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ナラムシン

百科事典マイペディアの解説

ナラムシン

古代メソポタミアのアッカド朝の王(在位,前2260年ころ―前2223年ころ,または前2270年ころ―前2233年ころ)。サルゴンの孫。バビロニアを統一,エラムを征服した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ナラムシン【Naram‐Sin】

古代メソポタミアのアッカド王国の第4代の王。ナラムスエンNaram‐Suenともいう。在位,前2260ころ‐前2223年ころ,または前2270ころ‐前2233年ころ。王国の創始者サルゴンの孫。第2代の叔父リムシュ同様,第3代の父マニシュトゥシュが宮廷陰謀によって暗殺されたのち即位した。キシュシュメールの諸都市が独立し,祖父サルゴンと同じ〈アッカドの王〉から再出発した。王はまず東・南方商業の要衝エラムを征服し,功臣をこの地の総督に任じたのち,〈強き男〉の称号を付け加えた。

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世界大百科事典内のナラムシンの言及

【アッカド】より

…この時代にバビロニア北部でセム人要素とアッカド語が支配的となり,以後この地がアッカド,後のバビロニア地方が〈シュメール・アッカド〉と呼ばれるにいたった。伝承の伝えるサルゴンの56年の長い治世,その子リムシュおよびマニシュトゥシュの計24年,後者の子で祖父サルゴンと並び称せられる大征服者ナラムシンの37年,その子シャルカリシャリの25年,計5代142年の治世年数は,ほぼ信頼しうる。1度の兄弟相続を除いて親子継承が行われ,かつそれぞれ相当長い治世年数を有したことは,各王の即位時や治世末期の宮廷陰謀とシュメール都市の大反乱,またたび重なる蛮族侵入にもかかわらず,5代100余年にわたって王国が維持されたことを示す。…

【シュメール美術】より

…この像はまた,当時ブロンズの鋳造技術が高度に発達していたことを証明する貴重な存在である。浮彫では〈ナラムシン王の碑〉(スーサ出土)がよく知られる。ナラムシン王の戦勝を記念するこの石碑は,縦長の石碑面をいっぱいに使いながら斜め上方への動きを出している巧みな構図,人物の肉体表現に見られる自然主義的傾向など,シュメール初期王朝時代の浮彫には見られない新しい感覚を示している。…

【バビロニア】より

…彼はシリアにも遠征し,〈上の海から下の海に至るまで〉の領域を支配下におさめ,従来の都市国家の枠をはるかに越えた帝国を築き上げた。 その子リムシュとマニシュトゥシュの代に,アッカド帝国は一時衰えるが,サルゴンの孫ナラムシンの治世になってサルゴン時代の栄光を取り戻した。ナラムシン(前2254‐前2218)は新しい王号〈四方(世界)の王〉を称して自己の支配権の大きさを誇った。…

【メソポタミア】より

…またこれ以後セム人がメソポタミア最南部地方にも広く住んだ。第4代王ナラムシンはさらに多くの外征を企て,王朝版図は最大となったが,南部都市を核とする大反乱が発生,また東方蛮族グティ人も王朝内に侵入を開始した。次王ののち王朝はグティ人侵入により混乱に陥るが,南部シュメール地方は比較的平和であり,とりわけラガシュは繁栄を享受していた。…

※「ナラムシン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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