アッシュール(その他表記)Assur
Ashur

デジタル大辞泉 「アッシュール」の意味・読み・例文・類語

アッシュール(Aššur)

西アジアチグリス川中流域にあった古代都市。現在のイラク北部、バグダッドの北東約240キロメートルの町カルアトシェルカートに位置する。アッシリア王国の最初の首都であり、アッシリア人の最高神アッシュールと同じ名をもつ。紀元前14世紀から前9世紀にかけて栄え、前7世紀にメディア人に征服された。ジッグラトや宮殿などの遺跡が発見されているが、大部分は未発掘のままとなっている。2003年に世界遺産(文化遺産)に登録されるとともに、同年、ダム建設による水没が危惧され、危機遺産にも指定された。アシュル。アッシュル

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール
Assur
Ashur

アッシリア帝国形成の基礎となった都市で,前14世紀後半から前883年までの首都。主神アッシュールに由来する名称で,現代名はカルア・シルカQal'a Shirqa。イラク北部のモースル南方110km,ティグリス川西岸にある。19世紀の著名な発掘者たちは,いずれもこの遺跡を調査して,彫刻や楔形文字史料をえたが,都市の構造と歴史を明らかにするうえで重要な役割を果たしたのは,1903-14年に行われた,ドイツ人アンドレーErnst Walter Andraeの,メソポタミアにおける最初の本格的な層位的発掘であった。都市は,ティグリス川と支流の合流点をかなめに扇形をなし,城壁で囲まれ,支流ぞいにかなめの位置からシャムシアダドShamshi-Adad 1世(在位,前1813-前1781)が建設したアッシュール神殿,ジッグラト,古宮殿,神殿,6回以上の改築が確認された古い起源をもつイシュタル神殿,神殿,新宮殿と西へ並び,城壁と堀をへだてて,さらにその西に〈新年祭の家Bit Akitu〉がある。都市が拡大するとティグリス川ぞいに新市域がつくられたが,住居址や文献に記された38神殿の大部分はまだ発掘されていない。都市の起源はまだよくわからないが,すでに初期王朝時代シュメール文明の影響下にティグリス川による交通の要所を占めていたことが知られ,エブラ出土の条約粘土板中にもその名が見える。アッシュールナシルパル2世が,アッシリア帝国の発展にともなって,前883年首都をカルフニムルド)に移してからは,宗教的な中心であった。
執筆者:


アッシュール
Assur
Ashur

アッシリアの最高神。その起源,名前の語源,性格などについては定説がない。ウル第3王朝時代(前2112-前2004)以来,同名の都市アッシュールおよびその住民の神として文書に現れる。カッパドキア文書(前19世紀)から知られる小アジアのアッシリア商人植民地においては,最も重要な神と考えられていたが,アッシリアとその植民地以外では一地方神にすぎなかった。同神が後のアッシリア帝国の国家神へと変貌していく過程は,アッシリアの政治的発展の過程と並行する。まず前13世紀ころバビロニアの神々の王であったエンリル神と結びつき,次いで前9世紀ころバビロニアの至高神アヌの父であるアンシャルAnshar神と同一視されることによって,アッシュール神はあらゆる神々の上に立つ神となり,前8~前7世紀におけるアッシリアの帝国形成の神学的基盤ができ上がった。ちなみに,バビロニア創造神話《エヌマ・エリシュ》のアッシュール出土の断片では,マルドゥク神ではなくアッシュール神がその主人公となっている。配偶神はアッシュールまたはニネベのイシュタル女神であったが,アッシュール神がエンリル神と同一視されるようになってからは,その配偶神ニンリルNinlilも配偶神とされるようになった。造形表現では,翼をもった太陽円盤として描かれることが多い。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール(アッシリア帝国)
あっしゅーる
Aššur

アッシリア帝国発祥の地、その首都。古くはアシュルAšurとよばれた。イラクのモスル南方110キロメートル、ティグリス川上流にあり、現在名はカルアト・シェルカートQalat Šergât。1821年に遺丘が発見され、1836年最初の発掘が行われて以来多くの学者が発掘を試みたが、最終的にはドイツ・オリエント学会が1903~1913年にわたって発掘を行い、その全貌(ぜんぼう)を明らかにした。市は新旧2市に分かれ、旧市の北東端に主神アッシュールを祀(まつ)るエ・シャルラとその本殿(諸国の大山の家)があった。後代の伝説によれば、ウシュピアがアッシュール神殿を造営し、キキアが市壁を建設したといわれる。市はおそらくシュメール人の屯田市から発達したと考えられ、アッカド王国のサルゴン王時代(前2350ころ)にはその属領となっていた。ウル第3王朝時代のアマル・シン王の時代にもその支配下にあって、ザーリクムが統治していたことが記録により知られる。紀元前15世紀にミタンニ王国の支配をアッシュール・ウバリト1世が排除し、前614年にメディア人によって破壊されるまでアッシリア人が主権を維持した。その間ニネベ、カルフなどへの遷都の際にも、市は宗教上の中心としてつねに重きをなした。市の主神はアッシュール神であるが、古くはシュメール人の最高神エンリルであったと考えられている。

[吉川 守]


アッシュール(神)
あっしゅーる
Aššur

アッシリア帝国で厚い尊崇を受けていた有力な神。アッシリアおよび後のシリアの名はこの名に発する。アッシリア帝国では、各都市ごとにアッシュール神を祀(まつ)る神殿が建てられ、この神名を含む名をもつ皇帝も多かった(アッシュール・バニパル=アッシュール・バーン・アプリ、アッシュール・ウバリトなど)。シュメール系統の神ではなく、西セム人に起源する神と考えられ、西セム人の男神アシェラー、女神アシェラタともつながりがあると思われる。アッシュール神は、古くはシュメール系男神エンリルと対等であったが、のちエンリルを駆逐し、またしばしば女神イシュタルと同じ神殿に祀られている。

矢島文夫

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール
Assur; Ashur

アッシリア帝国の発祥地でその首都,その国名守護神名。現在名はバグダード北西 270kmに位置するカラトシャルカート。前 2500年頃創建。守護神の町として勢力を有し,東と北はチグリス川と断崖に守られ,南と西に要害を築き,周囲 4kmの城壁をめぐらし,要衝の地として建設された。シャルマネゼル3世 (在位前 859~824) の頃最も栄えたが,前 614年バビロニアに破壊され,前 140年頃パルティア人によるメソポタミア侵攻の際,一部復興した。 1903~13年 W.アンドレのドイツ隊によって発掘されたが,三つの王宮跡のうち最古のものはシャムシ=アダド1世 (在位前 1813頃~1781頃) のものとされ,センナケリブ (在位前 705~681) 時代に 34あったとされた神殿の3分の1が発見された。 2003年世界遺産の文化遺産に登録。

アッシュール
Assur

アッシリアの国家神。首都アッシュールの守護神。彼の名は「慈愛深きもの」を意味し,豊穣肥沃の神としてしゅろの枝で囲まれた姿で表わされる。また戦士の神でもあり,戦いにおいて兵士を指揮し,勝利をもたらした。この場合は,翼のある円盤の形で,または牛に乗り空を行く姿で表わされた。アッシュール崇拝は前3千年紀の中頃からパルティア王国時代まで,アッシリアおよびカッパドキアなどで行われた。なお時代と地域により種々の異名をもつ。アッシリア人は,彼をバビロンのアンシャールと同化させていた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「アッシュール」の意味・わかりやすい解説

アッシュール

アッシリアの主神,アッシュール市の守護神。翼をもつ太陽円盤として表現されることが多い。シュメールのエンリル,バビロンのマルドゥクなどと同一視された。

アッシュール

アッシリア帝国の中心都市で,前14世紀後半から前883年までの首都。その遺跡はイラク北部のモースル南方110km,ティグリス川右岸にある。20世紀初頭のドイツ隊による発掘などで,アッシュール神殿,ジッグラト,宮殿ほかが出土。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「アッシュール」の解説

アッシュール
Assur

ティグリス川中流域に位置したアッシリアの古代都市
シュメール人が建設。西アジアの通商路にあるため発展し,前3000年紀末から首都として栄えた。前7世紀に首都がニネヴェに移ったあとも守護神アッシュールを祭る宗教上の中心地であったが,前612年メディアにより破壊された。20世紀初めに大規模な発掘が行われ,王宮・神殿・城門などが明らかになった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアッシュールの言及

【アッシュール】より

…アッシリアの最高神。その起源,名前の語源,性格などについては定説がない。ウル第3王朝時代(前2112‐前2004)以来,同名の都市アッシュールおよびその住民の神として文書に現れる。カッパドキア文書(前19世紀)から知られる小アジアのアッシリア商人植民地においては,最も重要な神と考えられていたが,アッシリアとその植民地以外では一地方神にすぎなかった。同神が後のアッシリア帝国の国家神へと変貌していく過程は,アッシリアの政治的発展の過程と並行する。…

【アッシュール】より

…アッシリアの最高神。その起源,名前の語源,性格などについては定説がない。ウル第3王朝時代(前2112‐前2004)以来,同名の都市アッシュールおよびその住民の神として文書に現れる。カッパドキア文書(前19世紀)から知られる小アジアのアッシリア商人植民地においては,最も重要な神と考えられていたが,アッシリアとその植民地以外では一地方神にすぎなかった。同神が後のアッシリア帝国の国家神へと変貌していく過程は,アッシリアの政治的発展の過程と並行する。…

【アッシリア】より

…前5千年紀には,ハッスナ,ハラフ,サーマッラーの三つの文化圏が確認されている。前3千年紀の前サルゴン期には,膠着語を話す,均質的とはいえないがフルリ人と親縁関係にある定着原住民スバル人の上に東セム系遊牧民が支配的要素として加わり,今やメソポタミアの発展の先頭に立つシュメール文化の影響の下に,都市アッシュールが建設された。アッカド王国時代にはサルゴン王らによって征服され,マニシュトゥシュ王がニネベに神殿を造営している。…

【アッシリア美術】より

…アッシリアの美術は,メソポタミア美術最後の,最も発達した段階を示すものである。アッシリアはメソポタミア北部の都市アッシュールを本拠とし,前2千年紀末から,盛衰を繰り返しながらも,その軍事力,政治力を強め,しだいにメソポタミア南部のバビロニア地方に支配を及ぼしていった。前1千年紀には,その軍事力にまかせてメソポタミアのほぼ全域に君臨する帝国を形成する。…

【メソポタミア】より

…またユーフラテス中流域ではマリが交易中継地として繁栄し,マリからは前18世紀ジムリリム時代の文書が多数発見されている。バビロニアに北接する地域では,アッシリア人の都市アッシュールが前19世紀から前18世紀にかけてのシャムシアダド1世時代に有力となった。アッシリア人は早くからメソポタミアと小アジア間の通商を行い,カイセリ付近のキュルテペ(カニシュ)などには商業植民地を建設している。…

【アッシュール】より

…アッシリア帝国形成の基礎となった都市で,前14世紀後半から前883年までの首都。主神アッシュールに由来する名称で,現代名はカルア・シルカQal’a Shirqa。イラク北部のモースル南方110km,ティグリス川西岸にある。…

【アッシュールバニパル】より

…在位,前668‐前627年。正しくは,アッシュール・バーニ・アプリAššur‐bani‐apli(〈アッシュール神は嗣子の創造者〉の意)。父王エサルハドンによって前672年に皇太子に定められ,前668年即位。…

※「アッシュール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android