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ナボポラッサル Nabopolassar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ナボポラッサル
Nabopolassar

[生]?
[没]前605.8.16.
新バビロニア帝国初代の王 (在位前 626~605) 。バビロニア名ナブ=アパル=ウスル。前 625年バビロンアッシリアから独立,前 612年アッシリアの首都ニネベを落し,前 610年ハランで敗残のアッシリア軍を滅ぼした。バビロニア諸都市に王宮や神殿を建設,帝国隆盛の基礎を築いた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナボポラッサル【Nabopolassar】

新バビロニアの王。在位,前625‐前605年。正確にはナブー・アプラ・ウスルNabū‐apla‐uṣur。カルデア人ヤキン族の出身。アッシリアの宗主権下で海国の首長の地位にあったが,同帝国最後の英王アッシュールバニパルとバビロンにおけるその傀儡(かいらい)であったカンダラーヌKandalanuの死後1年を経てバビロンの王位に就き,新バビロニア王朝(カルデア王朝)を建設した。即位後の10年近くはアッシリアの執拗な反撃に耐えて,もっぱら政権の維持・確立に努めたが,治世10年ころからは攻勢に転じ,毎年のごとくティグリス川沿いあるいはユーフラテス川沿いにアッシリア遠征を行った。

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世界大百科事典内のナボポラッサルの言及

【カルデア人】より

…カルデア人は軍事的には強くなかったが,ナツメヤシの生産やペルシア湾貿易のおかげで経済的には豊かであった。宿敵であったアッシリア帝国が滅びた後,カルデア人ナボポラッサルによって新バビロニア王国(カルデア王朝)が建てられ(前625),ネブカドネザル2世の治世に最も繁栄し,当時のバビロンは世界の七不思議の一つに数えられた。イスラエルの民のバビロン捕囚もこの王の治世中のことであった。…

【バビロニア】より

…しかしこの間に,バビロニアの政治と文化の担い手が,カッシート人からカルデア人に交代し,バビロニア史最後の栄光である新バビロニア帝国誕生の準備がなされていたことを忘れるわけにはいかない。
[新バビロニア帝国時代]
 前8世紀半ばころから前7世紀半ばにかけての新アッシリア帝国全盛時代に,バビロニアはアッシリアの直接・間接の支配を受けたが,カルデア人たちはこの間反アッシリア運動の先頭に立ち,ついに前625年ナボポラッサルによりカルデア人自身の王朝が打ち建てられた。この新バビロニア帝国は,王朝創設者ナボポラッサル(前625‐前605)の後を受けたネブカドネザル2世(前604‐前562)の時に全盛期を迎えて繁栄する。…

【メソポタミア】より

… 一方イラン高原では前670年ころメディア人諸部族が統一され,しだいにエクバタナ(現,ハマダーン)を中心に強盛となった。またカルデア人のナボポラッサルは前625年にバビロンに入城し,カルデア王朝(新バビロニア)を樹立している。アッシリアの首都ニネベはメディア,新バビロニア連合軍によって前612年に破壊され,ここにアッシリア帝国は事実上滅亡した。…

※「ナボポラッサル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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