ドッジ・ライン(読み)どっじらいん(英語表記)Dodge-line

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドッジ・ライン」の意味・わかりやすい解説

ドッジ・ライン
どっじらいん
Dodge-line

1949年(昭和24)2月、アメリカ政府は、インフレに悩む日本経済の安定と自立を図るため、当時デトロイト銀行頭取ドッジJoseph Morrell Dodge(1890―1964)をトルーマン大統領の特命公使として日本に派遣した。彼の指導による一連の経済安定政策をドッジ・ラインないしドッジ・プランという。

 彼は日本経済を、政府の補助金とくにインフレ下の生活物資への価格差補給金と、アメリカの援助との二つの竹馬にのった竹馬経済と見立て、この竹馬を切るのが自分の仕事であるとした。それは大きくみて三つあった。第一は、総予算(一般会計だけでなく特別会計も含めた)の均衡である。このため、まずシャウプ勧告による直接税中心の税制が確立された。第二は、あらゆる補助金を特別会計分も含めて表面化し、削減することであった。価格差補給金は1949年度予算で大幅に整理削減され、51年度までに全廃された。こうして49年度は超均衡(黒字)予算となる。第三は、インフレの主原因であった日本銀行引受けの復興金融金庫債の発行を停止し、49年度以降債権の回収に専念させることによって、通貨膨張を抑えた。また、アメリカ援助物資の払下げ代金を新設の「見返り資金特別会計」に集中して、それを復金債の償還原資として運用する措置がとられた。

 この結果、闇(やみ)物価は1949年初頭をピークに下落し、物価は急速に安定したが、さらにこれを国際物価にさや寄せさせるために、やがて1ドル=360円の単一為替(かわせ)レートが設定された。この為替レートは68年まで続いた。こうしてドッジ・ラインはインフレ収束と黒字財政をもたらしたが、反面、49~50年にかけて深刻な不況安定恐慌が発生し、国鉄の公社移行に伴う10万人首切りに関連したかのような下山(しもやま)事件・松川事件、民間企業の大量人員整理などによって民情は騒然となり、社会不安が起こった。この恐慌の深刻化のさなか50年6月に朝鮮戦争が勃発(ぼっぱつ)し、日本経済は新たな局面を迎えることになる。

[一杉哲也]

『中村隆英著『昭和経済史』(1986・岩波書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドッジ・ライン」の意味・わかりやすい解説

ドッジ・ライン
Dodge line

1949年2月,連合国総司令部 GHQ財政金融顧問として訪日したアメリカ合衆国のデトロイト銀行頭取ジョゼフ・M.ドッジの指導に基づき,同 1949年から吉田内閣が実施した一連の経済財政政策。その基本線は,1949年3月7日ドッジが内外記者団との会見で発表したもので,1948年12月アメリカ政府が日本経済の安定と自立化を目的として GHQを通じて指令した経済九原則を具体化することにあった。このために,超均衡予算の実施,財政支出の削減,シャウプ勧告に基づく税制改革,1949年4月25日からの 1ドル=360円の単一為替レートの設定,復興金融公庫の廃止と見返り資金勘定の創設,傾斜生産方式から集中生産方式への転換,封鎖経済体制から開放経済体制への移行などの諸施策が打ち出された。その結果,金詰まりによる中小企業の倒産や合理化による失業者の増大などを招き,社会不安を激化させたが,ともかくインフレーションを収束させ,日本経済を再建することができた。

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百科事典マイペディア 「ドッジ・ライン」の意味・わかりやすい解説

ドッジ・ライン

経済九原則に沿って,占領軍顧問ドッジJ.M.Dodge(米国の銀行家)の指導で1949年初めから行われた経済政策。米国の援助と価格差補給金にささえられた日本経済の安定・自立を目標に,同年4月単一為替レート(1ドル=360円)を設定,対日援助見返資金特別会計を新設,復興金融金庫を廃止,さらに財政補給金廃止,国債償還を盛り込んだ超均衡予算を実施した。その結果,インフレは収束したが,企業の金詰り,失業者の増加など安定恐慌を招来した。
→関連項目安定恐慌価格差補給金シャウプ勧告復興金融金庫

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ドッジ・ライン」の解説

ドッジ・ライン

GHQ財政顧問として来日したデトロイト銀行頭取J.ドッジが策定・実行した日本経済安定化計画。1948年(昭和23)12月アメリカ政府は経済安定九原則を日本政府に提示,翌年2月ドッジを特命公使として派遣し具体化を図った。(1)インフレ収束のための総予算の真の均衡の実現,(2)1ドル=360円の単一為替レートの設定,(3)対日見返援助資金の設定,(4)復興金融金庫の新規貸出停止などからなり,徹底した緊縮予算と単一為替レート設定によって,日本経済の自立化の基礎を確立し世界経済への復帰を図るものであった。この結果,インフレは急速に収まり,ドッジの狙いは成功したが,49年にはデフレ不況が深刻化した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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