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ドイツ観念論 ドイツかんねんろんdeutscher Idealismus; German idealism

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドイツ観念論
ドイツかんねんろん
deutscher Idealismus; German idealism

カントからヘーゲルにいたる思潮を中核に,18世紀後半から 19世紀なかばにかけてドイツを中心に展開された観念論的思想運動,現代にいたるまでその影響は大きい。カントは人間の本来的な認識能力の批判的分析により,独断的形而上学を排し真の形而上学を樹立しようとした。フィヒテはカントの純粋統覚の概念を自我と結びつけ,外的世界を非我とし,この自我と非我との弁証法において絶対自我が得られるとして,絶対的観念論の基礎を築いた。さらにシェリングは外的世界をも絶対自我の弁証法的自己展開の一契機と考え,同一哲学を形成した。このシェリングの意図を弁証法的論理をもって完成させたのはヘーゲルである。自我は理念として,現象世界を自己疎外と自己止揚の反復を介して展開し,最後に自己自身へ回帰する。ここにドイツ観念論はその体系的完成をみるにいたった。

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デジタル大辞泉の解説

ドイツ‐かんねんろん〔‐クワンネンロン〕【ドイツ観念論】

《〈ドイツ〉deutscher Idealismus》18世紀後半から19世紀初めにかけて発展したドイツ哲学の総称。カントに始まり、フィヒテシェリングを経てヘーゲルによって完成される。自然に対し精神を優位とする立場をとり、世界を普遍的理念による体系として構築し、把握しようとする傾向を持つ。ドイツ理想主義。

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百科事典マイペディアの解説

ドイツ観念論【ドイツかんねんろん】

ドイツ語deutscher Idealismusの訳。Idealismusが由来するギリシア語のイデアの〈理想〉〈理念〉の意を強調して,〈ドイツ理想主義〉と訳される場合もある。
→関連項目観念敬虔主義ケーニヒスベルク大学トランセンデンタリズム理想主義ロマン主義

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世界大百科事典 第2版の解説

ドイツかんねんろん【ドイツ観念論 deutscher Idealismus[ドイツ]】

〈理想が現実を支配する〉という考え方に焦点を合わせて,ドイツ理想主義とも訳される。カント以後,19世紀半ばまでのドイツ哲学の主流となった思想。フィヒテ,シェリング,ヘーゲルによって代表される。彼らはカントの思想における感性界と英知界,自然と自由,実在と観念の二元論を,自我を中心とする一元論に統一して,一種の形而上学的な体系を樹立しようとした。ドイツ観念論の中心的主張は自我中心主義にあり,フィヒテがこの傾向を一貫して保持したのに対して,シェリングは神と自然へと,ヘーゲルは国家と歴史へと自我の存立の場を拡張し,前者はショーペンハウアー非合理主義に,後者はマルクスの社会主義に大きな影響を与えた。

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大辞林 第三版の解説

ドイツかんねんろん【ドイツ観念論】

一八世紀末から一九世紀前半にかけてドイツで興隆した体系的哲学の総称。カントの超越論的観念論に刺激を受け、その二元的性格を克服する形で、全現実が絶対者の自己展開として学的・理性的に把握される。フィヒテ・シェリング・ヘーゲルを代表者とする。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドイツ観念論
どいつかんねんろん
German idealism英語
der deutsche Idealismusドイツ語
idalisme allemandフランス語

ドイツ語のder deutsche Idealismusの訳で、「ドイツ理想主義」と訳す場合もある。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルによって代表される。この3人はいずれもドイツ人であるが、共通の理想主義も、共通の観念論も抱いてはいなかったので、「ドイツ観念論」という呼び方は不適切だという説もある。これら3人の哲学者は、カントによる感性界と英知界、自然と自由、実在と観念の二元論を汎神(はんしん)論、汎自我論的一元論に統一して、一種の形而上(けいじじょう)学的体系を樹立しようとした。[加藤尚武]

時代と傾向

ラインホルトの『哲学についての書簡』(1786~87)によってカントの思想的影響が広がり始めてから、1800~1808年のイエナ大学で頂点を迎え、その後ベルリン大学に中心を移して、19世紀中ごろ、ヘーゲル学派が分裂し、唯物論と非合理主義が登場するまでの期間に及ぶ。
 人間の自我の内に、経験的なものを超える理性、絶対者の存在を認め、他方で啓蒙(けいもう)思想とフランス革命の影響を受けて政治的自由主義、共和主義の傾向をもちながら、現実世界に関心を向けるよりも、内面世界、観念世界に関心を向けるという傾向をもっていた。[加藤尚武]

カントの克服

ラインホルトは、カント哲学にはすべての学説を導き出すもとになる「ただ一つの原理」が欠けている、哲学が真の学問、「第一哲学」となるためには、こうした原理が発見されなければならない、と説いた。ここに(1)カント哲学の重点を道徳、宗教思想に置いて、(2)感性界と英知界、自然と自由、実在論と観念論、つまり客観と主観の二元的対立の統一を、(3)唯一の根本原理を基にする「哲学体系」の展開によって行う、という「ドイツ観念論」の根本目標が設定された。[加藤尚武]

観念論と実在論

フィヒテ、シェリング、ヘーゲルはいずれも観念性と実在性の統一を主張しながら、自分の立場を「観念論」と称した。「すべてのものは、その観念性については自我に依存し、実在性に関しては自我そのものが依存的である。しかし、観念的であることなしに自我にとって実在的なものは何もない。観念根拠と実在根拠は自我の内では同一である」(フィヒテ)。このことは、自我そのものに実在性に触れる感性と、実在性を超える悟性とが「あらゆる媒介なしに根源的に一つである」(シェリング)意識、つまり「知的直観」(直観的悟性)を認めることになる。
 つまり(1)「観念的であることなしに実在的なもの」、すなわち物自体を否定して、(2)主観と客観が根本的に同一になる「絶対的なもの」を人間の自我のなかに設定し、(3)「絶対者」、神の知性と人間の理性を根本的に同一だとみなし、人間は自分を理性にまで高めることによって神との一致が得られると考えた。[加藤尚武]

神と人間

ドイツ観念論はフランス・ドイツの啓蒙思想の影響下に形成されたが、「啓蒙はドイツにおいて神学の味方であった。フランスにおいては真っ先に教会に反抗した」(ヘーゲル)といわれる。ドイツの啓蒙を代表するカントは「信仰に場所を与えるために、知識を排除し」自然認識に限界を定めるとともに、人間に神を認識する能力を認めなかった。人間の理性は神をつぶさに認識できないからこそ自律的であり、自由であり、その自由を基にして神が「要請」される。
 ドイツ観念論では「人間にとっての神」と「神そのもの」とが同一でない限り、神の存在は人間の自由を脅かすであろうと考えられた。「絶対者(神)を客観ととらえて、そこにとどまるのは近代においてとくにフィヒテが正当にも強調したように、一般に迷信と奴隷的恐怖の立場である」(ヘーゲル)。ここから「人間が神との統一の意識に達して、神が単なる客観であることをやめる」ことが追求された。人間理性の外にある客観ではなく、人間的なものに内在する神は人格的な神ではない。神を人格的にとらえるのは表象や直観の立場にある宗教(信仰)であり、神との統一が真なる形式で自覚されるのは哲学(知)である。知に内在する「絶対的なもの」(絶対者)を自覚することが哲学の最高の目標である。
 この絶対的なものは「真理」といってもよく、真なる認識にとらえられた世界に絶対者が内在する。つまり(1)哲学と宗教が内容と目標を共有し、(2)絶対者が理性的「世界に内在」するとみなすことによって、ドイツ観念論は(3)「神学」の枠の内での「人間学」を最高の地点にまで高めた。[加藤尚武]

神即自然

絶対者が内在する世界は、まず「自然」である。デカルトの二元論を汎神論的に統一した体系であるスピノザ哲学は、あたかも「死んだイヌ」のように無視されていたが、この時代に、カント的二元論を克服するものとして復興された。ドイツ観念論は、スピノザの機械論的自然を目的論的有機体的世界に置き換えると同時に、カントの認めた「あたかも……のように」という主観的性格をスピノザ的実体性に置き換えることによって、主観、客観の統一という「絶対的なもの」が目的論的有機体的世界に現実化されていると考えた。当然、自然そのものの内に知性の要素がある。「自然は表象と産出、概念と行為が一つになっている観念的存在である」(シェリング)。(1)自然の内なる主観性は、同時に、自然そのものに能動性を与え、(2)対立を通じて発展していく動的な自然観が生み出され、またこの点に、(3)スピノザの宿命論を克服して自由と自然を和解させることができると考えられ、自然の神秘化も生じた。[加藤尚武]

神即歴史

自由は、しかし元来、理性と同じく「自己自身を知る」自覚的なものである。スピノザのように「神を実体と解することが時代を憤らせた理由は、このような規定では自己意識(自覚)が失われ、保たれないという本能的な気分の内にあった」(ヘーゲル)。神的実体が自己を知ることが、同時に自己意識としての人間が自己の内なる絶対的なものに、つまり「絶対知」に達することでなければならない。実体は自然ではなく精神(主体)でなければならない。この実体的精神は歴史的世界にその実現の場をもつ。普遍意志、共同精神と個人的精神との統一の自覚が、自由の理念を展開する歴史における絶対者の認証である。ここからマルクスの初期思想が芽生える。[加藤尚武]

自由の深淵

他方、神即自然の考えをさらに深めてシェリングは、悪の可能性である自由と神との一致を求めて、神の「実存の根底」として、神の内において神から区別される「神における自然」から人間の自由が生まれると考えた。カント以来つねに理性的意志とされてきた自由が、ここに理性の光を超えた暗い根底をもつものとみなされるに至った。この思想が同時代のショーペンハウアーの非合理主義と共通し、ニーチェやキルケゴールを生む母胎となったという説もある。[加藤尚武]
『茅野良男著『ドイツ観念論の研究』(1975・創文社) ▽隈元忠敬著『フィヒテ知識学の研究』(1979・協同出版) ▽R・ラウト著、隈元忠敬訳『フィヒテからシェリングへ』(1982・以文社) ▽高橋昭二著『カントとヘーゲル』(1984・晃洋書房)』

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世界大百科事典内のドイツ観念論の言及

【ドイツ神秘主義】より

…中世後期から近世にかけて,一連の系譜をなすドイツ人神秘家たちによって担われたキリスト教神秘主義の歴史的形態。狭義には,14世紀前半のエックハルトゾイゼタウラーを中心にした活動とその思想をさし,広義には,その3者以前のビンゲンのヒルデガルトやマクデブルクのメヒティルトMechthild von Magdeburg(1210ころ‐82か94)などの女性神秘家たち,および3者以後その精神をさまざまな変容において継承・展開したニコラウス・クサヌスベーメ,さらにはドイツ・ロマン主義のノバーリス,ドイツ観念論のフィヒテ,シェリングなどに及ぶ精神的系譜を総称する。ドイツ神秘主義は,キリスト教史の枠を越えてヨーロッパ精神史を貫流する一大潮流をなしている。…

【ヘーゲル】より

…近代ドイツ最大の哲学者。ドイツ観念論を集大成したともいわれる。さらに,ドイツ観念論の限界を超えて,社会的現実における人間の学へと一歩を進め,フォイエルバハ,マルクスに大きな影響を与えた。…

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