訳で、「ドイツ理想主義」と訳す場合もある。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルによって代表される。この3人はいずれもドイツ人であるが、共通の理想主義も、共通の観念論も抱いてはいなかったので、「ドイツ観念論」という呼び方は不適切だという説もある。これら3人の哲学者は、カントによる感性界と英知界、自然と自由、実在と観念の二元論を汎神(はんしん)論、汎自我論的一元論に統一して、一種の形而上(けいじじょう)学的体系を樹立しようとした。
[加藤尚武]
ラインホルトの『哲学についての書簡』(1786~87)によってカントの思想的影響が広がり始めてから、1800~1808年のイエナ大学で頂点を迎え、その後ベルリン大学に中心を移して、19世紀中ごろ、ヘーゲル学派が分裂し、唯物論と非合理主義が登場するまでの期間に及ぶ。
人間の自我の内に、経験的なものを超える理性、絶対者の存在を認め、他方で啓蒙(けいもう)思想とフランス革命の影響を受けて政治的自由主義、共和主義の傾向をもちながら、現実世界に関心を向けるよりも、内面世界、観念世界に関心を向けるという傾向をもっていた。
[加藤尚武]
ラインホルトは、カント哲学にはすべての学説を導き出すもとになる「ただ一つの原理」が欠けている、哲学が真の学問、「第一哲学」となるためには、こうした原理が発見されなければならない、と説いた。ここに(1)カント哲学の重点を道徳、宗教思想に置いて、(2)感性界と英知界、自然と自由、実在論と観念論、つまり客観と主観の二元的対立の統一を、(3)唯一の根本原理を基にする「哲学体系」の展開によって行う、という「ドイツ観念論」の根本目標が設定された。
[加藤尚武]
フィヒテ、シェリング、ヘーゲルはいずれも観念性と実在性の統一を主張しながら、自分の立場を「観念論」と称した。「すべてのものは、その観念性については自我に依存し、実在性に関しては自我そのものが依存的である。しかし、観念的であることなしに自我にとって実在的なものは何もない。観念根拠と実在根拠は自我の内では同一である」(フィヒテ)。このことは、自我そのものに実在性に触れる感性と、実在性を超える悟性とが「あらゆる媒介なしに根源的に一つである」(シェリング)意識、つまり「知的直観」(直観的悟性)を認めることになる。
つまり(1)「観念的であることなしに実在的なもの」、すなわち物自体を否定して、(2)主観と客観が根本的に同一になる「絶対的なもの」を人間の自我のなかに設定し、(3)「絶対者」、神の知性と人間の理性を根本的に同一だとみなし、人間は自分を理性にまで高めることによって神との一致が得られると考えた。
[加藤尚武]
ドイツ観念論はフランス・ドイツの啓蒙思想の影響下に形成されたが、「啓蒙はドイツにおいて神学の味方であった。フランスにおいては真っ先に教会に反抗した」(ヘーゲル)といわれる。ドイツの啓蒙を代表するカントは「信仰に場所を与えるために、知識を排除し」自然認識に限界を定めるとともに、人間に神を認識する能力を認めなかった。人間の理性は神をつぶさに認識できないからこそ自律的であり、自由であり、その自由を基にして神が「要請」される。
ドイツ観念論では「人間にとっての神」と「神そのもの」とが同一でない限り、神の存在は人間の自由を脅かすであろうと考えられた。「絶対者(神)を客観ととらえて、そこにとどまるのは近代においてとくにフィヒテが正当にも強調したように、一般に迷信と奴隷的恐怖の立場である」(ヘーゲル)。ここから「人間が神との統一の意識に達して、神が単なる客観であることをやめる」ことが追求された。人間理性の外にある客観ではなく、人間的なものに内在する神は人格的な神ではない。神を人格的にとらえるのは表象や直観の立場にある宗教(信仰)であり、神との統一が真なる形式で自覚されるのは哲学(知)である。知に内在する「絶対的なもの」(絶対者)を自覚することが哲学の最高の目標である。
この絶対的なものは「真理」といってもよく、真なる認識にとらえられた世界に絶対者が内在する。つまり(1)哲学と宗教が内容と目標を共有し、(2)絶対者が理性的「世界に内在」するとみなすことによって、ドイツ観念論は(3)「神学」の枠の内での「人間学」を最高の地点にまで高めた。
[加藤尚武]
絶対者が内在する世界は、まず「自然」である。デカルトの二元論を汎神論的に統一した体系であるスピノザ哲学は、あたかも「死んだイヌ」のように無視されていたが、この時代に、カント的二元論を克服するものとして復興された。ドイツ観念論は、スピノザの機械論的自然を目的論的有機体的世界に置き換えると同時に、カントの認めた「あたかも……のように」という主観的性格をスピノザ的実体性に置き換えることによって、主観、客観の統一という「絶対的なもの」が目的論的有機体的世界に現実化されていると考えた。当然、自然そのものの内に知性の要素がある。「自然は表象と産出、概念と行為が一つになっている観念的存在である」(シェリング)。(1)自然の内なる主観性は、同時に、自然そのものに能動性を与え、(2)対立を通じて発展していく動的な自然観が生み出され、またこの点に、(3)スピノザの宿命論を克服して自由と自然を和解させることができると考えられ、自然の神秘化も生じた。
[加藤尚武]
自由は、しかし元来、理性と同じく「自己自身を知る」自覚的なものである。スピノザのように「神を実体と解することが時代を憤らせた理由は、このような規定では自己意識(自覚)が失われ、保たれないという本能的な気分の内にあった」(ヘーゲル)。神的実体が自己を知ることが、同時に自己意識としての人間が自己の内なる絶対的なものに、つまり「絶対知」に達することでなければならない。実体は自然ではなく精神(主体)でなければならない。この実体的精神は歴史的世界にその実現の場をもつ。普遍意志、共同精神と個人的精神との統一の自覚が、自由の理念を展開する歴史における絶対者の認証である。ここからマルクスの初期思想が芽生える。
[加藤尚武]
他方、神即自然の考えをさらに深めてシェリングは、悪の可能性である自由と神との一致を求めて、神の「実存の根底」として、神の内において神から区別される「神における自然」から人間の自由が生まれると考えた。カント以来つねに理性的意志とされてきた自由が、ここに理性の光を超えた暗い根底をもつものとみなされるに至った。この思想が同時代のショーペンハウアーの非合理主義と共通し、ニーチェやキルケゴールを生む母胎となったという説もある。
[加藤尚武]
『茅野良男著『ドイツ観念論の研究』(1975・創文社)』▽『隈元忠敬著『フィヒテ知識学の研究』(1979・協同出版)』▽『R・ラウト著、隈元忠敬訳『フィヒテからシェリングへ』(1982・以文社)』▽『高橋昭二著『カントとヘーゲル』(1984・晃洋書房)』
〈理想が現実を支配する〉という考え方に焦点を合わせて,ドイツ理想主義とも訳される。カント以後,19世紀半ばまでのドイツ哲学の主流となった思想。フィヒテ,シェリング,ヘーゲルによって代表される。彼らはカントの思想における感性界と英知界,自然と自由,実在と観念の二元論を,自我を中心とする一元論に統一して,一種の形而上学的な体系を樹立しようとした。ドイツ観念論の中心的主張は自我中心主義にあり,フィヒテがこの傾向を一貫して保持したのに対して,シェリングは神と自然へと,ヘーゲルは国家と歴史へと自我の存立の場を拡張し,前者はショーペンハウアーの非合理主義に,後者はマルクスの社会主義に大きな影響を与えた。
デカルト以後,西欧近代哲学は全体として自我中心主義の性格を持つが,ドイツ観念論は,自我に何らかの意味で実在の根拠という性格を見いだし,自我を中心として観念性と実在性との統一を企てる。フィヒテによれば〈すべてのものは,その観念性については自我に依存し,実在性にかんしては自我そのものが依存的である。しかし,自我にとって,観念的であることなしに実在的なものは何もない。観念根拠と実在根拠とは自我において同一である〉。実在性と観念性との相互関係の場を見込んでいる点では観念論も唯物論(実在論)も同様であるが,両者の統一を観念性の側に意識的に設定するのが観念論の立場である。フィヒテは,人間の自由が可能であるためには,観念論の立場をあえて選ぶべきだと考えた。また自我が何らかの意味で実在性の根拠になる以上,自我の能動面である悟性が,実在性の受動面である感性とひとつになる場面が自我自身の内にあると考え,それを〈知的直観〉(直観的悟性)と呼んでいる。カントは,本来,能動的である悟性が,実在に関与する感性とひとつになるならば,それは主観が実在を創造するのと同じことになると考えて,〈知的直観〉を神の知性に特有のものとみなした。知的直観の有無に神と人間との,絶対者と有限者との区別を置いたのである。この両者が〈あらゆる媒介なしに根源的にひとつである〉(シェリング)とみなす立場は,神と人との区別を否定するという危険をはらむ。フィヒテやシェリングは,観念論の立場を前提としながらも,神の人間化を避けようとして,神秘主義の傾向に走った。
ヘーゲルは,〈絶対的なもの〉が人間知の到達できない〈彼岸〉にあるという考え方をきびしく退けた。哲学は人間知の〈絶対性〉にまで達成しなければならない。すなわち,感覚から始まる人間知の歩みは〈絶対知〉にまで到達しなければならないと考えた。宗教は,まだ絶対知ではない。宗教の最高段階であるキリスト教は,人間知の絶対性を内容としながらも,神人一体の理念をイエスという神格に彼岸化し,その内容を表象化している。この彼岸性,表象性,対象性を克服したところに〈絶対知〉がなりたつ。ヘーゲル自身は,宗教と哲学とは同一内容の異なった形式であると主張して,無神論者という自分に対する疑いを晴らそうとした。しかし,ヘーゲル左派は,ヘーゲル哲学の本質が神の彼岸性を否定する点にあると解して,〈神学の秘密が人間学にある〉(L.A. フォイエルバハ)と説いた。ドイツ観念論は,神秘主義と唯物論との対立という結果を招いたのである。
カント的な二元性を〈ただひとつの原理〉から導くことによって,克服すべきだという主張を掲げたのは,ラインホルトKarl Leonhard Reinhold(1758-1823)である。彼は〈意識そのものには,対象との区別の側面と,対象との関係の契機が含まれる〉という〈意識律〉を第一原理とし,意識そのものに,実在性(対象との関係)と観念性(対象との区別)という契機を含みこませた。フィヒテは,同じく自我そのものに両契機を設定するに際して,ラインホルトのように〈意識の事実〉(表象の事実)に拠ることは誤りだと考えた。〈事実は何ら第一の無制約的な出発点ではない。意識の中には事実よりも根源的なものがある。すなわち,事行Tathandlungである〉。実践的・能動的な自我に事実以上の根源性を見いだすことからフィヒテは出発した。そしてA=Aと同じ真理性をもち,なおかつより根源的なものとして〈我=我〉を導き出す。ここから彼は自我の内に非我もまた定立されることを独特の論理で展開する。〈絶対我は,我と非我とを内に含み,しかもこれを超越するところのものである〉。A=A(同一律)は,たんに言葉の使用規則ではなく,あらゆる事物が感性の多様性に解体されることなく自己同一性(単一性)を保つ根拠として考えられていた。もし同一性の根拠が,我=我(見る我と見られる我の同一)にあるとしたら,物の存在そのものに,見る-見られる(主-客)の同一性という,〈対立するものの同一性〉という構造があることになる。ここからヘーゲルは弁証法論理を樹立するにいたる。
ドイツ観念論の時代的背景には,英仏における近代化に〈おくれたドイツ〉という事情がある。それゆえかえって近代主義が内面化・観念化されて,哲学の内に体系化される。後進性の特徴として,宗教批判が無神論に達することなく汎神論となり(スピノザ主義の受容),個我の解放が個人主義とならずに能動的自我の絶対化となり,近代社会の現実的確立ではなく理念化された法哲学の確立(フィヒテ,ヘーゲル)となる。他方,観念化された先進性のあらわれとして,主客二元論の構図が打破され,唯物論,現象学を生み出し,自我中心主義はロマン主義と結びついて神秘主義,実存主義の下地となり,理念化された国家共同体論は社会主義に影響を及ぼした。なお,イギリス経験論のドイツ観念論への影響は,ラインホルトにみられるようにカント哲学の心理主義的解釈となって現れ,自我の能動性を絶対化する方向で〈カントの限界〉を克服することが,経験論の克服になると考えられた。経験論との根本的な対立点は,存在者一般の同一性の根拠として,ドイツ観念論が能動的自我の同一性を原理とした点にある。自我論における対立は現代哲学にも及び,観念論・実存主義・現代存在論と,経験論・唯物論・精神分析学との間に,顕在的にせよ潜在的にせよ,さまざまの論点の違いを生み出している。
→イギリス経験論
執筆者:加藤 尚武
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カントに始まりフィヒテ,シェリングをへてヘーゲルに至る一連の哲学。この4者とも相互に体系的連関を持っている。観念=理性を根本原理とみるもので,しだいに理性の能力が拡大,神化されて,ヘーゲルの絶対精神の哲学となった。市民社会を基盤とする近代人の自我が哲学的に自覚され,ドイツ観念論となったといえよう。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…中世後期から近世にかけて,一連の系譜をなすドイツ人神秘家たちによって担われたキリスト教神秘主義の歴史的形態。狭義には,14世紀前半のエックハルト,ゾイゼ,タウラーを中心にした活動とその思想をさし,広義には,その3者以前のビンゲンのヒルデガルトやマクデブルクのメヒティルトMechthild von Magdeburg(1210ころ‐82か94)などの女性神秘家たち,および3者以後その精神をさまざまな変容において継承・展開したニコラウス・クサヌス,ベーメ,さらにはドイツ・ロマン主義のノバーリス,ドイツ観念論のフィヒテ,シェリングなどに及ぶ精神的系譜を総称する。ドイツ神秘主義は,キリスト教史の枠を越えてヨーロッパ精神史を貫流する一大潮流をなしている。…
…近代ドイツ最大の哲学者。ドイツ観念論を集大成したともいわれる。さらに,ドイツ観念論の限界を超えて,社会的現実における人間の学へと一歩を進め,フォイエルバハ,マルクスに大きな影響を与えた。…
※「ドイツ観念論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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