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ド・モアブル De Moivre, Abraham

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ド・モアブル
De Moivre, Abraham

[生]1667.5.26. シャンパーニュ,ビトリ
[没]1754.11.27. ロンドン
イギリスの数学者。元来はフランス人であるが,1685年のナントの勅令の廃止により,両親とともにイギリスに逃れ,ロンドンに住む。ニュートン親交を結び,97年にロイヤル・ソサエティ会員になる。ニュートンとライプニッツの間の微積分学の優先権争いを裁くための委員会の委員に指命される。論文の大部分はロイヤル・ソサエティの機関誌"Philosophical Transactions"に載った。彼がこの雑誌に発表した最初の論文は,賭けの分け前に関するもので (1711) ,確率についての研究は『偶然論』 (18) にまとめられている。もう1つの重要な著作は『解析概論』 (30) である。この本の第1章には有名なド・モアブルの公式が書かれている。

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百科事典マイペディアの解説

ド・モアブル

フランスの数学者。ユグノーであるため圧迫を受け1688年から英国に移住。ニュートン,ハリーと親交あり,1697年王立協会会員。三角法ド・モアブルの定理を,確率で正規分布曲線を発見。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ド・モアブル
どもあぶる
Abraham de Moivre
(1667―1754)

イギリスの数学者。フランスのシャンパーニュ地方のビトリで生まれる。1685年「ナントの勅令」の廃止により、カトリック教徒以外は弾圧されることになり、ド・モアブルの両親は逃亡を決意しロンドンへ移住した。彼の18歳のときであった。ロンドン移住以前にどのような教育を受けていたかは明らかでないが、移住後は当初から数学を教えて家計を助けた。
 ニュートンやハリーの紹介で、王立協会で論文を発表できるようになり、1697年にはこの協会の会員に選ばれた。晩年は、眠る時間がしだいに長くなるという奇病に取りつかれ、最後には24時間を眠り続けたまま生涯を閉じた。
 確率に関する論文「偶然の原理」(1716)は、確率論における重要なものであるが、彼を語るとき、1730年に公刊された「級数と求積とに関する解析学の諸問題」と題する論文は見逃してはならない。この第1章に「半径1の円の弧AとBの余弦が、それぞれl、xであり、A=nBという関係があると

が成り立つ」という定理がある。現代の記号で表すとl=cosAであるから、l2-1=-sin2Aである。ゆえに

となるので、上の式は

となるので

を得る。また、

であるから
(cosB+isinB)n=cosnB+isinnB
(cosB+isinB)-n=cosnB-isinnB
を得る。これが「ド・モアブルの定理」といわれているものであり、数学の歴史において輝かしい光を放っている。[小堀 憲]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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