アッシュール(読み)あっしゅーる(英語表記)Aššur

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール(アッシリア帝国)
あっしゅーる
Aššur

アッシリア帝国発祥の地、その首都。古くはアシュルAšurとよばれた。イラクのモスル南方110キロメートル、ティグリス川上流にあり、現在名はカルアト・シェルカートQalat Šergât。1821年に遺丘が発見され、1836年最初の発掘が行われて以来多くの学者が発掘を試みたが、最終的にはドイツ・オリエント学会が1903~1913年にわたって発掘を行い、その全貌(ぜんぼう)を明らかにした。市は新旧2市に分かれ、旧市の北東端に主神アッシュールを祀(まつ)るエ・シャルラとその本殿(諸国の大山の家)があった。後代の伝説によれば、ウシュピアがアッシュール神殿を造営し、キキアが市壁を建設したといわれる。市はおそらくシュメール人の屯田市から発達したと考えられ、アッカド王国のサルゴン王時代(前2350ころ)にはその属領となっていた。ウル第3王朝時代のアマル・シン王の時代にもその支配下にあって、ザーリクムが統治していたことが記録により知られる。紀元前15世紀にミタンニ王国の支配をアッシュール・ウバリト1世が排除し、前614年にメディア人によって破壊されるまでアッシリア人が主権を維持した。その間ニネベ、カルフなどへの遷都の際にも、市は宗教上の中心としてつねに重きをなした。市の主神はアッシュール神であるが、古くはシュメール人の最高神エンリルであったと考えられている。

吉川 守]


アッシュール(神)
あっしゅーる
Aššur

アッシリア帝国で厚い尊崇を受けていた有力な神。アッシリアおよび後のシリアの名はこの名に発する。アッシリア帝国では、各都市ごとにアッシュール神を祀(まつ)る神殿が建てられ、この神名を含む名をもつ皇帝も多かった(アッシュール・バニパル=アッシュール・バーン・アプリ、アッシュール・ウバリトなど)。シュメール系統の神ではなく、西セム人に起源する神と考えられ、西セム人の男神アシェラー、女神アシェラタともつながりがあると思われる。アッシュール神は、古くはシュメール系男神エンリルと対等であったが、のちエンリルを駆逐し、またしばしば女神イシュタルと同じ神殿に祀られている。

矢島文夫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール
Assur; Ashur

アッシリア帝国の発祥地でその首都,その国名守護神名。現在名はバグダード北西 270kmに位置するカラトシャルカート。前 2500年頃創建。守護神の町として勢力を有し,東と北はチグリス川断崖に守られ,南と西に要害を築き,周囲 4kmの城壁をめぐらし,要衝の地として建設された。シャルマネゼル3世 (在位前 859~824) の頃最も栄えたが,前 614年バビロニアに破壊され,前 140年頃パルティア人によるメソポタミア侵攻の際,一部復興した。 1903~13年 W.アンドレのドイツ隊によって発掘されたが,三つの王宮跡のうち最古のものはシャムシ=アダド1世 (在位前 1813頃~1781頃) のものとされ,センナケリブ (在位前 705~681) 時代に 34あったとされた神殿の3分の1が発見された。 2003年世界遺産の文化遺産に登録。

アッシュール
Assur

アッシリアの国家神。首都アッシュールの守護神。彼の名は「慈愛深きもの」を意味し,豊穣肥沃の神としてしゅろの枝で囲まれた姿で表わされる。また戦士の神でもあり,戦いにおいて兵士を指揮し,勝利をもたらした。この場合は,翼のある円盤の形で,または牛に乗り空を行く姿で表わされた。アッシュール崇拝は前3千年紀の中頃からパルティア王国時代まで,アッシリアおよびカッパドキアなどで行われた。なお時代と地域により種々の異名をもつ。アッシリア人は,彼をバビロンのアンシャールと同化させていた。

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