ドーデラー(その他表記)Heimito von Doderer

改訂新版 世界大百科事典 「ドーデラー」の意味・わかりやすい解説

ドーデラー
Heimito von Doderer
生没年:1896-1966

オーストリアの作家。ウィーン郊外に生まれる。第1次大戦に参加,シベリアでの4年間の捕虜生活が文筆活動のきっかけとなる。つねにムージルと対比される作家で,帰国後ウィーン大学歴史学を学び,作家生活に入るが,あまり認められなかった。バロック小説といわれる《回り道》(1940)は,ドーデラーの唯一のテーマ,〈回り道をして人間になる〉をすでに示しており,このテーマは彼自身とともに成長し,《窓の灯》(1950)として結実する。批評家にも認められた《シュトゥルーデルホーフシュティーゲ》(1951)はウィーン旧市内の縁にある裏道の名を題としたもので,25年かけて書かれた《悪霊》(1956)とともに,個性の強い多彩な登場人物により20世紀初頭から30年代までのウィーンをあらゆる面から精密に描いた大作である。ほかに《メロビング家》(1962),《長編小説第七番》第1部〈スルーニの滝〉(1963)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドーデラー」の意味・わかりやすい解説

ドーデラー
どーでらー
Heimito von Doderer
(1896―1966)

オーストリアの小説家。建築家の子としてウィーン近郊に生まれる。第一次世界大戦で捕虜になり4年間シベリアに抑留され、1920年ウィーンに帰還後、小説家になる準備として歴史と心理学を学んだ。33年オーストリアではまだ非合法であったナチス入党、のちに脱党してカトリックに改宗した。20年代より作家活動に入ったが、第二次大戦後ウィーンを舞台にした長編『シュトルードルホーフ階段』(1951)と『悪霊(あくりょう)』(1956)で小説家としての地位を不動にした。この二つの小説ではギュータースローの影響を受け、緻密(ちみつ)な構成で複数の筋が同時に展開する手法を用い、第一次大戦前後の二つの時代にまたがったウィーンの諸相を一大パノラマとして再現した。同時に、神が創造した世界はいかなる外的要因によっても断絶されることなく継続するという、トミズムに根ざしたオーストリアの伝統的カトリック世界観を呈示し、第一次大戦後の社会変革の動きを否定した。また、第二次大戦後の社会も歴史の連続性のうえにあることを示唆した。この作風は長編『メロビング家』(1962)などにも貫かれている。

[村山雅人]

『小川超訳『新しい世界の文学11 窓の灯』(1964・白水社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドーデラー」の意味・わかりやすい解説

ドーデラー
Doderer, Heimito von

[生]1896.9.5. ワイトリンガウ
[没]1966.12.23. ウィーン
オーストリアの小説家。ウィーン大学で法律,歴史学を専攻して学位取得。その間第1次世界大戦に従軍して4年間ロシア軍の捕虜となる。ギュータースローに触発されて小説家を志望,無意識による行為の意味を探る推理小説仕立ての『だれもが犯す殺人』 Ein Mord,den jeder begeht (1938) によって認められた。以後,大作『シュトルードルホーフ階段』 Die Strudlhofstiege (51) ,『悪霊』 Die Dämonen (56) などを発表。

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百科事典マイペディア 「ドーデラー」の意味・わかりやすい解説

ドーデラー

オーストリアの小説家。ウィーン大学で法律と歴史を学ぶ。人間の無意識的行為の運命的な意味をさぐる《万人の犯す殺人》(1938年)のほか,《シュトゥルードルホーフシュティーゲ》(1951年),《悪霊》(1956年),《メロビング家》など。世紀末から1930年代までのウィーンをあらゆる角度から描いた。

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